だいぶ時間が開きましたが、遡って記録していきます。
2022年7月
(流産手術の内容です)
流産手術に臨む。
夫婦揃って染色体検査の説明を聞くため朝から夫と病院へ。
ドクターから説明を受けたあと、同意書に署名。
午前中に子宮口を広げるためのラミセルを入れてもらい、午後まで待機。
違和感はあるが痛いと言うほどではない。
夫と近くのショッピングモールに行って時間を潰す。
前日0時より飲食は禁止(水は当日9時まで可)。
病院に戻り、いざ手術。
もともと移植にしても卵管造影検査にしても私の子宮の入り口はカテーテルを通すのが何やら難しいらしい。
それもあってか吸引の手術もかなり困難だったようで、とても苦戦していた。
おまけに腺筋症が邪魔してエコーでも子宮内がよく見えないらしい。
途中からもう1人ドクターを呼び、ドクター2人がかりで外から中からエコーしながら吸引していく。
(だいたいいつもドクター2人体制で診察もしておられるので、私のせいでその間他の患者さんをお待たせしたのだと思うと本当に申し訳なかった)
私の子宮、どうなってんの?
採卵のときもそうだったが、静脈麻酔は全く効かず。
あまりの痛さに顔はひきつり、うめき声が出る。
吸引するたびに悶絶するほどの痛さ。
1人の看護師さんは手を握ってくれ、もう1人の看護師さんは肩をさすりながら励ましの言葉をかけ続けてくれていた。
どうにか吸引できたようだが、吸引したものの中からまさかの胎嚢見つからず。
ドクターから、
「染色体検査に出すものがありません」
と衝撃的な報告。
「もしかしたら心拍止まってから時間が経っているので、変性して血液と一緒に流れてしまったのかもしれません」
そんなことってあるの〜!?!?
染色体検査をすれば流産の原因が少しでも明らかになり、これからの治療の役に立ったかもしれないのに…
あんな思いをして何もわからないなんて…とガッカリだった。
お腹の中で確かに頑張って心拍を刻んでくれていた赤ちゃん、どこに行ったの…??
手術後、麻酔が切れるまで安静にと1時間くらいベッドで寝かされていたが、もともと効いていないので意識ハッキリ目もパッチリ。
看護師さんが様子を見に来てくれ、
「本当大変だったのによく耐えたね。あんなの、トラウマになるよね…」
と声をかけてくれた。
本当に手術中、あまりに痛くて「赤ちゃんもいなくなって、こんなに痛くて苦しくて、このまま死んでもいいかも…」なんて思ってしまうくらいだったので、いろんな思いがこみ上げて涙が出てきた。
帰る前にドクターとのお話で、まだ子宮の中に妊娠組織は残っているかもしれないが自然に出てくるだろうということ、2回生理がきたらまた移植できるということを聞いた。
とりあえず1週間後に術後の経過観察のため予約をとり、抗生剤と子宮収縮剤を処方され夫と帰宅。
帰りの車の中で
私:赤ちゃん、どこ行ったかねぇ??
夫:う〜ん。普通に考えたら、トイレで出たんじゃない?←大まじめ
デリカシーなさすぎ。
そうかもしれないけどさ。
ちゃんとお空に戻れたかな?
またいつかママとパパのところに来てね!
待ってるよ!!