ここ最近、自分の体の事をあらためて考える事がちょいちょい有った。
この時期に、それを考え思い返すのは、もはや必然なのだろうか?

少しずつ忘れてしまう記憶…
忘れてはいけない想いの為にも、今の思いを書き残しておこうと思う。

私の家の冷蔵庫…
開ければ目に付く位置に、1枚のチョコレートがジップロックで封をされ、14年ほど居続けています。
私への戒めの為に…
そして励ましの為に…

私は15年ほど医療事務として、東京都内の某二次救急病院に勤務していました。
一貫して救急外来の受付などに従事していたのですが、元々は某医療派遣会社から入り、勤め先の病院スタッフの推薦を頂き、その病院の正規職員にして貰いました。
正規職員に成って2年目の冬の話です。

気付けば夜勤Onlyに成ってしまって、午後5時から朝9時までの勤務を週5日、下手すりゃ15連勤とか8連勤+最終日は夜勤日勤夜勤とぶっ続け…
救急はドクターやナースもそうだが、事務職も成り手が少なくて、その日は珍しく副医院長が夜勤についていて、私に「お前はいつ寝てるんだ!」と言ってくるので、「だったら予算付けて人増やせ!」って、半笑いで自虐的な馬鹿話をしてた夜だった。

その頃から東京都を始めとした一部の地域で、病院と救急車を結ぶ端末が普及しだしていて、救急車からどこの病院は外科系は何科が診察可能?とか、受け入れ可能?とかが分かる様に成っていて、その夜は急性アルコール中毒が集中し、満床になった為診察不可と端末を閉じていた。

患者さん達は点滴終了までの待ちで、安定をしていた為、今の内に休憩を取ろうって話になった、喫煙の為に喫煙所に向かう道すがら、深夜の売店前のロビーに1人の少女がいた。

ぱっと見は小学生に見える少女、リストバンドと点滴台で入院患者だというのは一目瞭然、「眠れないの?」と声を掛け、「うん」と応えるその子に、「眠くなったらお部屋に帰ろうね」と声を掛け、帰りにまた様子を見ようとその場を去ろうとした時に、点滴に追記された薬剤名で、ほっといてはいけないと気付く。

初対面でドクターでもナースでも無い身なりの者に、どうこうされても不安にさせるかも知れない慌てる仕草も厳禁だ、そう思い少し早足で喫煙所に向かい喫煙所から急ぎ救急のナースに電話を入れ、小児病棟で患者を探してないか確認させる様に事情を伝える。
やはり病棟でも探していた様で、連絡を受けた病棟ナースが迎えに来て事なきを得た。
それがその子との出会いでした。

翌日から夜になるとその子が救急をウロウロする様になった、困った事に病棟ナースも、何処にいるか分からないより遥かに良い、邪魔をしないなら居させてあげて♪と、呑気な話だなと思った。
そんな状態が続き、時間が空けば話し相手になってあげてたら、慕われていたのが分かってくる。
下手すりゃ娘?やはり妹?そんな年代の少女…
彼女は中1に成ったばかりだが、小6の初めから入院しっぱなしで、中学校には一度も登校した事もなく、新たな友達も作る遑が無かったので、お見舞いもご家族だけに成っていってた…
そんな生活の中で、私との出会いはちょっとした刺激?新たな話し相手、遊び相手に成ったのかもしれない。
そんな生活が3ヶ月目に入ろうとした頃、1月の終わり頃彼女が来なかった。

珍しい、今日は寝れてるのかな?、そう思いながらも何処と無く不安がよぎり、本来担当外の科の患者カルテを興味本位に覗くのは禁止だが、電子カルテで確認をした時、そこに記載されてる急変を現す治療内容に愕然とした。
時を置かずドクター・ナース専用のPHSが鳴り、仲の良かったナースが険しい表情で、すぐに彼女の病棟に行けと急き立てた。

応える間も無く、後を頼むと相方の事務員に頼み病室に向かう。
個室には御両親と担当ナースとドクター、顔見知りで仲の良かったドクターが、私の手を引き彼女の横で手をとってやれと伝えて来た。
会釈と言うよりも、私にお辞儀をする御両親…
彼女やご両親の希望だと伝えられ、ベッドサイドの椅子に腰掛け手をとった。
弱々しく力無い手…状況を理解するにはじゅうぶんだった。

声を出すのもやっとだろう…ユックリと…でも急ぐ様に…
「お兄ちゃん…あの…」それが最後の言葉だった…
私が彼女との最後の時間は5分と無かった…

御両親も側にいたのに、私が看取ってしまった心苦しさ…そんな心境の中ナースに促され職場に戻った。
余程の表情をしていたのかも知れない、救急のスタッフは何も聞かず、ドクター用の仮眠室で休んでなと手を引いてくれた。
優しさが嬉しかったが、ただ呆然としていた中で夜が明けだした頃、母親が呼んでいると言われ受付に戻った。
母親から手渡された包み…病室で一生懸命包んだのであろう包装紙、「娘からです。ありがとうございました」その言葉に何も言葉が出ず、ただお辞儀をする事しか出来なかった。
勤務を開け帰宅して包みを開けると、慎重に剥がしたのが分かる病院の売店の値札の名残が残る、ロッテのクランキーチョコの板チョコ…
いつか好きなチョコを聞かれて答えたっけ…

長く勤めた中で、あの日程泣いた日も、あの日程酒を浴びる様に飲んだ日も無い…

今身体に不自由を抱え、嫌になる事もうんざりする事も多々ある…
でも嫌だと思う事も、うんざりする事も、生きているからこそ感じられる。
生きているからこそ意味がある、それが良い事でも辛い事でも…

「元気に成ったら何がしたい?」そういつか聞いた事に、彼女が答えた「う〜んとね…普通の事、学校に行ったり、皆んなとお話ししたり。」私に答えた彼女の目が今でも思い出させる。

生きている…その背景に何が有っても、普通に暮らせる…
それがどんなに凄く愛おしい事なのか…
それを教えてくれた彼女と、それを伝え続ける包まれたままのチョコレート…

例えどんなに辛かろうと、生きていればきっと…
だから私は今日も笑って行ける…
きっと明日も…