どうも、山本です。

 

コロナウイルスやインフルエンザなどの感染症が流行っていますけど、

 

皆さんはお元気ですか?

 

わたしはなんとか元気です。

 

体調良くない人も健康な人も、

 

今日は究極の健康になる食べ物の話をしますね。

 

5分間よろしくお願いします。

 

 

現行の医療とか、

 

健康番組とか、

 

栄養学とか、

 

利権にまみれていて、

 

正直…信用ならない…って思っている人も、

 

逆に、

 

国や企業がそんな私たちに悪くするはずがないって思っている人も

 

どっちも一定数いると思います。

 

 

どういう風に信じていてもいいんですけど、

 

最終的に、自分の身体をどうこうできるのは、

 

自分しかいないということは、覚えておいてください。

 

 

誰にも言い訳できない、

 

誰のせいにもできない、

 

それが自分の健康なんです。

 

 

 

 

世のお母さんたちは、家族の健康のために、

 

毎日けっこう頑張っています。

 

 

毎日洗濯掃除して、食事をつくって、

 

気持ちよく寝られるようにしてくれてます。

 

 

食事の内容も、できるだけ野菜のおかずを作ろうとか、

 

みんなが喜んで食べるものはどれだろう、

 

もっといいものはないかなとさがしています。

 

 

家族に健康問題のある人が出てくれば、

 

何とかできないかなといろいろ考えて探してくれます。

 

 

それを、家族の一員である人たちはどう受け止めてくれているのか。

 

 

野菜のおかずは残す、

 

文句は言う、暴言吐く、

 

調子悪いのを八つ当たりする。

 

手伝いもしない。

 

 

そんな家庭もたくさんあるんじゃないでしょうか。

 

まぁ、自分の愚痴でもあり、親に対するわたしの反省でもありますけども

 

 

それをするのを選ぶのも、選ばないのも、

 

自分が決めたことだということを、頭の片隅のおいて、

 

続きを読んでいってください。

 

 

 

 

目の前に用意されているものと、

 

用意してくれた人が、

 

自分の期待するくらい立派なものでないならば、

 

大切だと思えない。

 

 

そういう、大きくて根深い洗脳が日本人にはあります。

 

 

だから、どこかの教授とか、博士号を持っているとか、

 

長ったらしい肩書の、見るからに偉そうな、

 

白衣を着たインテリメガネの男性じゃないと、

 

信用できないと思っています。

 

 

逆に言うと、そういう風に見える人には、簡単に騙されてしまうのです。

 

 

で、成功したい人は、そういう風になろうとしてしまっている。

 

 

なんだか本当らしい研究や実験をされて、

 

結果に恣意的なバイアスがかかったものを事実として、

 

画像やグラフを効果的に使ってプレゼンされたら、

 

へぇ!そうなんだ!と納得してしまうのです。

 

 

そんなことは当たり前です。

 

それができなければ、みんなの心に響かないからです。

 

 

 

 

小さい子供たちは、親しか頼る人がいません。

 

母を見て、全知全能の存在だと思っています。

 

それが、いつしか思春期になるころ、

 

なんだ、母も父も普通の人やん、と気づいて、

 

なぜいうことを聞かなければならないのか、わからなくなります。

 

 

それから、俺の心がわからないなんて、全然ダメなやつ。

 

家であんなだらしない、全然ダメなやつ。

 

とレッテルを貼るようになります。

 

 

そうなると、親に対して

 

いうことをきく価値がないとか、

 

バカにしても困らないとか、

 

無意識で思うようになってきます。

 

 

本人は、なぜそうしてしまうのか、意識してそうしたいわけではないのですが、

 

反抗してしまうんですよね。

 

だって、しかたありません。

 

そういう風に無意識を使ってしまったのですから。

 

 

無意識は、うまく使うこともできます。

 

 

先ほどの反抗期の例は、まずい使い方をしてしまった例になります。

 

