6月7日、退院して翌日に抗がん剤3回目。
化学療法・緩和ケア科に転科。
診察券を機械に通して、地下の血液検査室に行く。そこでも受け付け券をもらってよばれるまで待機。血液検査室はまるで銀行の窓口の様で、ずらっと看護師がいる机が並んでいる。呼ばれると腕を出して採血して、すぐ後ろにあるベルトコンベアに血液を差して流していく。
その次はすぐ横にあるレントゲン室にファイルを渡して順番を待つ。

それが終わると3階にある化学療法室へ。
思っていたよりは狭い感じかな。
血圧と体重と体温を測って、ファイルを渡す。
がんセンターみたいに個室ではなく、座り心地の良さそうな椅子がいくつも並んでいてそれぞれカーテンで仕切られている。
癌の疼痛の程度も事前に問診されたのかな?この時は覚えていない。

血液検査とレントゲンを待って、抗がん剤が用意され、椅子に呼ばれる。早くて一時間くらいは待ったかな。

抗がん剤の後に化学療法・緩和ケア科の先生と話す。本来なら教授が見てくれる予定だったのが、出張で留守だったので他の先生に。
強いステロイドと、保湿剤、あとは湿布を処方してくれた。

彼は背中の痛みが出てから、背中に湿布を貼るのが日課だった。冷湿布より温湿布を好んで使っていて、それこそ背中一面に貼ることもしばしばあったので、処方してもらえて助かった。
先生はごく普通の先生に見えたのだけれど、帰り際になって自宅近くの**病院とも提携してるので、そこで抗がん剤治療を受けられますよ、と念押しするように言われました。

カルテには、そんなに扱いづらい危険な患者と書かれていたのだろうか。
彼はその病院名を聞いて顔を曇らせていた。
実は奥さんの両親が数年前に立て続けに亡くなったのだが、彼は息子とともに見舞いにも行かず、葬式にも出なかった。
**病院は義母が亡くなった病院だったらしく、
絶対にあそこは嫌だともらしていた。


抗がん剤後は寒気もなく元気で、食欲ともあった。
帰ってひと休みして、夕飯を食べてまったりする。猫たちと揃って過ごすのも久々だった。

6月17日が次の抗がん剤治療の日にあてられたので、それまでは彼は自宅に戻り療養することに。
ここ1カ月はほぼ毎日、一緒にいたので、帰る時はひどく名残惜しかった。

そして、長いなりに一人で生きろ、となって、トラとマダが久々に日常の生活に戻っていった。


にほんブログ村 病気ブログ すい臓がんへ
にほんブログ村