こんにちは
暦上では、もう秋に入っていますが、
毎日暑いですね。
朝晩は肌寒い日もありますが
皆さんいかがお過ごしですか
私は、せっせと水分とミネラルを補給をしながら、
日々を過ごしています
現在、在宅介護中の中休みに入り、
肉体疲労と精神疲労を整え中
今日は、在宅介護に入る前のとある日、
すごく抹茶が飲みたくなり、
久しぶりに飲むことにして、
抹茶を点てている時に、
ふと思ったことを備忘録として書こうと思います
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私は、人は、ふとした瞬間に瞑想していると思っている。
(自覚してるかしてないかは不明。)
いつ、そうなっているかは、人それぞれ。
私の場合は、野菜を切っていたり(特に根菜類。けど、お野菜全般)🥕🧅🥔、
お抹茶を点てていたり、お花を生けていたり、
硯にお水を入れて擦って墨を作っていたりする時、
そして、もちろんモノ作りをしてる時。
(今思い付くのはこれだけだけど、他にもあると思う)
私は、ずっと香りと音で瞑想状態になると思っていた。
(少なくとも、私の場合であって、
他の人でも同じ状態で瞑想状態になるかどうかは分かりません。)
そして、とある日、抹茶を点てているときに、ふと思ったのだ。
お抹茶のもとは茶葉。
茶葉はお茶の木から摘んで作っている。
ということは、
根があるモノから摘んでいるということ。
お野菜も土と関わりは深い。
お花も土との関わりが深い。
墨に関しては、また別物なので、下記に記載。
私自身、植物ちゃんの力を借りてモノ作りをしている。
もちろん、植物ちゃんも土に深い関わりがある。
私は私の性質上、グラウディングというものが、
もともと苦手なところがあり、私は一般的に言われている
瞑想というものが苦手というより出来ません。
本に書いてるやり方でも
人に誘導してもらうやり方でも
余計な意識が働いてしまって、
ちっとも出来ないのです。
(稀に例外もあり)
で、私は、瞑想は出来ないんだと思っていましたが、
ある時、私には私の体に合った瞑想を
無意識にしてるのだということに氣づきました。
人は、すべての人がみんな同じ人間ですが(分類としては)、
一人一人をみた時には、全く別物。
なので、みんなと同じ方向を向かなくても良いし、
そのやり方がすべてではないと思っている。
究極論でいったら、すべての人のやり方が
個々に違っている方が自然だとさえ思います。
(瞑想をするという行為をするとして、
その過程がみんな微妙に違ったりするもするし、
まったく違う場合もある、そんな感じ。)
出来ないからといって自分を責める必要もない。
私は、そう思っている。
話は反れましたが、私は、グラウディングが苦手で、
空間に漂う色んなものに瞬時に反応してしまうようで、
一般に言われるところの瞑想は、
私にとってとても危険な行為なのだと認識しています。
(だからこそ、出来なかったというか。)
私が瞑想できる状態というのは、
そこに人は介せず、大地と関わりの深い植物ちゃんたちの力を借りて
瞑想状態になれているのだなぁということ。
さて墨の件ですが、墨は少し毛色が違いまして。。。
(私は、自分がどういう状態の時に
瞑想している状態になっているのかを知りたくて調べたのです。
私は自分を知るってとても大切だと思っていて。)
墨の原料は
「煤(すす)」
「膠(にかわ)」
「香料」
の3つの材料から作られるそうで、
煤と溶かした膠を練り合わせたのち、
香料を入れて、木型に入れて乾燥したものが
固まったものが墨。
詳しくは省きますが、
膠の独特の臭いを消すために香料を使い、
この香料は、墨の磨き手の心を落ち着かせる
効果もあるようで龍脳や麝香が代表的だそう。
「膠(にかわ)とは、牛皮・馬皮・鹿皮のニベ
(外皮と肉質との中間にある結合組織)や骨などを
煮詰めてコラーゲンなどのタンパク質を抽出し、
それらを乾燥させたもの」のことだそうです。
「膠には墨の製造過程において粉末の煤を固める役割があり、
磨いた墨においては紙の上で煤を安定させる役割(略)」
があるそうです。
(参考にさせていただいたのは株式会社日本製墨書遊さんの
ホームページの読み物コラムの「墨の原料と種類」。
一部抜粋させていただいている部分もあり。)
ちなみに硯は天然石だそう。
(今は、プラスチックの硯あるんだとか)
私は、硯に水を入れ墨で擦る音、
香りが好きです。
まさか、墨に膠が使われているなんて思いもしなかった。
膠には墨作りにおいて必要な役割があるけれど、
それ以外にも、
地に足をつけるために、
個々にぶれない軸を持ち、発信するために
生き物の皮が使われているのではないかと、何となく思いました。
昔は墨を丁寧に磨いて、そこで精神統一してるような状態になって
はじめて文字を書く準備が整う。
私は、陰陽合わせて丸っと1つだと思っているので、
作り出した人にはそれなりの考えがあったのかもだなぁと
私は思っている。
墨は昔から使われているもの。
紙として用いられるものは、植物で(竹やパピルス、和紙)なので
やっぱり、土と深い関わりを持っている。
そう思うと、自分の意志をブレることなく表するアイテムとしては
納得できるな✨と思うここ最近の私なのです。
すこし前まで、私は生き物の皮が使われている墨を扱っているとき
なぜ瞑想状態になってるのか意味が分かりませんでした。
けど、地に足つけたいときは、パクパク食べますし、
たまにジャンクなモノも食べます。
浮きすぎているときに、とる行動にリンクしてるようにも感じ、
腑に落ちて、すべてが繋がったと感じたので、
このブログを書くことにしました。
結局のところ、私は日本の文化としてある
○道と言われるもの(華道・茶道・書道)に、親和性があることも分かりました。
【精神統一出来る場】とも言いかえれるかもしれません。
私は初めて就職した際、
心身不安定になってしまい3ヶ月で止めたのですが
(身体中に蕁麻疹が出来て、とても辛かったです。
そりゃ、自分に合ってなくて元々苦手に近い業種で、
内定書も自分の名前と他の人の名前の書類が手違いで入ってて、
自分の名前も間違えて書かれているという中で、
この時点で間違いなくストップがかかってるのに、
周りの人のことを考えて自分の氣持ちを無視して、
行った結果なのですが。。。)
その後、腑抜けになっていたときに、
ご近所さんにある茶華道教室に行っていました。
今はもう辞めていますが、約10年は習っていました。
その時に和の空間の心地よさや技術もそうですが、
ふわふわしやすい私自身がグラウディングしやすい方法を
學んでいたのかもしれません。
植物ちゃんとの関わりは、
私にとってはグラウディングにもなっているのだと思います
今となっては、すべての点が線に繋がるので、
今の私にとってすべては必要な経験だったんだなと思っています。
今日も何だか人によっては、不思議な内容かもしれませんし、
何だか文章が纏まってないようにも思いますが、
私の心の備忘録としてブログに残しておこうと思います。
(これは私の中での感覚なので、すべての人にとって
そうとは限らないとも思います。
人は同じ人類とは言えど、個々に違ってもイイのだ)
☆.。.:*・゜☆.:*・゜☆.。.:*・゜☆.:*・゜☆.。.:*
今日もブログに目を通してくださった皆さん、
ありがとうございます