 

両親は、全知全能ではない。普通の人だ。

 

という現実が現れた時、

 

「いうことを聞いても無駄かもしれない」と意識したとしたらどうでしょう。

 

 

無意識では、(いうことを聞いて無駄だった経験)を検索します。

 

そうすると、必ず答えが見つかります。

 

だから、いうことを聞いても無駄、価値なし、ということが、

 

無意識に定着してしまいます。

 

 

普通の人だから、「バカかもしれない」と意識的したらどうでしょう。

 

 

無意識では、(バカの証拠)を検索します。

 

これも、かなりの数ヒットするはずです。

 

だから、バカだからバカにしてよし、ということが、

 

無意識に定着してしまいます。

 

 

この「かもしれない」が特に意味があります。

 

だから、反抗期がくる前に、どんな「かもしれない」を植え付けておくか、

 

ということが重要になってくるわけです。

 

 

たとえば、

 

「愛されてるかもしれない」

 

「バカでもいいかもしれない」

 

「生きてることって楽しいかもしれない」

 

 

いま、現状そうでなくてもいいんです。

 

無意識の1100万Bitの情報処理能力で、証拠を探します。

 

「かもしれない」って、すばらしいでしょ?

 

 

 

だいぶわき道にそれた感じですね。

 

さて、本題に帰りましょうか。

 

 

わたしの言ってることも、「かもしれないのね」と意識して聞いていただければいいんです。

 

何の権威もない一市民ですし。

 

 

ものすごく、あたりまえのことを言いますよ。

 

 

【鼻で、深い呼吸をして、

 

口の中でとろとろになるまでよく噛んで、

 

たっぷり水を飲む。】

 

 

それが健康の秘訣です。

 

 

当たり前すぎて、

 

あーはいはい、って思った人の方が多いの、わかります。

 

 

わたしもこれ聞いて、腹落ちするまでに5年かかりました。

 

5年ですよ。

 

「これが健康の秘訣かもしれない」と思ってから、

 

これまでの間に、集めた資料や動画の数々、会った人たちにインタビューして、

 

自分の身体で実験もして、

 

健康と不健康を分けるものに確かにこれがある、

 

という手ごたえを感じ始めているのです。

 

 

それは、絶対見つけてやる!みたいな意気込みはなくて、

 

あれそういえばこれ、証拠やん… って気づいていく感じ。

 

そして何度も離れたり、学びなおしたり、別方面から気づかされたり、

 

素直じゃないので遠回りしましたけど、

 

結局これかもしれないな、と思っている次第です。

 

 

具体的な食事の内容については、

 

体の陰陽や環境や嗜好がありますので、

 

ここでは触れませんが、

 

前向きな「かもしれない」で探ってみてください。

 

 

自分の人生は、自分で選んでいます。

 

意識的か、無意識かの違いはありますが。

 

だとしたら、自分があたりまえにしていることを、

 

再検証して、どんな「かもしれない」で生きているのか、

 

考えてみるのも面白いです。

 

 

 

今日はここまで。

 

おつかれさまでした。

 

 

どうも、山本です。

 

新年あけて仕事が始まったら、

 

なんだか知らないけどめっちゃ忙しくて、

 

時間配分とか考えるのが下手になってる…!

 

と驚愕の毎日ですけども。

 

 

合間をぬって新技術を会得しています。

 

これまで知らなかった世界が広がっていくのは

 

なぜこんなに楽しいのでしょう。

 

 

今日は、社会人になってからも学び続ける極意、についてです。

 

5分間、よろしくお願いします。

 

 

 

これまでできなかったことができるようになってきて、

 

より深くお客さんを理解し、より深くほぐすことができて、

 

これまでとは違った結果を出せるようになってきました。

 

 

そうすると、

 

これまでできていなかったことに「申し訳ない」という気持ちと、

 

今できることが、実はまだ『途中経過』の可能性があるのだから、

 

