前回の続きです。


夕方のニュース番組の一コーナーである「兵動大樹の今昔さんぽ」で、上の写真が昭和41年9月30日に廃線となった淡路鉄道(淡路交通鉄道線)の「さよなら列車」であり、撮影された場所が淡路鉄道の洲本駅であることを突き止めた兵動さん。
(関西テレビ「報道ランナー」で6月18日に放送、傑作選ということでオリジナルは2020年2月28日に放送)

南あわじ市にあり、かつての淡路鉄道福良駅のあった場所の近くで、当時から営業を続けている「喫茶&とんかつ ママン」の店主の萩原宏亮さんから紹介された、淡路鉄道の運転士だったという市川富夫さんとともに、兵動さんは洲本駅(洲本市)だった場所を目指しました。

途中、広田駅のあった場所の近くには・・・



小さな川に架かる線路の橋台跡が残っていました。


洲本駅近くの線路のあった場所に二人はやって来ました。

市川さんは、福良方面を見ながら「この道路の左側手の方を電車が走っていました」と話しました。

上の画面でいえば、この交差点より先は車道がなく、福良方面に向かう車は右折した先にある洲本川を渡り、川沿いの国道を利用していました。

線路は、数百m先で川に対して斜めに架かっていた洲本川橋梁に向けて、川の堤防の高さまでゆるやかに上がる高架のような形になっていて、その名残がかなり後まで残っていました。

この画面の道路右側にある公園の一帯には、かつて国内最大級の紡績工場であった鐘淵紡績洲本工場の社宅として、長屋のような建物がいくつもの列になって建てられていて、鉄道と相まって現在とはかなり違う雰囲気がありました。


二人が、元の洲本駅の近くにやって来たところで、「だいたい、あの入口からまっすぐに出てきていたんです」と市川さん。

線路は単線で、上の画面の歩道のあたりにありました。そして当時は左側の車道はなく、自動車は画面より手前で右折と左折をして、駅の改札口のある通りやその先にある洲本温泉などに行くことができました。

画面左側には鐘淵紡績洲本工場の広大な工場の建物群が広がっていましたが、現在ではいくつかのレンガ造りの建物に諸施設を入居させるなどした上で、歴史的建造物として保存しているものが元の洲本駅に近い部分に残されているのみとなっています。

(上の写真は私が撮影したものです)

元の洲本駅の建物は、鉄道廃止後は2004年まで、洲本バスセンターとして島内の路線バスのターミナルになっていて、鉄道のホームだった場所に各路線の乗車場が設置されていました。

鉄道廃止後の昭和40年代は、島内の路線バスにとっては最盛期だったのかも知れません。

島の北端部にあり、明石への連絡船(現在は高速船)やフェリー(現在は廃止)が発着していた岩屋(淡路市)から洲本を経由して福良までを結んでいた循環線は、1時間に特急(国道のみを走行のため洲本は通過)2本、急行2本、各停4本の体制でしたし、他の路線も多くは1時間に1本程度でした。

しかし現在では、自家用車の普及で多くの路線が廃止になったり、日に4往復程度になったり、自治体のコミュニティバスに引き継がれたりしています。

循環線は神戸や大阪への連絡という機能の部分が高速バスに移されたこともあり、洲本で分割され、洲本から福良は1時間に1本程度、洲本から津名港は1~2時間に1本程度になっています。なお、津名港から岩屋の区間はあわ神あわ姫バス(淡路市生活観光バス路線)に引き継がれています。

写真左側の道路の突き当たりにあるのは、洲本港の旅客ターミナルだった建物で、明石海峡大橋が出来た影響で、現在は洲本港に定期船はなくなっていますが、港と駅が歩いてすぐの場所にあったことが分かると思います。

その少し手前の道路左側に、1998年の明石海峡大橋の完成に伴って運行されるようになった、神戸や大阪などへの高速バスが発着する洲本高速バスセンターが造られました。

2004年には洲本高速バスセンターの場所で、路線の廃止や減便で運行台数が少なくなった島内路線バスも運用されることになり、洲本バスセンターとなっていた元の洲本駅はその役目を終えることになりました

なお、2019年には洲本高速バスセンターの場所の名称が洲本バスセンターになっています。

(バスの降車場のあった通り側を私が撮影したものです)

鉄道廃止後には、バスの到着便は(上のテレビ画面では建物の右側にあった)降車場で客を降ろした後に、建物の角で左折して、改築で造られた開口部分を通った上で、各路線毎の乗車場所で待機するようになっていました。

(バスの降車場から各乗車場所へ向かうバスのために改築で造られた開口部分を私が撮影したものです)

上の写真の道路右側にあるレンガ造りの建物は鐘淵紡績洲本第三工場の汽缶室だったもので、現在はレストランである「淡路ごちそう館 御食国」として活用されています。

なお、御食国(みけつくに)とは古代から平安時代にかけて、贄の貢進国だったとされる国をさす言葉で、朝廷に海産物などの御食料(穀類以外の副食物)を貢いだと推定され、淡路国、若狭国、志摩国などが該当したとされています。



兵動さんは「さよなら列車」の写真が撮影されたであろう場所から、同じアングルで現在の写真を撮影しました。




私の記憶の中で、時期が推定できるものとしては一番古いものが、廃線になる少し前に、3歳でこの淡路鉄道に乗ったというものです。

廃線になることを知らなかったので、気がついたらもう電車に乗ることができなくなっていたのです。

廃線になった後も、しばらくは宇山駅近くにあった車庫に置かれていたので、止まっている電車を見ることはできたのですが・・・

その時に乗ったのが、洲本駅から下加茂駅の2㎞の区間で、下加茂駅の前にかつてあった県立淡路病院に行くために、母に連れられて乗ったと記憶しています。

家から病院まで2㎞はなかったのですが、歩く距離は少なくなるとはいえ、遠回りをしたのは鉄道が廃線になるからだったかも知れません。