「人として在る」ための選択 



Ⅰ. 「何でもないです」


ジアン
「何でもないです。」

これは「大丈夫」という意味ではない。
まだ壊れないために
痛みを最小限の言葉に折りたたんだ状態だ。

大きく傷ついた人だけが
こう小さく言うことができる。


Ⅱ. 「人を知ってしまったら」


ドンフン
「人を知ってしまったら、
その人が何をしても構わない。
俺が知ってる。」

裁かないという宣言。
人を一つの事件として整理しないという態度。

この言葉の前で
ジアンは初めて
説明されなくてもいい人になる。


Ⅲ. 「まず自分が幸せであれ」


ギョムドク
「まず自分が幸せであれ。
お願いだ。」

助言のように聞こえるが、
実際は許可である。

もう耐えなくてもいい、
生きていてもいいという承認。


Ⅳ. 「安らぎに達したか」


ドンフン
「安らぎに達したか?」
ジアン
「はい。」

この会話には感激も涙もない。
生きていることが耐えられる状態になった確認。


Ⅴ. 「ご飯、奢ってください」


ジアン
「ご飯、奢ってください。」

お願いではない。
乞いでもない。

ご飯を食べることは、明日を前提にしていること。
一緒に食べるということは、ひとりではないという合図。

ジアンは生き残ると言わない。
ただ、人に近づく。


Ⅵ. 人を初めて見た瞬間


ジアン
「叔父さんの声、全部好きでした。
叔父さんの言葉、考え、声、全部…
人間」とは何か、初めて分かった気がします。
叔父さんが本当に幸せであってほしいです。」

これは恋の告白ではない。
尊敬でも、依存でもない。

人を人として見た瞬間の記録である。



静かに重なる詩


— 谷川俊太郎 〈生きる〉

“生きているということは
誰かの手を
そっと離さないこと”

言葉なく手を握る瞬間、
「人として在る」ための選択が、いま完結する。