ある、長期間に及ぶ1つの物語があったとする。

エンディングは近いのは分かっていたけれど、予定よりも早く来るとひゃうし抜けする。
羅針盤を失ったような、、、、



日本銀行券。

御存知の通り、日本で通用する「金券」である。


この金券を万人が信用して、身を売り、削り、いさかいや殺人、蟠り(わだかまり)を起こす原因ともなりえる。

時には、物品を得たり、教育などの教養を得たりもする両刃の物。


さて、本物とは。

本物とは何であろうか。

僕は常に念頭に置いて考える性分(たち)であるから、考える。


要らなくは無い。
腐敗しない仮の物であるし、価値観を共有化するツールでもあるから。

しかし、この物で人の内面にまで食い込んで(活き方もしかり)いいものであるかは否定する。

価値観は各々(おのおの)。


僕は、他人が委託した物に、自分の時間を委託するつもりは毛頭ないので、大概を無視している。


日本銀行券の為には活きてはいけない(ダメダ)。
日本銀行券を利用する活き方にしなければ、人としての価値が否定される。


まあ、かわいそうな人は、それに依存して人生を人のせいにして朽ち果てるが良い。

それが子供にも良かれと思い、残せば良い。

そしてまたその子供も、それが全ての価値観として尺を取り、活きていけば良い。


アホが、アホで居られる理由。
アホに気が付かないで全うする事。
そしてアホを受け繋いでいく事。

そうして、時間は過ぎ去っていく。


アホになれば、楽に活きられたのだか、気が付いてしまったから、憤り(いきどおり)の多い世の中に漂ってしまった。

そんな僕が一番のバカである。



全くの無気力である。

前回からの経過というのは、ジェットコースターのように刻々と変化している。

一部をかいつまんで記すると、ピリオド的に自殺未遂をした。

誠に残念な事に、未遂で終わってしまったので観察処置の目下になってしまった。

日本では生きる権利は認可されているが、諦めの認可はされないのが疑問である。


あいも変わらず、どうでもいい人生を時が刻んでいる。

存在理由が無い者を、ただただ放っている。

とても辛い。

誰のせいでも無く、なんのしがらみや遺恨でも無く、だからなのか存在理由が無いので終りにしようとしているのだけれど、中々どおして一筋縄ではいかないのである。


次回は、刃物による事故的な事をうまい具合に進めようと調べている。

活きる希望が有る者は活き活きと学び、楽しみ、悩み、時を謳歌するのが良いと思う。

僕は、希望も無く、無駄に時間と分質を浪費している存在なのだから、無くなるべきである。
それが自然(分質世界)のルールである。

今まで支えて頂いた方々には、感謝しきれない気持ちであるが、「こんなちっさい奴も居たのか」と背世羅笑って頂き御勘弁を願う。


なんの為に活き、なにも無くなり生滅する。
それが、普通。