昨日は学校へ行くことを嫌がり

休んだわが子。


私は泣いて登校を嫌がる

子どもの腕を引っ張って連れていくことは

できない。


担任の先生は

そんな私を甘いと

思うかな?


どこかで

先生の思いに応えられない自分を

責めていた。


夕方

子どもの荷物を取り行くと

少し担任の先生と

話をする時間を与えられた。


その時

担任の先生に自分から

『私は主人を亡くしています。

大切な人を失う悲しみを知っているから

今日も子どもが生きてくれていることが

何より嬉しいんです。』

と伝えた。

『私の考え方は甘いかも知れませんが

学校へ行きたがらない我が子の

手を引っ張って無理に連れてくることは

できません。

でも我が子と一緒に

登校して廊下に座って見守っていることは

できます。』

と伝えた。


担任の先生は

黙って聴いて下さり

受け入れてくれた。


伝えさせてもらった後

胸のモヤモヤがなくなった。


昨日のあの雰囲気の中だったから

自分の本当の思いを伝えることが

できたんだと思う。


少しでも何かが

違っていたら

言えなかったかもしれない…。


今思えば

“先生の思いに応えられない自分”

さえ私自身がつくった

思い込みだったことに

気づいた。


心の内側の思いを言葉で伝えることは

相手を信頼していないと

できないことだと思う。


4月から

電話を頂くことが多かったおかげで

私は先生の内側に触れる機会を与えられ

この先生なら受け入れてくれるかもしれない…

と感じていたんだと思う。


人を信頼することは

大きな恐怖だった…。


でもできた。


ずっと自分自身との信頼関係を深めてきたから

こその一歩なのだと思う。