こんにちは
今日も暑いですね
下書きをしていた文章をやっと
もう1つ纏められたので、備忘録として投稿します
(正確には、前回と同様で纏めれていません
なので、話がズレたりしてるところもあります。)
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2月程前、在宅介護の後、時間が出来たので
信貴山の朝護孫子寺にお参りにいきました。
私は今年の頭に風邪を引いてから、体力が落ちたと感じていて、
本殿に到着するまでに、なだらかな坂や階段が続くのですが、
本殿に着く頃には結構肉体的に疲れて、はぁはぁ(;´Д`)言っていました。
(風邪をひいた後に、白髪が増え
抜け毛が衝撃的なくらい増え
米粉のクッキーを食べたら、歯が欠け
膀胱炎にもなりました
体は正直なので、命に関わらない部分から、
必要な栄養素を抜いて、体に必要な部分へと栄養を補って
くれたんだなぁと思っています
歯も膀胱炎も治療しましたし、今は新たに髪の毛も生えてきてます
髪も歯も膀胱も全部、五行色体表の【水】のエリアだ。。。と、
さとったのは言うまでもありません。)
本殿の受付で、ご祈祷のお願いをし、次のご祈祷をするまで時間があったので、
内陣ではないけれど、毘沙門天様が見える場所に座らせてもらって、
お礼と近況報告とお参りさせてもらった理由をお話ししました。
本殿に到着する前にお札をお返しする場所で頂いていたお守りをお返ししたので、
ご祈祷まで時間があったので、そのお守りと同じお守りを頂こうと、
一旦外に出て、お守りが並んでいる場所に向かいました。
私が頂きたいと思っていたお守りを
探し始めようとしたのと同時ぐらいに
近くにいたスズメバチが目にはいり
それと同じくして近くにいたお子さん連れのご家族さんが
『さっきからお守りの辺りに蜂がいるんです💦』と
教えてくださいました。
お守りを担当されているお寺の方に、
『スズメ蜂がそこに1匹いるので扉閉めた方がいいと思います!』とお伝えし、
自分が頂きたいお守りを扉の隙間からお渡しし、
『中でお代お支払しますので』とお伝えして、
ご祈祷受付のお部屋に戻りました。
(お守りを扉の隙間から、お寺の方に渡した時には、
スズメバチは、お寺の屋根の方に上昇して行きました。)
さて、お部屋に戻ると、私が先程渡したお守りは台の上にのせられていて、
『ご祈祷の際に一緒にあげさせていただきますね』と、
ご祈祷の受付を担当してくださった女性の方がおっしゃってくださって、
そんなこともあるんだととても有難い気持ちでいっぱいになりました。
(その女性は私の住んでいる地域の近くで、
場所を言われればわかる場所にお住まいで、
『もしかしたら、どこかでお会いしてるかもしれませんね💡』
とお話ししながら、ご祈祷の申込用紙に記入させてもらったのがつい先程)
ご祈祷が始まる前の何分か前に内陣にご案内してくださって、
誰もいない空間で静かに過ごすことが出来ました。
スズメバチがあらわれたときは、『げっ』と一瞬ひるみましたが、
そのホンの少しの間に、色んなことが散りばめられていて、
心がジンワリ暖かくなりました
もし、【げっ】と感じるようなことがあっても、
それは本当にたどり着くべきところに流れ着くために
必要な出来事の場合もあるなのだと感じました。
ただ、危機を感じたらやっぱり逃げるに限ります
それも大事
(私は以前、蜂に刺されて、
その部分が陥没したことがあり
蜂はとてつもなく恐怖でしかない存在なのです。
けど、お寺で見たその蜂に対しては(一瞬ひるみましたが)
結構冷静で、そこまで恐怖を感じず、
自分を俯瞰して見ているもう一人の私がそこにはいました。
「念のため、お守りの受付の扉、閉めてもらった方が安全よね💡」とか、
「あっー、この蜂、超デカイけど、色の薄めな子だな💡」とか、
「蜂のお尻ぷりっとしてるな💡」とか、
怖いわりに、そんなことを思ってる私がいました。)
スズメバチがそこにいなかったら、私は外でお守りのお代をお支払していたわけで、
その時点で、お守りは自分の手元に来るので、
ご祈祷の際に内陣には一緒に中に入ることが出来ますが、
ご祈祷のお札と一緒に、お坊さんにご祈祷していただけないわけです。
なんともありがたい流れに、私の対応をして下さったお寺の人たちと
毘沙門天様のお計らいに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
最近、瞬時に意図(流れ)みたいなものが腑に落ちるときがあって
何か個人的にイヤなことだなと思っても、それは感情としての事実かもしれないけど、
起こっている物事としては、ただそこにあるだけなんだなと思います。
最近は私にとっての真実に繋がるまでの時間の枠が外れて、
ポンと答えがくるイメージです。
