帰宅する為の車中です。

自分でもこれ程涙が出るのか?と驚く程泣いた…
親や人を信じなくなった私にとって、拠り所であり心を取り戻してくれた人達…
感情が止まらなかったのも仕方がない事だったのだと思いたい。

火葬場で遺骨を拾う事も同席させて貰え、御住職の奥さんに「母さんあのね…」自然と出た言葉に自身で驚きを隠せなかったが、周りに居た皆んながさも当たり前のように、母と言う響きを聞き流してくれた。
だがそれ以上に驚かされたのが、「分かってますよ…」と薬瓶程の骨壷を持参していて、「お前も預かってくれるのでしょ?」と言いながら、分骨を許してくれた事だった。

この人達は何故ここまでも私を理解してくれるのだろう…
また泣きながら頷く事しか出来なくなった。

本当は昨日帰るつもりだったが、懐かしい人達が一席設けてくれて、帰宅を一日延ばした。
教会や神社の関係者の面々、中学の時私の為に涙を流してくれた友達の母、私の生い立ちを知りながら、そこには触れず友でいてくれたクラスメイト…

人って有難い…
そこまでの意図が有ったのか分からないが、折れた心を立ち直らす切っ掛けにはじゅうぶんな時間…

今日の帰りしなに別れの挨拶の時に言葉を貰い、また泣いた…
「死や別れは、親の最期の教えなのだろう。」
「私達はまだお前にそれを教えるわけにはいかないがね。」
「お前が暮らしていける、生きていける、それだけで私達はじゅうぶんだ。」
「息子よ元気でな。」

父さん…母さん…とこの数日で初めて声にした…
亡き御住職に父さんと呼べなかった事を恥じた…
恥じた事は言葉にしないのに、「分かってる…」そう御住職の奥さんに抱きしめられた。

幼かった私…今の私…私の人生を救い拾い上げてくれた人達に恥じない生き方をする自信は無いけど、諦めず忘れる事なく生きて行こうと思わされた。

人は1人でもいい、自分を理解してくれる人が居たら、きっと心は保てていける。

子供の頃の私を知る人達には、決まりきったように可哀想…と言われたが、私はきっと幸せだったのだと思う。
父や母と想える人が3組も居た事…きっと人の3倍幸せだったと思う。
ただただありがとう…それしか言葉は残せない。


コメントを頂いた方々、訪問して頂いた方々、返信・御礼無く申し訳有りません。

御心配して頂いた有難い御言葉、本当に感謝致します。
もう少しだけ心が落ち着いたら、以前と変わらぬ形で復帰したいと思います。