おはようございます



本日、病気とは違う内容です








今日は8月10日



明日は11日…




毎月11日には 私が必ず想い出す様にしている事があります



あの3.11の震災です



実母が被災者となった当時 毎日来る実母からのメールには



「今日は旦那さんの会社で泊まり、そのまま炊き出しをしたよ」とか



「寒すぎて完全防備です」と写真付きのメールだったりで



毎日毎日東北の様子が鮮明に頭にありました



あれから私は この経験を絶対無駄には出来ないと思い



けど私に出来た事なんて ちっぽけ過ぎて情けない限りでした



せめて 震災当日亡くなった沢山の方々の月命日である



11日という日に、当時を振り返り「想い出す」という行為が



せめてもの私の想いなんです…



自己満足やと思われる方もいるかもしれません…



震災から1年目までは、毎月11日が来ると



テレビでアナウンサーが「今日で震災から何ヶ月が経ちました」



とかってニュースで必ず言ってました



実際の3.11の日には



生中継の番組での黙祷など、いろいろな式典がありましたね



だけど…



その日を最後にピタリと震災関連が減っていきました



テレビ的には一応1年目が区切りなんだとは思うけど



やっぱり人間は忘れてゆく生き物であって



風化はさけられないんだなぁと…



実際、原発問題などは今でもよくニュースになってるけど



果たして、被災地で実際にまだまだ苦しみ悩み



戦って生きている人が何千人、何万人いるんだろう



遺族の方の悲しみは一生消える事はないのだし



せめて他県に住む私達にも出来る事



「想い出す」という行為です



実際被災してもいない私が



えらそうな記事を書いてしまってゴメンナサイ



ただ、少しでもそういう方が増えてくれたらきっと



東北の方達は、気持ちだけでも救われるんじゃないかな



と勝手な私の想いです



忘れられてないんだ



今も想ってくれてる人が日本にたくさんいる



そう思えるだけでどれだけ救われるか



私は子供の病気と向き合い始めてから



こういう思考がよく頭に浮かぶ様になりました



趣旨は全然違うけど



私も子供の闘病で苦しみもがいている中



今でも忘れずに心配して連絡をくれる友人や



息子の事を想ってプレゼント持ってきてくれたり



そうやって 忘れずに気にかけてくれる人がいる事



思い出してくれる人がいる事



私がどん底から立ち上がる原動力となりました



だから きっと…



どん底にいる人は 人の優しさや想いに触れた時



「生きようっ!生きてていいんだ」



って気持ちになれます



東北の方々の為に



亡くなった方々の為に



毎月11日は、震災を振り返る日にしてもいいんじゃないかと



「忘れる事」 生きてく為に必要な人間の本能だけど



忘れられる事ほど悲しい事って無いのかも…



同情なんかじゃない



被災者の方達がほしいのは同情ではなく



皆が現実を直視出来る強さ・覚悟だと思う



正斗がいつか大きくなってその時に理解が出来るなら



テーマにもなった「絆」を通して



受け継いでいかないといけない歴史です