血糖コントローラーの日々の楽しみ

血糖コントローラーの日々の楽しみ

父も母も糖尿体質。加齢とともにわたしも糖尿病の進行は避けられないのか?

このとりかえのきかない人生に必要な、セルフコントロールの意味を、血糖値を手がかりに日常のあちらこちらに探したいと思います。

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昨日の東京は春の匂いがいっぱい。

いつものスーツを、
ジーンズと薄手の革ジャンに着替えて、


六本木からはじまって、青山、原宿、渋谷と丸1日、そぞろ歩いてきました。

途中では美術館とギャラリーをいくつか覗いたり、

本屋で新刊をチェックしたり、

脱サラした友人のやってる店に久しぶりに行って挨拶、買い物したり。

スタバには、レシートもらって二回(笑)。

スマホを充電できるので、

若い人たちの間に挟まれながら、

最近知り合ったばかりの、
魅力的な女性に、

なぜかメールで謝ったり(笑)。


最後は三宿まで足を伸ばしてbarで一杯。


けっこう歩きました。


これは今わたしが一種の運動中毒な為ですね。

昔から、ほどほど、というのができないたちでした。


青春期には知識を求めて、乱読乱観の時期があったし、

国内、国外を問わず旅にばかり出ていた時期も。

ひとりの女性に夢中になることもしばしばあった。

仕事中毒は今に到るまでずっと、

過食 はつい最近まで。

ギャンブルやニコチンに手を出したことはないけれど、

ワインや日本酒にはまれば、「勉強」を理由に(笑)酒場通い。

だから、

どんな過剰性も、中毒性も、依存性も、

わたしはわらえない。

人が「よく生きる」、ことを求めたら、

必ずある一時期に「過剰」はつきまとうはずだと思う。

そこをよく見ないと、

ネット依存の若者を、
仕事中毒のオヤジが、時間のムダだと罵倒したり、

子育て疲れで、
アルコール中毒の母親が、
ゲーム依存の子供をなじったり、することがこれからも続く。ずっと。


みんなストレスでいっぱいなんだ。



だから、「コントロール」とは、

たとえば、

1食では食べ過ぎてしまうところを1日の幅で考え直したり 、

1日で躓いた人間関係を1年の幅で建て直せばよいのだと考えたり、

一度の罹患を一生の幅で宥めつつ、少しでもうまく生きようとすることだと信じます。

以上、「血糖コントローラー」がお伝えしました(笑)。

















































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