日付:2023/12/19(火)
時刻:am4:30
曲目:ゲートウェイWAVE 7 F23 "囚われ領域"の探索
目的:母について何かあるだろうか
準備のプロセス。
変換ボックスは青い被せ蓋のおもちゃ箱に色々入れる。
リーボールを念入りに作ってF10で待つ。
意外と時間をかけられる。
F12へ。
丘の上。古屋の前。
F15へ。
ツリーハウスの梯子を登ってデッキへ。
F21へ。
デッキにはでかい植木鉢がある。そこから豆の木がニョキニョキ伸びる。下の方へ飛びついて登ろうとすると、ニョキニョキとつるが伸びるので頑張らなくても捕まっていればいい。雲の上にでる。草原の川の前の、カーテンのような透明な幕をぬけて、まるの日カフェを拝借。
テラス席にいけばいいのかな。F23への見学のはずなんで。
すたっっっっっふうううーーーー
と呼んでみて、
「すみません、F23の見学をしたいのですが、ここからいけますか?」
と萌え系の女の子の店員さんに聞くと
こちらですと案内してしてくれる。
カフェの中から行けるようだ。
ナレーションでF22の説明が軽く入る。
生きているけど依存症とかの人がいるところだって。
エレベータから、廊下に出る。そこは見学者用のエリアで、丸窓がついている。丸窓の一つをのぞくと、皿を割っては「あいつのせいだ」といって怒ってずっと割っている人がいた気がした。
ナレーションでF23へ案内される。死後の過渡的な現実だって。
エレベーターでF23階へ。
廊下に出る。また見学用の丸窓。
母について何か、私に見せたいものはありますか
と自分の意識の中に?といかけて丸窓をのぞく。
実家・・・私が18歳以降に住んでいた、新築の家。
白木の床、壁でバリアフリーで、広くて安全な家。
(現実世界の今は、もう人手に渡っている)
母が
体の不自由な痩せ細った母が
脳梗塞による右半身麻痺で体が傾いて揺れながら歩く
患側の手がぶらぶらして、杖代わりにワゴンを押して歩く母がいる
日中は2Fの1フロア丸々LDKになっているところでテレビを見て過ごす時間が多い。
ダイニングテーブルのところで、当時の比率は15インチというサイズの小さいテレビがあった。それがキッチンカウンターのところにおいてあって、見たくもないテレビをみている。テレビを見るしかない。無表情。退屈感。自分で何かするという発想はとうに失せている。
誰も助けてくれない。どうして私だけがこんな目に合うのか。
何かを恨んでいる。
1Fで日中転倒して、動けなくなった場面が見える。
ポジションが悪く、起き上がれない。綺麗な仰向けから始めれば自分で起き上がれるのだが、転倒したために患側が変な位置にあって動かせなかったのだろう。
絶望感。怒り。神への。運命への。身体への。家族への。
鬼の形相に見える。
言語障害もあるから、感情を言い表すことができない。あの時期、母の話す言葉は、ほぼ指示語しか出てこなかった。
引き込まれすぎないように、カフェのスタッフさんが窓を感じさせてくれる。右の頭がズキズキ痛んだ。
時間が余るのだが、これ以上見たくない。ナレーションを待つ。
F21へ戻ります、とナレーションが入る。
感情はここに置いていくのだというので、見学用の廊下に大きなゴミ箱(集合住宅にあるような、ゴミ置き場のような)があるので、そこに全部置いていく。
22、21とナレーションが入り、カフェへ戻る。
お疲れ様でしたーと案内してくれていた萌えキャラの女の子がホットルイボスティーとスノーボールクッキーのようなものを出してくれる。
F21の雲の上にもどって、豆の木に捕まる。
F15へ戻る。豆の木が縮む。
F12、F10,
カウントダウン。
———
追記。
母はこのとき45,6歳のはず。あの家はエレベーターもあった。
他でも書いたけど、最初の脳梗塞は母は39才。父は46才、姉は13才、私は12才。全体的に、一般的に介護や障害を経験する年齢としては家族みんなが若すぎる。
心の師匠のまるの日さん(私が勝手に師匠と思っているだけ。弟子ではない)によれば、亡くなればみんな誰しも成仏している。囚われているのは、こっち。見る方なんだとか。
あとでメルマガを読み返すと、ここに光る目印を置いてくるとよかったみたいだ。
もう三十年くらい経つのに未だに未消化の経験。
何個かあとの曲でレトリーバルがあるようだけど、できるといいなあ。
それと、先に進める前にいったんF21に自分の場所を作っておこうかな。誰も彼も飲食店だもんな。公共の場で飲食店以外になんかいいのあるかな。