こんにちは照れキラキラ


毎日暑いですねあせる


なかなか纏めることができていない、下書きのブログ。


今年は特に何をするにも知らず知らずにエネルギーがいるショボーンあせる

(私、算命学的にみて今年、洩気なのです。

今は夏で火性の時期。宿命が後天運の加減で火でボーボーになってる上、

陽占で守護神的な行動をしようにもそれも火のエネルギーなのだ。)


やっと1つ纏めれたからアップします照れひらめき電球


纏めたとはいえ、話がアチコチ飛んだり、

ズレたりしてるところも多々あるのですがショボーンあせる

根底にある伝えたいことは同じということで

読んでもらえると嬉しいです。


 

 

 

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ニ月ほど前、テレビを耳で聞いていたら、

何だかオリーブという言葉が耳に入ってきました。

(コロ○前に海外を取材して、

その地方の自然や伝統的なことを特集している番組の再放送だったようなパソコン)


それと同時に、先人達は、その場その場で生きるために、

敬意をはらい、その土地にあるものを大切に扱ってきたのだ

という意識が入ってきました。

食べるものとしても道具としても。


そこには、何がイイとかワルいなんていう概念さえもない、

その土地や地域の人たちが時代をこえて

大切に大切に育まれてきたモノがそこにあるように感じて

心がふるえました。


現代は、イマココにないものも、あちこちから取り寄せて、

好きなように食することが出来る。

今の時代だからこそ出来るとても素晴らしいことでもあるキラキラ


けど、それと同時に、あーだこーだと意見もしたりするひらめき電球

それは、今だからこそ解明されていることであったりもする。

(栄養がどうとか、酸化するからどうとか色々)


確かにそうかもしれないけど、

そこには、食べ物としても、モノとしても大切にされていた

そこにある本当に大切なことが

何も包括されていないなと少し悲しくもある。


事実として発信されているのは確かかもしれない。

でも、それだけではないのも事実だと私は思っている。

(この○報化社会、すべてが正しい情報ではないとも思っている)



それこそ、縄文時代のような頃は、きっと争いという争いはなく、

すべてを大切に感謝しながら日々を過ごしていたんだろうなと思う。

(感謝という概念もないくらい、宇宙と一体になって

そこに何のズレもなく過ごしていたのだろうなと思う)



私は、この世に存在するすべてのものは

危機を感じると、それなりの物質が作られるようになっていると思っている。

(人でもハッピーなことがあったらハッピーな物質が体内で生産されるのと同じ。

この世界は陰陽両方存在し、それで丸っと1つなのだ。

本来はそこにイイもワルいもないと思っている。)


虫に葉っぱを食べられた植物もそうだし、

人が畑で育てた植物を収穫する時もそう、

海の恵みや、動物に関しても同じだと思っている。

ストレスをあえて与えることで大きく育つ植物もあったりするとも思う。

人も怪我をしたりすると体内でストレス物質といわれるものを

生産するのと同じように。


人の体の中でも、持続的に続くような過度なストレスは

副腎が疲れるということを知ったのは、

看病や介護で心身ともに疲弊していた

祖母の在宅看病介護時。

(適度なストレスはイイといわれますよねキラキラ

なのでその物質自体にイイもワルいも本来ないのだと思います。

ただ必要だから存在してるだけ。)



食事を頂くとき(お野菜、お肉、お魚など)

個々にとって必要な栄養素も違うから

不要な部分は排出される。

(ちなみに私は、オ○クはあまり食べません。

口の中が変な感じになるのです。

食べたいと思わない理由には色々ありますが、

そのうちの理由の1つに、

多分、私にとっては分解するのに肝臓に負担がかかりやすい食材だからだなと感じていて、

私の肉体には消化吸収解毒していく上で、

付加がかかるのだなとも、今は思っています。)


口にいれるということは

消化→分解→吸収→解毒をして、

個々にとって不要な部分は排泄されることになる。

(個々にとって、合うもの合わないものがあり、

臓器の強さも人それぞれ。

また、霊的に敏感な人は、

体に合わないものにも、空間にも敏感なので

臓器の強弱に関わらず体から出そうという働きが強いと感じている。

それがイイとかワルいとかではなく、

個々の体にとって必要なことを体が最大限してくれている

結果であると思っている。)



また、日本人の所作として当たり前にある

食べる前には、両手を合わせて【いただきます】、

食べた後には両手を合わせて【ごちそうさま】という行為も

大切に感じている。


私は、幼少の頃に、【食べ物は、自然や、作って下さってる人たち、

そこに関わってくださるすべての人たち、

そして食べ物にありがとうの気持ちをこめて、

手を合わせて頂きますって言うんだよ✨】と教えてもらった。

だから、この【いただきます】や【ごちそうさま】という言霊が、

自然にも、作り手さんにも、野菜や動物たちにも、

そこに関わって下さっているすべての存在にも

届いていると思っている。

(そう思うと、日本人が日々当たり前にしている所作には

意味があるように思えてならないですし、

大体は1日3食として、1日に3回の【いただきます】。

1月では90回。1年で1080回も言ってることになります。

当たり前に習慣化されている世界ってすごい照れキラキラ)


さらには、人にとって合わない物質があったとしても、

それが害にならないよう軽減するように働いて

くれているいるだろうし、良い部分はより良く

働いてくれてるんだろうなとも勝手に思ったりしている。



ただ、人によって解毒をしてくれる臓器(肝臓や腎臓)の強さも

関わってると思っているので、

体への出ない出やすいは、人それぞれなんだなと感じている。

もちろんアレルギーなどがあって、肉体に出るものは、

【この成分は合わないから体に入れないでひらめき電球】という

体からのSOSなんだろうと思っている。


摂取する食べ物が摂取した人にとって合ったり合わなかったり、

個々によって消化や解毒のスピード、排出の精度、

必要な栄養素が異なったり

色々あるのは確かだと思っている。

人として分類はされていても、同じではないのだ。


最近、食べ物に関するヨシアシとかは、個人的にすごく違和感を感じていて、

メディアでは、良いか悪いか両極端すぎるところがあると感じるので、

それも1つのデータとして、俯瞰しながら眺めている。

それが自分に合うか合わないかはまた別の問題。


人が自分達が作り出したものについて議論するのは良いことだとも思う。

(それはより良くいきるために日々知恵を活かしているとも言えるから。)

ただ、恩恵にあずかってきたことも、

現在進行形で恩恵にあずかっているのも事実。

これからどうすべきか、自分にとって何が必要なのかを考えていく方が、

大切だなと思う。


私は、時代の流れのなかで、人が作り出したものも、

色んな想いがあったから形になったと思っている。

(良い意味で。その後色んな事が付加されていくイメージ。

人がオギャーと生まれてから成長していく過程での

魂に似ているのかもひらめき電球と思ったりする)


先人からの想いもそうだけど、

人という生き物が進化してきて

色んな想いとともに今があるのだと思うが、

後世に引き継いでいきたいと思う

大切な想いは、引き継いでいきたいなと心底思う。





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冒頭にも書いたように、纏まりのない文章になってしまいましたあせる

いつも心で感じたことをそのままポンピンクハートキラキラ右矢印ピンクハートキラキラと伝えれたらなぁと

思うのだけど、なかなかでしてショボーンあせる



今日もブログにお付き合いくださった皆さん、

本当にありがとうございます照れキラキラ