近年学校や図書館や児童館などの図書室から、もはや排除と言う表現がピッタリの書籍がある。


朝からニュースで、毎年この日に再度問題視されてるから、ピンと来る人は少なく無いと思う。


そう!

中沢啓治 著の、はだしのゲンです。



大雑把ではありますが、ネタバレを含む事をお許しください。


広島で原爆被害にあい、父・姉・弟を一度に失う主人公ゲン。

放射能や黒い雨の意味など知るわけもなく、生きる為に被爆地から逃げながらも人助けをして行く。

そんな気持ちや心をへし折る、直接被曝のゾンビの様になった人達を観て、それでも人としての形を残してる人を助けようとするが次々と吐血や内臓不全からの弁失禁して死んで行く。

やがて自身の頭髪が抜け出し、己の死の恐怖と戦いながら、避難の最中に産まれた妹を溺愛するが、その気持ちすら原爆症が命を奪っていく。


次々と訪れる希望と絶望…

それでも前を向き生きていくゲン。


そんな主人公は、作者の中沢啓治氏の、自伝に近い残酷な物語。


そしてその物語の中には、被爆者や朝鮮人(物語にのっとり、あえてこの表現をします)に対する誹謗中傷と差別。


この様な教訓としか言えない、子供にも理解しやすいコミックスって形をとりながら、何故その書籍は排除されるのか?

その理由に、この様な調査結果が有るそうです。


表現がグロくて怖いから読みたく無い

子供のトラウマになる


だから書籍を排除する…



バカじゃねぇの?

本心からそう思います。


怖いから見ない…

怖いから避ける…

フィクションのホラー映画や、アトラクションのお化け屋敷は、それで良いと思う。

ですが…

怖いからこそ、避けさしてはいけない物があるんです。


私が子供の頃、この書籍は推奨書籍で、更に表現のきつかったアニメ版も推奨され、夏休みに必ず地上波(当時は地上波しか無かったんですけどね)でテレビ放送までされていました。

ハッキリ言ってトラウマ物です。


ですがね…

そんなきつい表現だからこそ、戦争はいけない!って教訓となり、自国民への抑止力となっているのだと思う。

実感として、はだしのゲン論争と時を同じくする頃から、核保有やむなし!攻撃目的では無く抑止力である! 

その様な論争を多く聞く。

では核の抑止力とはなんだろう?

仮想敵国に対して、お前らがこんな怖い武器で攻めるなら、こっちも同じ怖い反撃をしてやるぞ!

そんな怖い目に会いたくなければ、核攻撃なんかするなよ!

ざっくり言えばそんな事だ。


はだしのゲンは怖いから避ける、ではその結果を描いたコミックスは避けるのに、そんな怖い兵器は保有する…

なんかおかしく無いか?

核兵器という怖い兵器を保有するなら、その怖い結果を分かりやすく表現する書籍は、読む事を義務付けるくらいじゃ無いとダメなんじゃ無いのか?

それこそが抑止力なんじゃ無いのか?


私が少年期に遠出して遊んだ範囲に、東京都の墨田区がある。

そこの横網町公園という公園には、関東大震災の被災した熱量で溶けて曲がってしまった鉄鋼材がある、とても大人が二人三人程度では、重くて持ち運べない様な質量。

そんな物を火災で溶かしてしまう。

だから火災で風を起こして、まるで巨大な吹子のように被害を甚大な物してしまう、そんな街づくりをしてはいけない!

その様に訴えられながらも、都心に一挙集中して、今の街づくりは高層ビルが増えたせいで、火災風の発生は昔より酷いものになるのは想像に容易い…

その様な事を、その公園の当事者である墨田区の土木課の人に、30年以上前だが聞いた事がある。

その火災風の熱量はガラスすら溶かし、重鉄骨すら曲げるので、不燃材とか耐火性とか…何それ?ってレベルの事になるって話だった。


そんな関東大震災の話を聞いた事を思い出すと、もう一つの恐ろしく残酷な話を思い出す。

その火災風は人を高層ビルほどの高さまで舞い上げ、熱量は隅田川すらお湯に変えたそうだ…

そんな未曾有の災害を前に当事者達は何を思ったのか?…

そんな災害は朝鮮人が持ってきたのだ!と、意味不明な事を言い出して、差別で済めば良いのだが、実際は虐殺が始まった…

そしてそんな暴徒達をどうすることも出来ず、警察官が朝鮮人殺害を直接見ながら、見て見ぬ振りをした…

恐ろし過ぎる話だ…


それは人伝の話だろ?

どこまでそんなフェイクを信じるんだ?

その様に思う人は居るだろう。

でも…その記録の一部は、墨田区の区役所や図書館に残されている。

公式に認められた黒歴史とも言うべき事実です。


でも…

そんな怖い事は目を伏せたいから伝え残さない…

だけど私は思うんです。

そんな残酷な事だから、そんな愚かな怖い事だから、もっと伝え残す事を義務とすべきなのです。


核兵器にしかり、差別にしかり、自国民に対する抑止力の様な教育こそまず初めにし、その上で他国や他者に対する抑止力を見せつける必要があるのです。


昔、免許の更新に行くと、パネル展示されていたり、講習ビデオの描写の交通事故は、直視できなほど残酷な、そこは隠しても良いのでは?…そう私が思う程ストレートな表現で、調子こいたらお前らこんな風に人殺すんだからな!って戒めであり抑止力だった。


見たく無いから見せない…

その結果は物事を軽く考えさせる…


世の中には、見たく無いから、見せたくないからこそ、見せなければいけない物がある。


今日という日は、それを考える大事な日だとも思う…