葬式と同時に、新たな不安要素が出てきた。

そう、福島原発だ。

これには参った。
水素爆発、格納容器破損、燃料棒むきだし、使用済燃料棒プール。
まぁ次から次へと。

いろいろあるんだろうが、水の注水の遅さには苛立った。
隊員の命掛けの活動は素晴らしいと思う。
それには敬意を表す。
だが、地元の人からしたら、早くなんとかしてほしい。

お偉いさんよ、原発に視察には来ないのか?
事件は現場で起きているんだよ。

今や、原乳、野菜、水、いろんな被害が出ている。

早くなんとかしてほしいものだ。


あと、ACのCMにも苛立つ。

え~し~

って言わなくなったからいいけど、

ぽぽぽぽ~ん

あれはやめてくれ。
腹が立つ。


まだまだ状況はよくならないが、辛抱し、いつか普通の生活に戻れるように、みんなで頑張ろう。
普通がどんなに幸せなことか、今回改めてわかりました。

神は、ピンチを乗り越えられる者にしか、ピンチを与えない。

夜中の3時くらいに携帯が鳴った。

母ちゃんからだ。
ばあちゃんが亡くなったとのこと。
びっくりはしなかった。
長くないと聞かされていたからね。

すぐに郡山の病院に向かった。
途中、デカイ会社が潰れていたのには驚いた。
地震の大きさを物語っていた。

病院に着くと、すぐに病室に通された。
顔を見ても、眠ってるようで、全然実感なかった。

ばあちゃんを連れ、ばあちゃんの家に帰り、朝から片付けやらで大忙し。

瓦を変えたり、家具の移動やらで、フル稼動。

ひと段落し、葬儀屋さんの話を聞くと、火葬場、斎場も使える状態じゃないとのこと。
探してみるから時間をくださいと帰って行った。

俺もいったん帰り、夜にもう1度行くと、手配できたらしく、安心した。

その日は16日。
なんの悪戯か、ばあちゃんの誕生日。

ばあちゃん、こんな時に逝くなよ、地震で水も出ない、ちゃんと送ってやれないじゃないか。
ましてや、もう少しで74歳じゃないか。

と思った。


いろんな困難があったが、葬儀は無事に終わることができた。

つづく。
地震から、13日経ちました。
今日、やっと水が出るようになりました。
まだ、弱いから、風呂には入れそうにないけど、とりあえず、ひと安心。
地震から、まだ1回しか風呂に入れてません。
夜にでも、入れるようになることを願います。

地震が起きたとき、俺はトラック運転してました。
ちょうど信号待ちしてました。
携帯の地震速報がなり、間もなくでした。
信号やら、電柱が揺れてるのを見ていると、急にハンパじゃなくトラックが揺れだし、崖から土が崩れだした。
めっちゃでけー!
なんて独り言を言い、車を走りだすと、いたる所で、道路が陥没、地割れ、水道破裂。
テレビで見たことあるやつが、目の前で起きてて、直後には、道路はもう渋滞してました。
その辺の家は、瓦が落ち、塀が倒れ、壁が崩れてたり、蔵なんかは傾いてたり、小屋は潰れたり。
俺も早く家に帰りたかったが、電話も繋がらなくなっていた為、社長とも連絡とれなかったから、仕方なく、トラックに積んでいた荷物を下ろしに行き、家に帰れたのは、7時近かった。
須賀川から石川まで、2時間半もかかった。

家に帰ると、普段は車の音で鳴くはずの犬の声が聞こえず、かなり焦った。
生きていた。
よかった。
崩れ落ちた物のなかで、震えていたが、ケガもなく生きていた。

家の中はひっくり返したようにガヂャガヂャ。
壁にはヒビも。
もちろん瓦は落ちていた。

とりあえず、家の中を片付けなければと思い、4時間くらいかかったが、なんとか片付いた。
こんな時、1人はつらい。

飯を食い、風呂に入ろうと思ったが、水が出なかったから、その日は就寝した。

つづく。