世界で誰も味方が居ない…
そう思う程、心が壊れてしまう時が有る。
心の孤立は例えようも無く辛い。
それは命に関わる程の暴力であったり、命に関わる程の飢えであったり…
そんな命の危機よりも辛く怖い時がある…
今自分がまさにそうだと思ってる人は、きっと言いたくなるだろう…
お前に何が分かる?分かったような事を言うな!と…
その気持ちは概ね正しい。
例え限り無く似た境遇を過ごしていたとしても、貴方の辛さは貴方だけの物、その辛さや人生は私の物では無いから…
だから分かるとか、分かってあげる何て事は言えない。
貴方の人生を私は背負えないから、無責任とも取れる全肯定のアドバイスなんて出来ない。
でも…理解しようとした時間は確かにあった。
そしてそれは今でも有る。
だからこそ自分の心で、自分自身に向き合って欲しい。
人の縁は不思議な物です。
私自身はさして気に留めない相手でも、相手は哀しくなるほど想いを掛けてくれてることがある。
その事に気付かせないほど、優しくゆったりと覆うように…
今50歳になろうとする私には、人生で出会った人が少なくとも20000人は居る。
それは街ですれ違った…そんなレベルの話では無く、学校であったり、子供の頃のご近所さんや幼馴染、社会に出てからの知り合いであったり…
何日前に〇〇駅前で一回すれ違った…そんなレベルでは無く、名前や特徴で「あぁ彼ね」って思い浮かべたり、小学校の頃のアイツだよ!思い出せないかな?とヒントを貰いながらでも、「あぁ、そう言えば!」と言葉に出そうな人。
社会のつながりの中で独り立ちしてから出会った人…
そこには例えば会社の同僚、掛かりつけの医師、名前を知られるレンタルビデオ店の定員など、思った以上に自分の素性をキチンと知る人。
名前は知らなくても顔を見たら会釈してしまうような、コンビニやスーパーの顔馴染みの店員。
あぁ、あの人どうしてる?と、ふと思い出すような人、人は思った以上に、人と人の繋がりの中に生きてる。
自分の想いと、相手の想いは同価値ではない。
自分が深く思っても受け入れられない事も有れば、自分にそんな気がなくとも深く思われる事は当たり前に有る。
どんなに孤独や疎外感に見舞われても、貴方自身はけっして独りでは無いんです。
そんな中で貴方の名前や顔を知り、その上で言葉を交わした人達が、貴方が突然消えたらどう思うだろう?
その人達を、私自身だけの理由で傷付けてしまっても良いのだろうか?
貴方自身が逆の立場に成ってしまったらどうだろうか?
言葉を吐かずに、行動に移してしまうのは、実は簡単だ。
でもその簡単な事の後始末をしないのは、いかがなものだろうか?…
私の言葉もまた身勝手だ…
この言葉が、また一つ貴方を傷つけるかも知れない。
それでも…
貴方と知り合って言葉を交わした貴方の責任として、ただ消えないで欲しい。
気付かぬうちに影響を与えて来た貴方の義務として、それでも…と言い続けて欲しい。
その先の事は、その時考えても良い。
私の言葉が残らなくて、ただ通り過ぎるだけでも良い。
それでも…
それでも!と私は思い言葉にし続けます。
ただ…
それでも!と…