調子にのっていてはいけないんだな、ということにも気づきます。

 

 

さらに、まだまだ見えていない領域がたくさん残っている可能性にも、

 

気づけるわけです。

 

 

向上心や好奇心のままに進んでいるだけだけれど、

 

自分の施術に選択肢が増え、

 

またさらに領域が増えていくわけです。

 

 

 

たとえば、

 

昨日までは、石灰化した足関節を診て触ることができなかったとしても、

 

学習したら、触って、動くようにしていくこともできるわけです。

 

 

お客様自身ももう治らないと思うほど長く患った腰痛も、

 

ある領域の学習をすると、1回で痛くない状態までになり、

 

5分動いたら横にならないとつらかったのが、

 

30分動いても痛くならずに、座るだけで回復できるようになるわけです。

 

 

どんなすごいテクニックがあるんだ! と思われた人は、

 

わたしは具体的なテクニックはもっていないので、

 

回れ右してポータルサイトへ帰っていただきたいです。

 

技術的には、基本に忠実にやっているだけです。

 

つまらないと思いました?

 

 

その基本というものが、たくさんを統合したものになっているだけです。

 

 

わたしが伸ばしたい場所というのは、

 

具体的な技術、テクニックではなくて、

 

心技体でいうところの心にあたる部分になります。

 

 

どうして痛くなるんだろう?

 

どうしたら楽になるんだろう?

 

なぜ痛みや感情や思考があるんだろう?

 

医療では治せないのはどうして?

 

 

そんなことから放射状に広がるように、

 

わたしの知識ネットワークが広がるように、

 

文献を集め、先人の知恵を見つけ、

 

調べたり覚えたり応用したりして、

 

まだ知らない領域へと手を伸ばしていきます。

 

 

手塚治虫が、

 

「漫画を描きたいなら、漫画をみて良いものを見つけようとしてはいけない」

 

と言った意味に気が付くようになります。

 

 

たとえ治療家であったとしても、

 

小説や、詩や、歌や、音楽や、絵にも、

 

気づくところが含まれているのです。

 

 

点と点が結びつくように、つながりを見つけて行けるようになります。

 

これまで全く興味もなく、5年前には読むこともできなかったであろう

 

量子物理学にまで

 

私の食指は伸びていくのです。

 

 

まぁ、細かい話はしませんけども。

 

 

そうして、知ることが増えていくと、

 

目の前の人がもっている問題点が、

 

本人が思うほどひどいものではなくて、

 

ただ触ることもできずに放置されてきただけで、

 

つまりができて流れが滞っているだけだということが見てとれるわけです。

 

 

それがわかれば、流れを作るだけですから、

 

そんなに難しいことはありません。

 

 

わたしの心の在り方が変わってきて、

 

症状があって、それを解決しなければならない、

 

というのは…二元的で、少し違うなと思うようになってきたのです。

 

 

それより、

 

症状を出さなければならなかった体の事情を整える方へ向かおうと、

 

考え方がかわっているのです。

 

 

そんなことあたりまえじゃん、と思うヒーラーさんも多いと思いますけど、

 

整体・治療家集団はまだそういう風に思えない状況じゃないかと思います。

 

 

テクニック・治療成果・売り上げ 至上主義。

 

 

悲しい世界だなー…と思います。

 

治療家にとって、勉強するということは、

 

テクニック・技術・関連知識を増やすこと、

 

マーケティングを学ぶこと、

 

になっていると思います。

 

 

サラリーマンだったら、

 

英語だったり、営業だったり、社会情勢だったり、

 

具体的なテクニックじゃないでしょうか。

 

 

主婦だったら、

 

収納テクとか、料理とか、掃除とか、

 

具体的なテクニックじゃないでしょうか。

 

 

で、それで、

 

何が増えるんでしょう?

 

売り上げ、収入、時短、効率化、レパートリー、

 

いいですね。

 

 

で、それで、

 

もっと言うと何が増えるんでしょう?

