ちょっと記録より先に書いておきたいことがある。

 

私の母は56歳で亡くなった。

死亡診断書に書かれた病名は膠原病だけども、直接的に膠原病で亡くなったわけではないと思う。何だか色々病気を重ねて、体がボロボロになっていって、最終的には風を拗らせて死んだ。56歳と言っても、その頃おばあちゃんと間違えられているくらいの老け方だった。

 

膠原病の発症は35歳くらいだったのかな。私も子供だったのでよく知らないけど。

一番大きな要因は、39歳の時に脳梗塞を患い、右半身麻痺と言語障害になってしまったことだった。その時私は12歳。中学にはいった頃だった。確か、障害者1級だったかな。

 

その母と、対面してみようという試み。

 

本当は亡くなった人に会うにはF27がいいという。だけど私の持っているゴーイングホームというCDでは、鳴かず飛ばず、カケラも体験できない。

ブルース・モーエンさんの本にも「F10で会える」とあったし、まるの日圭さんも「F10で自問自答するといい」と仰っているので、それをやってみた。

 

以下、体験内容。

 

 

日付:2023/10/31

時刻:am4:00

曲目:F10フリーフロー

目的:亡き母と会って、病気の理由を知りたい

 

準備のプロセスは、F10だと結構時間があるので、安心してゆっくり行う。内容は略。

 

F10に自分でカウントして到達。

昔の実家を思い浮かべる。

1歳〜18歳ごろまで住んでいた実家。今は解体されて無いけど。

 

引きで見た外観、白い壁、玄関の扉のチョコレートみたいな色と模様、間取りを鮮明に思い起こしていく。

 

ダイニングテーブルに、母が座っている気がした。

なんかしている。化粧しているではないだろうか?

 

お母さん、何してるの?おでかけ?

「だって、今日は私ちゃんが来るっていうから」

笑。化粧いらないでしょ。

会いたかったよお母さん。

 

と、この辺で割と実感を持ったハグができたイメージ。

アイマスクの下で涙が流れてきた。

 

「いつも近くにいるのに分からないんだから」

 

お母さん、息子(母から見て孫)のことはわかる?

 

「わかるわよ!かわいいかわいい孫ちゃん!」

息子(現在5歳)がこのイメージの中に入ってくる。

息子を膝に乗せてキスしまくって笑わせている。

 

(5歳児は結構重いが、物質体ではないのでそういうのは大丈夫らしい)

 

お母さん、どうして、あんなに病気ばかり・・・特に脳梗塞は何でなったの?

お母さんの人生に必要だったの?

お母さんが病気になるって決めてきたの?

 

「お父さんと、姉ちゃんと私ちゃん、みんなで決めたことだよ。あの4人家族が、とても大切な家族」

 

私も、合意したんだね・・・。ごめんだけど、中学の頃のことが今だに辛くって。

理由を聞きたい。

 

「お母さんが一人で家族を作っていて、お母さんだけ頑張っていて、みんなお母さんに頼り切りだった。お金のために働いてもいたし」

 

母は看護師だった。私が子供の頃は、近所のクリニックで働いていた。

 

「みんな人ごとだったのよ。いくらお母さん一人が頑張ってもね。脳梗塞の後は、みんなが家族って何だろうって向き合った」

 

それがさ、何もそんなに早くなくてもさ。ちょっと早すぎない?

 

「いいえ、私ちゃんが小学校を卒業するまで待ってもらった。せめてもう少し大きくなってからって。どれだけ愛していたか、それだけは言っておきたい」

 

わかった。わかるように、務める。

お母さんはいつもどんなとこにいる?F27で会える?

 

「この家はF27にある」

 

どうやって過ごしてるの?あの世の仕事とかあるの?

それとも転生の準備?

 

「まだF27にいる。こどもたちの世話をしたり、奥様方のグループを作って集まってる」

 

この辺りで時間切れ。

 

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これを体験というのかどうか、まだ半信半疑ではあるが。

母の病気に関していくらか納得できた部分がある。

感情も伴っていて、有意義だったなという感じはする。

 

into the lightも、ゴーイングホームも、今ひとつ実感がなかったのだけど

なんか対話できたんじゃ無いかって気がした。

 

どうかなあ。まだなんかよくわからんけど。

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