こんにちは。
寒い日が続きますが、皆さまはどうお過ごしでしょうか。私は寒さに弱い人間ですので、ブルブル震えて毎日を暮らしています。エアコンの暖房はありがたいものですね。
さて、タイトルにありますが、文章は難しいということを最近になって思いました。趣味の執筆活動をしていれば、必ず否定的な意見をいただくことがあります。別に嫌ではありませんよ。ご意見を頂けることは、それだけ見てくださってることですから。まぁ、偶に、碌に読んでいないんだろうなと感じるものもありますが。
いただいた意見の内容は、私の作品の地の文が語りかけるような書き方であり、その口調が嫌だということでした。なるほど、確かに私の書き方は、このブログの様な口調となっています。それは恐らく、正しい小説の書き方とはかけ離れたものでしょう。それもあって、嫌だと感じられたと思います。文章を書くことは難しいことで、全ての人に受け入れられる書き方は存在しているのでしょうか。少なくとも、私に限っては好き嫌いがキッパリ分かれているようです。
この意見に対する反応ですが、その方には申し訳ありません。私は特に書き方を改める気はないです。なぜなら、私は私なりのやり方がありますので。
ただ、それでも。中には厳しい方がいらっしゃり、「web小説サイトにある小説の書き方は全然ダメだ」と憤慨している方が見受けられました。これは、私に直接伝えて来たわけではないですよ。掲示板のような所で、全体に向かって伝えていました。
う~ん。ちょっと、それには同意しかねます。いったい誰が書き方を定めたのでしょうか?政府ですか?国連ですか?それとも神様?それ以前に、数学の様に定まった書き方の公式があるのですか?そう思いました。
小説やら何かを創作することは、最低限の公序良俗に反しない限りであればの制約がありますが、その人の自由であると私は考えます。その人らしさを存分に出すべきであり、決まったルールに従うことを強制させるのは違うなと。
私の好きな俳句に尾崎放哉さんの『咳をしても一人』があります。これは俳句の基本である季語や五・七・五の定型を守っていません。自由律俳句と呼ばれるものでして、初めて知った時は衝撃を受けました。決まったルールを守らない俳句があってもよいのだと。もちろん、この俳句に対して否定的な意見を持つ人がいるでしょうが、まず私はこれは素晴らしいと思います。過去からの定めに縛られないで自由を突きつめている。
まとまりがないことをダラダラと連ねましたが、結局私が言いたいことはですね。
「創作の世界は自由なんだ。公序良俗は守らないといけないけど、原則的には誰も縛られない。自由にやろう」
ということです。
これまでの閲覧ありがとうございました。また、お目汚しであること失礼いたしました。