 

具体的な、知識が増えて、

 

 

えと、

 

自分のやりたいことが、できる?

 

 

実は、新しいことを学ぶと、あるものがなくなります。

 

ある程度、学ぶためにお金がかかることもそうですが、

 

時間と空間を使います。

 

特に、時間は、すべての人に共通して24時間しかありません。

 

それを、新しく学ぶもののために献上しなければなりません。

 

 

さらに、そのテクニックを活用するために、

 

お金と時間と空間を使います。

 

 

単純に、「知らなきゃいけないらしいから」学習するのでは、

 

効率が悪いんですね。

 

 

わたしは、料理でも、収納でも、

 

基本さえ知っていれば、どれだけでも応用できるし、

 

奇抜なものを知っていたとしても、

 

1回やったとしても、リピートしないということは学習したので、

 

基本となるものだけを手元に置くだけにしています。

 

 

迷わないし、特に困りません。

 

おもてなしだって、毎日じゃないんだから

 

「ド定番」でやったっていいじゃないですか。

 

 

じゃあ、基本って、どれくらいあると思いますか。

 

 

想像できませんね。

 

基本なんだから、シンプルに決まっています。

 

でも、料理にも、収納にも、マーケティングにも、

 

英語にも、営業にも、楽器にも、

 

それぞれに基本ってあるじゃないですか。

 

 

共通点があると思いますか?

 

 

たぶん、ありますよね。

 

でも、あなたとわたしが違うように、

 

先生がたくさんいて、それぞれ違う流派で教えてくれるように、

 

人それぞれ、「基本」に対する感覚が違うんですよね。

 

 

だから、「基本の共通項」は、自分で見つけないといけないわけです。

 

 

で、見つけていくためのヒントですけど。

 

部活動とか、ガチの習い事とか、やってましたか?

 

そこで得たことが、一番初めの「基本」の原型になります。

 

 

わたしは、長距離走が得意だったんですけど、

 

短時間のマラソンでフロー体験があり、

 

集中と没頭の感覚はそこで得ました。

 

でも惜しかったのは、それがちょっと怖くて一度しかやらなかったので、

 

感覚を思い出すのにずいぶん時間がかかりました。

 

 

わたしの基本の共通項がフロー体験と結びついていきます。

 

これを説明すると厚さ3センチの書籍になるので、

 

気になる方は本を読んでください。

 

 

もっと具体的でいいんです。

 

何が楽しくて、没頭できたことは何か。

 

才能や喜びが爆発した!と思えたことは何か。

 

これが人生の真理やね、と思ったことは何か。

 

 

その「基本」体験から、どんどん派生するように

 

極めて利己的に知識ネットワークを広げていくと、

 

漫画から漫画を学ばないのと同じように、

 

全く関係のないところから、「知りたかったこと」が

 

ぴょこっと入ってくるのです。

 

 

まずはひとつ、芯になる「基本」を見つけてから、

 

スタートしてください。

 

 

一度ガチで真剣になってやったことがあると、

 

そこから学びたいことが連なって出てきます。

 

まだガチをやったことがない人は、

 

これからやったらいいだけのこと。

 

 

今日がいちばん、若い日。

 

 

社会人になってから学び続ける極意、わかりましたか?

 

真剣になってやったことから自分がくみ取った極意は、

 

完全にあなたのものです。

 

もしかしたら、誰もがうらやむものかも。

 

 

わたし、ここ3日で顔セルフケアで10歳くらい若返って見えるんですよ。

 

興味あることって、止まらんよね。

 

 

今日はここまで。

 

お疲れさまでした。

 

どうも、山本です。

 

今朝、娘に私の好きなイケメンの写真を見せたら

 

「ふつうだね」

 

って言われました。

 

なんか、くやしいんですけど…。

 

 

ふだん、紅顔の美少年たちに囲まれている人間と、

 

ふだん、おじさんやおばさんに囲まれている人間との

 

イケメン感度の違いかしら

 

くっ…!