また、少し話はズレますが、
私は介護をしてきて7年。その中で色んな思いを経験しました。
何でこんなことになってるんだろうとか、怖い
と思うことも、
辛いと思うことも、不安
も、可能性
も、楽しみ
も、喜び
も、
人が体験する感情の旅をしっかりイマココにいて
イマココの感情として体験していたように思います。
ただ、感情を感情としてしっかり感じてるうちに、
その感情の奥にある核の部分も分かるようになってきたり、
それがおこっている私にとっての真実も分かるようになってきたと思っています。
それに本当に色んな感情があるけれど、
人って、本当に豊かな存在だなとも感じていて。
人間の感情は色んなことに気づくための宝の宝庫💡とも
最近は感じています。
今までは長期のスパンだったから、
何気に理解が柔らかなオブラートに包まれながら腑に落とすので
そこまでのインパクトはないけれど(腑に落ちる瞬間は分かります)、
ホンの一瞬の出来事で、ポン❗️と一瞬で理解できることもあるのだと、
今回の出来事でも感じました。
そして、更に話はズレますが
私は今年、算命学では洩気が強く、体力が落ちても仕方ないのかもしれません。
でも、それは個々に与えられた自然な流れだから仕方なく。
けど、私は人で、どうしても不安になっちゃうので、お参りさせていただいたんです。
やっぱり算命学を習っていると辛辣な言葉もあり、
自分の命式が分かるようになると不安になることもあったり。
けど、その辛辣な言葉の裏にも、最近はとても大きな愛を感じたりもし、
そこまで恐れることもないのかもと思うようになってきました。
言葉って不思議なもので、1音1音でも意味があり、
またその連なりが言霊となり、そして、個々の発する言葉でも意味が違ってきたりする。
それは、個々の放つ周波数や意識が違うからだろうなと思います。
幾重にも重なった周波数が重なり合い混じり合い、
その人独自のモノになってるんだろうと思います
(ブログを書こうとすると、色々と文章が増えていってしまって、
そして題と合わなくなってしまうので、いつも文を纏めるのが大変で
今回も前回に引き続き、そのまま繋げて投稿することにしました)
前回のブログでも書いたのですが、
今年は命式が色んな変化をおこし、火でボーボー。
6月は命式の社会の場所で律音が3つ、自分の場所で天剋地沖が3つ重なっていました。
(日も入れると4つ重なる日もありました。)
もともと社会の場所と自分の場所で天剋地沖もあります。
そんな私に寄り添い護ってくださっているのだなぁと、
有難い気持ちでいっぱいになりました。
私がつくづく思うのは、人は一人では生きていくことは出来ず、
お互いが支えあって生きてるのだということ。
それに、やはりそこには目に見えない存在の支えもあると感じています。
人はみんな、目に見える存在にも、
目に見えない存在にも支えられてる。
そしてその人を表す命式にも支えられていて。
この肉体と魂がビシッとドッキングした状態で
生かされてるんだなと思います。
自分自身の人生を振り返っても、
見えないけど、確かに暖かな存在に護っていただいてるという体感はあります。
そして、生かされてるといつも思います。
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私は、毘沙門天様のことが大好きで、
ご祈祷をしてくださる空間も、読経の響きも、
仏具が奏でる音の響きもとても好きで、
いつお参りさせてもらっても、ウルウルします。
そして、体のすべての細胞がぶるぶる振動していて
活性化してるようにも感じています。
とにかく空間もそうですが、響きがとても好きなのです。
こうして、お参りさせてもらえること自体が、私の喜びなのだなぁと思います。
そして、今日(7/10)気づいたのですが、毘沙門天さまは北方を護る神様。
算命学でいうと北は水を表したりもします。
それに気づいて、命式が火でボーボーになっている私を
護ってくださってるんだなって、あらためて感じました。
今の私にとって、水のエネルギーはとってもありがたいのです。
自分を生み出してくれますし、
火の勢いも押さえてくれますし。
火と水は、
水火の激突とも言われてますが、
私は水も火も神聖なモノだと感じていて。
(他の五行の木や土や金も神聖なモノだと思っていますが。)
水は浄化、火も浄化。
私の中で、まだ言葉に出きるような感じでもないのですが、
違う次元でみたら、また違ったように見えるのだろうなと。
そして陰と陽みたいな感じで丸っと1つなのだろうなと
感じている私なのでした。
結局、纏めきれず、あちらこちらと話が飛んでしまいました
そして、お題と文章の内容も合ってないかもです
そんな中、最後までお読みくださった皆さん、
本当にありがとうございます