「メンタルやられたぁ」、とか、「病んでる自分を大切に」とかWWW。SNSを開けば、#メンヘラ、#うつ、#情緒不安定、タグが並んでいて、病んでるアタシってかわいい、みたいなノリ。正直、気持ち悪い。本来、メンタルヘルスっていうのはもっと切実なもので、人知れず悩み、苦しみ、でもなんとか日常をやり過ごそうとする人たちのための言葉だったはずだろ。それが今や、ファッションアイテムの一部みたいに消費されている。
「病んでる」って、そんなに便利な言葉か?嫌なことがあった、うまくいかない、自信がない、誰だってそういう時ある。それを「ちょっと病んでる」って言えば済むようになっている。もちろん、それで救われていることもあるかもしれない。でも、一方で、「病んでる」と言えば許される、面倒な自分を正当化できる、そういう免罪符になり下がっている空気もあるよ。
本当に病んでる人は、そんなに軽々しく言わない。それは、言葉にならない重さがあるからだ。メンタルケアがコンテンツになっていくどーしよーもない時代。YouTubeには「心が疲れたあなたへ」「メンタルが弱っている人の特徴」みたいな動画が大量に湧きまくっている。専門家ならまだしもね。TikTokでは、「深夜の情緒不安定BGM」が回り続け、インフルエンサーが「無理しないでいいよ」と囁く。
メンタルで苦しんでいる人の「心」が、再生回数と広告収入のために利用されているってこと。それって、本当に「癒し」になっているのか?それとも、消費されてるだけじゃないのか?「病んでいる」アタシを演じる安心感。元気な人は、叩かれる時代だ。「頑張りすぎ」「意識高すぎ」「空気読めない」と言われるくらいなら、最初から「病んでる側」にいた方が楽、という空気感もある。
「私はメンタル弱めです」ってアピールすれば、攻撃されづらいし、失敗しても許されるよね。つまり、逃げ道として「病みキャラ」を使う人が増えている、ということ。でも、それは本当に心のためになるか?弱いふり、を続けることで、本当の自分の足を引っ張らないか?「弱さ」を大切にする、という言葉の誤用。もちろん、人間には弱さがあっていい。むしろ、あるべきだ。でも、最近の風潮は、弱さを肯定しよう、じゃなくて、弱さを免罪符にしよう、すり替わっている。
頑張らない自分を肯定しすぎて、何もしないままの人生を「それでいい」と思い込んでしまう。それは、怖いことだよ。「大丈夫」って言葉で、何も変えないことを正当化して本当に、大丈夫なんだよな?
結局、病んでるアタシ、が求めているのは何?メンタルの話になると、すぐに「自分を好きになろう」「無理しないでいい」といった言葉が並ぶ。でも、そういう言葉を繰り返し聞き続けても、なぜか心は軽くならないだろうが。それはたぶん、「本当の癒し」っていうのは、他人からの言葉じゃなく、自分で積み重ねた時間や行動からしか得られないからだ。SNSの“優しさ”は一瞬だ。だけど、その一瞬にすがってると、どこまでいっても“本当に強くなる”日は来ない。
本当のメンタルヘルスは、静かで地味だ。本当に自分の心と向き合ってる人は、あまり喋らない。派手な投稿もしないし、自分を“癒されキャラ”に仕立て上げたりもしない。彼らはただ、誰にも気づかれず、少しずつ前に進んでいる。そういう人の姿こそが、本当の「強さ」なのだ。