 

 

今日は人間の顔は完全になれるか、ていう話です。

 

5分間、今日もよろしくです。

 

 

 

あ、別に娘の周りにモデル級の美しい人たちがいるわけではなくて、

 

ただ「若い」ってことは、それだけで美しいよね、、、っていうことです。

 

 

若いとか、美しいとかって、

 

人間の顔でいえば「情報が少ない」顔なんですよね。

 

左右対称で、つるっとした肌で、大きくも小さくもないパーツがそろっている

 

ということ。

 

 

逆に言えば、

 

左右が違っていると、違和感を感じるし、

 

歯並びが悪いだけでもけっこう気になるし、

 

肌荒れやニキビやしわやたるみなんかも、

 

とくに意識に上がることはないけれど、

 

美しいというジャンルからは、はじいて記憶しちゃうんですよね。

 

 

自分の記憶の中にある、美人と普通の人のカードの差は、

 

そんなところで決まってたんだなと、振り返ることができます。

 

 

何人か、美しい部類に入る人たちが周りにいますけど、

 

幸せレベルでいったら、顔面偏差値が普通の人とそんなに変わりがないなと個人的には思っています。

 

(やっていることや結果のバイアスを調整して見てます。

 比べていることがわかると、偏差値が普通の人がかなり謙遜するんですよね)

 

むしろ、美男美女というイメージにそぐわないことはできなかったり、


誰かと共有したりできないので、

 

ストレスを感じてたりします。

 

普通の人側に、高い壁ができてて友達になれなかったりとかもありますw

 

並んで歩いたらダメなんでしょうか。

 

同じ人間なのにね。

 

 

 

アニメや漫画の世界ではイケメンを描くのが難しく、

 

印象に残すのも難しいそうです。

 

 

アシタカ様のビジュアルを思い出そうとしても、

 

イケメン顔は思い出せなくて、

 

しかめっ面とか、衣装とかをうろ覚えしているくらいです。

 

 

何を覚えているかというと、

 

サンを守るために戦っている情景や、

 

だまってタタラ場を手伝っている場面や、

 

きびきびとした動きなどで、

 

 

それらをかっこいいと認識して、

 

私の中にアシタカ様のイメージが出来上がっているのです。

 

きっとこんな人、とイメージを膨らませて固定してあります。

 

 

顔だけで記憶していないというのがはっきりしています。

 

イケメンは顔だけだと覚えにくいのです。

 

 

だから、美しすぎても、それだけでは印象が薄いだけだから、

 

多少どこかが個性的だったらちょうどいいと思うんですよね。

 

凄い特技があるとか、変な趣味があるとか、

 

しゃべり方が独特とか、考えていることが男前とか。


別に美しい顔をしていなくたって、


そんな特性があったら、


それだけでもいいんじゃないでしょうか…。

 

 

それは、どんなコンテンツでも同じだと思っていて。

 

 

体裁がものすごくキマッていて

 

みんながつい反応してしまうような広告だったり、

 

ついページをめくりたくなってしまうアオリ文だったり、

 

完璧に作りこまれた動画講座だったり、

 

まだまだ出てきますし、どんどん使われていきますが、

 

もう定型化してきて、飽和して息苦しくなっていきます。

 

 

むしろ、不完全を狙って作っているもの

 

例えば、日光のお寺だったり、

 

絵画だったり、

 

音楽だったり、

 

スポーツの類でも、

 

手書きの広告でも、

 

 

完璧を狙って作りつつも、

 

全てが完璧でないからこそ面白く、かつ飽きることがなく、

 

そして崩壊することもないのです。

 

 

個人的には、


一見雑っぽいのに狂いのないデッサンとか、


人間らしい不協和音とか、


ぽろっと出てくる方言とか、

 

感情的なセリフとかが、好きですけども。

 

