*…黄色い涙…*
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櫻井翔1万字インタビュー No.1

アラシゴトにのってる翔くんの1万字インタビューの1部をのせまーす


ちょっとみにくかもしんないけど……。



続きは次回のせるんで(♥・ω・`♡)ノ



では、はじまりはじまりーぃ!





■熱血小学生時代

小さいときからよく遊ぶ子だったよ。

家は都心だったけど、近所には公園もあったし、セミとかとったりして。

幼稚園のとき、夏休み明けに『日焼けコンテスト』みたいなのがあってさ、そのために夏休み中、外で遊んで必死に焼いたんだよ。

優勝してメダルもらったときはうれしかったなー。

今思うと、「なんであんなに勝ちたかったんだろう?」って感じだけどね。


その幼稚園のときの担任が鈴木先生っていったの。

『よい子の味方』でオレが演じた太陽先生も名字が鈴木だったから、ちょっとした縁を感じたよ。

もちろん女の先生だったけど。


小学校はバスを2つ乗り継いで通ってた。

別に大変だとは思わなかったよ。

オレにとっては普通だったから。


ただ地元に友達がいないから、ちょっとした疎外感はあったかもしれない。

放課後、親の仕事が終わるまで、地元の学童保育みたいなのに行ってたんだけど、知らないヤツばっかだし、制服なんか着てるのもオレだけ。

学校の友達の家に行くのも、バスに乗ったり、親に車で連れていってもらわなきゃいけなくて。

でも習い事をたくさんしてたから、遊ぶ時間もそんなになかったんだけどね。


その代わり、朝はすごい早く学校に行ってた。

7時半くらいには行ってたんじゃないかな。

高学年になってからだけど、サッカーやるために。

サッカー大好きだったからさ。

ちょうど小5のときにJリーグが始まったんだよ。

将来はサッカー選手になりたかった。

その前は医者になりたかったんだけどね。

『ブラック・ジャック』とかも読んでた。

でもすぐ「オレには無理だ」って気づいたの(笑)。


オレにとっては学校がすべてだった。

しかも小学校の6年間はクラス替えもないから、クラスとしての結びつきが強くなっていくの。

そのクラスごとの色みたいなのがあって、今でも微妙に出るくらいだからね。


うちのクラスはその中でも特別つながりが強かったと思うよ。

修学旅行の夜に「このクラスは腐敗している!」なんて熱く議論しちゃったりして。

「いじめとかやめようよ」なんて。

青春してたなー(笑)。

オレはそのころから、わりとしきるタイプだったね。

”お山の大将”的なところあったと思う。


基本的に気が荒いの、オレ。

最近は表にださないようにコントロールできるようになっただけで。

よくケンカもしてたもん。

”キューピーマヨネーズ”ってあだ名つけられたときは、それがイヤで。

キューピーみたいだったんだろうね。

しつこく「キューピーキューピー」いってくるヤツにブチギレたことがある。

そいつと1番仲がいいんだけどさ。

いまだにいわれるよ。

「こいつ、”キューピー”っていったらマジキレてさー」って(笑)。


小学校は共学だったから、バレンタインにチョコもらったこともあったよ。

思い出深いのは、小5のとき。

好きだった女の子から、おそらく本命であろうと思われるチョコをもらったの。

それで、そのコにはちゃんと自分でお返しを選んで渡そうと思ったんだよね。

それが大失敗!

考え過ぎて、ホワイトデーも過ぎちゃうし、結局、名古屋グランパスエイトのマグカップになっちゃうし。

グランパスエイトが好きだったんだよ、オレ。

でもどう考えてもいらないよね。彼女の反応も覚えてないよ。


でも初恋は、オレの中では中1。

国際交流の合唱会で来日した、ハンガリー人のガブリエッラちゃん。

マジビックリするくらいカワイかった。

せっぱつまるくらいにだれかを好きになったのはそのときが初めてだった。

同級生の男5人で、それぞれ好きな人ができちゃったから、その相乗効果は絶対あったと思うけど。

一生懸命ハンガリー語を覚えて、必死で話しかけたりして。

でも2週間で帰っていっちゃったからね。

はかない恋でした(笑)。





どお?次回も楽しみにしててねん
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