どーもー
雪ん子です

長いブログですので、お時間のあるときに是非読んで頂きたいです
またまたポジティブワード検索
どなた様か分かりませんが、
新たに
雪ん子 仲間なら大丈夫 ♪ 頂きました

陰ながら応援してくださってる方々に、改めて感謝です
さてさて、昨日の出来事なのですが、昼休みには可能な限りウォーキングへ行くようにしているのですが、その公園を歩いていると
『民謡の先生
』
と、声を掛けられました
顔をよーく見ると、なんと、10年以上ぶり、今の勤め先に正社員になる前に、派遣登録していましたが、そのまた前に正社員として働いていた介護用品の開発の会社で大変お世話になった当時の課長ではないですか
『Nさん
』
その方は今、某市の某所で、ガン細胞に働きかける薬品をT大学とK大学で共同開発して居られるとの事、私も、家庭園芸用の薬品の開発をしている会社に勤めている話をすると、みんな色んなことやってるねぇと、談笑でした
お元気でと笑顔で挨拶を交わしましたが、何だか、懐かしくて、嬉しくて、そして今もご活躍して社会貢献に尽力している事が、同じミッションを追いかけた仲間として誇らしくて、その当時の事を、一緒に歩いていた会社の友達に機関銃
の様に話してしまいました
そもそも、私はなぜ今工業系のお仕事をしているかというと、化学も、数字も、コツコツしたこともじっとしていることも苦手だからです
もともとは、華やかな事が好きで、人と接するのが好きで、どうしても外に向かう、自分を売りにする様な性質で、その様な職に憧れがあったし、私にはそれが向いていると思っていました
しかし、そういった仕事は、人に媚び諂わなければなかったり、人と絶え間なく接して自分の神経をすり減らしたり、お付き合いもこなさなくてはならない
人と関わる数だけ、プラスなこともマイナスな事も自分に降りかかってくる
自分の仕事の方法が間違っていたせいか、そういう仕事をしていると、やたらと色んなハラスメントに遭いました
それは、自分がそのレベルだったから、自分で招いたのでしょうが、子供二人抱え、心が何度折れそうになったか分かりません
離婚後間もなく職を転々とするうちに、これは、真逆の、自分の苦手な分野に飛び込んで、苦手を克服して、無いものを補おう
そう決心しました
ゴルフ場の受付を辞め、職業訓練に通い、パソコンの資格を取りました
そこから歯車が回り始めたのだと思います
しかし、ある日、左足を12針縫う大怪我をします
その傷は、一週間経ってもかさぶたが出来ず、二週間経ってもしっかりとかさぶたが出来ず、医師から免疫力が下がっているようだから、他にどこか何か原因があるかもしれないので、検査をしたら
と、言われました
導かれる様に専門医のドアをたたき、検査をすると、短くまとめると、ガンでした
分かってからの精神状態、子供たちとのやりとり、たくさんたくさんありますが、割愛しちゃいます 笑
私は、愚痴っぽいことを言ったり、泣き言を言ったり、不幸自慢したり、同情引く事が大嫌いです
そういう人も嫌いです
だから、病気だった過去には感謝しますが、病気にならない為に、今、前向きに生きています
ガンの手術を終えて、初めて採用してくれたのが、その、介護用品の開発の会社でした
何としても、子供達と自分の為に再発しない様に生きなくちゃ
毎日毎日必死でした
その会社はとっても面白い会社でしたが、求められるものも半端ではありませんでした
上司には怒鳴られるし、作っては壊し作っては壊し。。。
図面も何度も書き直し
工業技術センターへ行って、調べ物をしたり。。。
量産機のたたき台を初出荷するときは、みんなで徹夜
出荷前の一号機に頬ずりしたのを思い出します
電気部材の基板設計をしていたのが、前述の元課長でした
ターボスケッチという基板設計のソフトの設計の仕方を教えてくれたり、パソコン開けて入っているハンダ付けのしてある、あの板
オセロみたいに⚫️を図面に記して設計。。。
プログラミングは、その課長の仕事でした
ストレッチャーの自動昇降が一定回数まで行けるか、耐久試験をしたり。。。
課長はその会社の懐刀でした
私は出来は悪く、皆さんにおんぶに抱っこで、泣きながらついて行きました
それで出来上がったのがこれ↓
その当時、Canonが介護業界に参入したてで、我々は、パテントをCanonに売り、販売権をCanonが持つという形でした
私はこの装置の、H君という子と二人でカーテン担当でした
材質選びや、試験、調査、試作品制作など、何度も作っては壊しをしました
今で言う所の、レジリエンス
この時に叩き込まれた様な気がします
木型担当、電子部品担当、カーテン担当などなど、色んなマンパワーの手が入って、一つの製品が出来る。。。
本当にものづくりって尊い
そして、苦手な事って、取り組んで乗り越えた時の喜びが倍なんです
自分を劇的に変える大きなチャンスでもあるんです
この会社で培ったものは、とても有意義でした
紛れもなく、私の糧になりました
病み上がり、二人も幼な子抱える私を採用して、今まで取り組んだ事も無い業務を与えてくれたこと、とても感謝しています
あの頃があったから、今があります
その会社は私が辞めて数年後に無くなってしまいましたが、その頃のスタッフとFacebookで再会したり、ばったり会ったり、あの頃を忘れるなよ!と神様にお尻を叩かれているようですね
過去には本当に感謝しています
ですが、人の体と同じ、新陳代謝して、進化して行かなければ、この世の中の荒波を乗り越えていく事ができません
だから、私は、歩みます

どうか、これからも見守ってください

まだ見ぬ未来への扉開けなくちゃ



























やっと見つかった
捕まえた~










