 

 

うちに来てくださるお客様の中には、

 

顔の左右差や、

 

しわやたるみ、

 

瞼の下垂など

 

を直してほしい人がきます。

 

 

見た目の美しさと、他人がもっている自分のイメージは

 

そんなに関係がありません。

 

それよりも、言葉や行動のほうが、他人の中に強いイメージとして残るものだからです。


第一印象では、見た目が大事って言いますけど、


服装や髪型の清潔感や、雰囲気を記憶されます。


その印象は、なかなか変更されません。

 


 

自分の顔とは一生付き合いなので、

 

気にくわないと思えばそれは一生ついてまわります。

 

自分のイメージは、鏡の中にあるんですよね。


自分のは、顔の見た目、なんですよ。


他人とは見るところが違うんです。



他人は服装や雰囲気で見て、


自分は顔のつくりで見るんです。



で、自分の顔に自信がもてると、


他人がキャッチする雰囲気がよくなるので、


モテるようになります。

 


 

で、気になるところといえば、

 

長年のコンプレックスだったり、

 

年齢が出るところがそれなわけですから、

 

もしも悩みがなくなって、若返ることができるなら、

 

やってみたいものでしょう。

 

 

でもやり方を知らないから、なんとかしたい思いだけがあって、

 

お金がかかるに決まっているから、手を付けることもできないまま、

 

時間だけがたっていきます…。


 

正しい知識さえあれば、


盛り上がったおでこや頬を引っ込め、


たるみをとり、、


シワをなめらかにすることは、


自宅で自分の手でもできます。


知らないだけ。


 

人の体は千差万別で、

 

同じ人は一人もいません。

 

タイプがあるな、ってくくりができるくらいで、

 

みんながみんな違っています。

 

 

生きている人間ですから、左右差が必ずできます。

 

どんなに美しい女優さんや俳優さんでも、

 

合わせ鏡をしてみた時に、左右に違いがあることがわかります。

 

完璧な美人は、ある意味フィクションです。

 

骨盤でも、まっすぐそろっている人の方がめずらしいのです。

 

 

若いときに左右がそろっていても、

 

年齢を重ねるごとに差ができていくこともあります。

 

頬の高さや、口角の位置や、眉の高さ、輪郭の形などが変わってきます。

 

 

それは、筋肉の強さや量、凝り、手入れをしているか、によってかわります。

 

 

顔を商売道具にしている人たちは、年齢を重ねるごとに

 

顔の手入れに、相当の時間とお金をかけています。

 

 

運動だったり、食べ物だったり、エステや美顔器だったり、塗ったり貼ったり、

 

そのお手入れは星の数ほどあります。

 

 

だから、正しいかどうかはどうあれ、

 

何を選んでもいいですよね。

 

 

ただ、完璧すぎない方がいいわけです。

 

そして、そのお手入れが、一生同じように

 

買い続けなければならないものであってはならない、

 

盲目的に信じ続けてはいけない、

 

と思うのです。

 

 

『完璧』に固執するあまり聖杯を探したり、


自分の真の姿を見ることができないようになってしまうからです。

 

 

だから、お客様たちにはいつか私の施術を卒業してほしいな

 

と思っています。

 

 

私の施術も完璧ではないから、

 

お客様の望むすべてを一度に出せるわけではないですし、

 

新しく技術を見つける事もとどまるところがないので、

 

終わりはないのですけれど。

 

 

それでも、

 

私がいないと調子が出ない、

 

私に任せておけば万事OK

 

ではおかしいといつも思っているのです。

 

 

リピートで予約してもらえるの、ありがたいですけど、

 

ちがうんです。

 


自分の経時変化にもっと敏感になって、


自分で自分の体をメンテナンスできるようになってほしいのです。

 

 

そのために、私が課題にすることは、

 

自然に整うような体に整えてあげたい、っていうことでもあります。

 

 

