告知の翌日、保護者会は午後からだったけれど、いろいろ打ち合せもあったのだろう、朝も早々から彼は出かけて行った。
保護者会が終わった後、病院に行って23日に再入院ということが決められ、帰宅。

あれは告知の当日の帰り道だったろうか、その後だったのかわからないけど、
「切除手術にならなくて良かった」
「あの位置だと膵臓全摘になるところだった」と
彼が言っていた。
これは吉村昭という作家さんの影響。吉村昭は舌癌になり、放射線治療を受けた。少し効果が出たと思っていた矢先にPETCTを受けたら、膵臓に光が出た。医者はまだ早期のはずだから大丈夫と、舌癌と膵臓癌、一日に二つの手術が行われた。
結果、膵臓には無数の癌があり、全摘手術になってしまった。吉村昭はこれに相当ショックを受けたらしい。
詳しくは妻で作家の津村節子『紅梅』に詳しい。


保護者会では、膵臓癌であること、担任を降りること、見舞いなどは一切お断りすること、などを話したらしい。
お見舞いは断ったものの、後日、千羽鶴を二つ、湯島天神の病気快癒の御守りをもらって、ひどく喜んでいた。
菅原道真を彼は大好きで、掛け軸をかけて梅を生けてお参りしていたから、奇しくも湯島天神の御守りというのは有り難かった。


帰ってきてから少し悔しがっていたのは、調子がいい時があったら臨時で少しでも働けないかと思っていたが、システム上、病休で全休にしないと無理だということ。
どれだけ働くことに執着があったのだろう。きっとそれだけ仕事が好きだったのだと思う。

夕食を二人で食べ、彼は子供が待つ家へと帰って行った。ちなみにこの頃、奥さんとは数年別居中、この春大学入学した一人っ子の長男の世話は彼が全部みていた。
彼が子供にどう話したのかは知らないが、あらためて家事を教えたりして、一人で生きていけるように心を砕いていた。




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