こんにちは✨

今日も、日々ふと思ったことを

やっと纏めれたのでアップしようと思います照れキラキラ





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わたしは、お家はいつも、そこに住む人達を守ってくれていると思っている。

だから、いつも出掛けるときは、

『いってきます!』と一緒に『お家のことよろしくね✨』と伝えて

お出掛けする。


帰宅したら、いつも

『ただーいま!』とともに『ありがとう~✨』って伝える。





わたしは、道を決めずに出掛けるちょっとしたウォーキングを

することが多い。

その一つに、たまに通る昔ながらの細い道がある。

その道を通るたびに思うことがある。

その道には、立派な日本建築の、人の住まなくなった家がある。

土壁はあらわになり、崩れているところもある。


人が住まなくなったお家は、

なぜこんなにもガタガタになるのが早いんだろうか?と。

(いや、早くはないかも。結構な年月は経っている。)

人の住まなくなった家は、土に還ろうとする働きが

動き出すのだすのではないかと勝手に思っている。

(今は土には還らない家も多いから

その辺りのことはよく分からないけど。)


その家が目に入るたびに

『壁の中はこんな風に自然のモノで出来上がってるんだ!!!』

『この土壁は、ちゃんと自然の呼吸をしてるんだなぁ』

という氣持ちとともに、美しいなぁとさえ思ってしまう。

個人的に朽ち果てる様って、怖いものかと思っていたけど、

何だかとてもパワフルで、自然の循環ってスゴいなぁとさえ思ったりする。


その家は、今となっては、庭に群生している

植物ちゃんたち(雑草とも言う)の方がよっぽどパワフルである。

土にも微生物が住み、

土壁や木材、瓦などにも微生物はいるのだろう。

そのコたちが頑張ってるんだなぁと思う。


風化といわれる進化?(進行だけど)、

その裏側の素晴らしき働きに感動したりもする。


わたしは、日本家屋(日本建築)はとても美しいと思うし、とても好きだ。

職人の技が際立っているから。

すべての生きた素材がうまく連携をとれるように

計算し尽くされた作りに感動する。


昔、お家を介護仕様にする時に

歳を重ねられた左官職人さんが来てくださったことがあった。

(車イスのためのスロープを作るため。)

その時に、その職人さんが、家を建てる時の、

壁の材料とかの話をしてくださったことがあって、

興味深く聞いたことがあって。

先人たちから受け継ぐ技や知恵はすごいのだなぁと思った。


美しいがゆえに、生きているゆえに、使わなくなったら

土に還っていこうとする力も凄まじいのだろうなとも思う。

それは、自然から分けてもらった物質がそこかしこに

使われているからでないかと思っている。

昔の家と言ったら、土間に土壁に柱を思い浮かべる。

(建物になるまでの先人たちの知恵はやっぱりすごいなぁと思う。

昔の建築には昔の建築の素晴らしいところ、

今の建築には今の建築の素晴らしいところがある。

そして、その逆もしかり。

どちらがどうってことではない。)



いつもの通りあせるあせるあせる

何だか話がズレているように思われるかもしれないけど、

そんなことないですあせるあせるあせる


話を進める上で、必要な部分なので。




さて、人が住んでいる家と

人が住んでいない家の違い。


お家の場合は

【守る対象がいる、またはその対象がいないか】

なのではないかと思う。

お家(お家だけでなく、物質は)

やっぱり、使ってこその世界なのだろうと思う。


お家にとっての栄養剤は、人との関わりなのだと思う。

声の振動。

體の振動。

そして建物の振動。

建物と人との共振共鳴。

そして、人の手が入る掃除という名のメンテナンス。


そして、昔からの家でも、今の家でも、

微生物は存在していると思っている。

(上記でも書きましたが。)


すべてが関連し合いお家は成り立っていると思う。


お家は、人とともに生きている。

わたしはそう思うのである。

人が體の細胞ちゃんたちに支えられて生きているように。

やっぱり大宇宙は小宇宙と同じだと思うし、

わたしたちは宇宙の一部であり、宇宙そのものだと思うのである。




お家があるのは今の時代は当たり前だけれど、

それによって人は安心して生きてこれているのだなぁとも思う。







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今日もこうして目を通してくださった皆さん、

ありがとうございます照れクローバー