いつも油をささないと動かないようなブリキのおもちゃから、

 

磁石の力で動き続ける永久機関への進化、みたいな。

 

 

それはある意味、壮大でかつ個人的エゴまみれの欲望かもしれませんけれど。

 

 

ゆめです、夢。

 

 

仕事をがんばるために、そうなってほしいんじゃないんですよ。

 

稼ぐことをがんばるために、そうなってほしいんじゃないんですよ。

 

見栄とか、自慢するために、そうなってほしいんじゃないんですよ。

 

前回のブログにも書いたけど、

 

笑ってるためにそうなってほしいんです。

 

笑ってることと、体が緩んでいることは、

 

どっちが先かわからないけれど、

 

同時に起こることは確かなので。



だとすると、

完璧な美しさを追い求めてただキレイになりたいという行動と、


キレイになった先に、自信がもてて笑って体を緩ませるということを求める行動とを見比べてみたときに、


努力のベクトルも、結果何が手に入るのかも、


違うんじゃないかしら…と思うんですよね。


 

 

こんなふうな認識のブログをせっせと書いていますけども、

 

現状とゴールの認識次第で、自分のことを苦しめることも、喜ばすこともできるのです。

 

 

完璧主義をやめると楽になるよって、言葉では聞いていても、

 

自分が完璧主義ってことを認めてなかったら、


なんにも変わらないわけで。

 

 

次から次へと、これ何とかならない?って相談を受けると、

 

何を目指しているんだい、

 

そこまでしなくても、十分かわいいよ…と、言ってあげたくなりますw

 

 

 

美しくなるということが、印象が薄くなるということであって、

 

しかも幸せになれるということに直結するわけでもなくて、

 

完璧な人もいないのだから、

 

そこで完全を狙おうとするのは変だなーって部分と、

 

認識を深めて、面白い人になった方が、

 

何倍も価値があるんじゃないかなーって部分と、

 

そういうことを書いてみました。

 

日本語ってむずかしいわー

 

 

今日は、ここまでにしますね!

 

では!

新年になったので、

 

自分の個人的な、あるいはビジネスの目標を立てると思います。

 

でも、去年の延長線上で、結果が見えるような目標は、

 

現状維持っていうんですよね。

 

これまでとは、一味ちがう自分になるための目標を立てられてこそ、

 

新しい目標といえるのではないでしょうか。

 

 

どうも、山本です。

 

 

去年1年間で、たぶんこれまでの人生のどの時期よりも、

 

自分が変化したと思っています。

 

 

でもね…。

 

正直、去年の年始の目標はほんとうに考えられなくて、

 

売り上げ?前より上がる?のが目標かな?

 

っていうなんとも情けないことしか考えられてなかったんです。

 

具体的な数字も、具体的な対策も、行動プランも何もなし。

 

とりあえず仕事できればそれでいいや!

 

…って、職人によくあるやつですね。

 

 

でも、ちょっと前向きに人生切り開きたいっていう思いはずっと持っていて、

 

当時メール講座を受けている中で異色の人に会いに行くことにしました。

 

だって、億のお金を動かしていた人なのに、『稼げる話』じゃなくて、

 

『「この世界が最高だよね!」って自分の大切な人に言える世界を作りたい。』

 

って言ってメルマガ書いてる人、そんなにいませんよね。

 

んーと、当時のメルマガは閉じてるから、今はこっちのメルマガかな。

 

 

2月に、先生に初めて会って、その時に言われました。

 

「他人のために生きるのをやめなさい」って。

 

「自分に仮面がついてるってことを自覚して、

 

本当の自分が何を求めているのか、考えないとダメ」

 

 

1時間半くらい話したら、颯爽と姿を消してしまったのだけれど、

 

私はぼんやりとしてしまっていました。

 

 

あれ、私、自分のために生きてきたんじゃないんだ。

 

 

改めて考えてみたら、

 

思い当たることが多すぎて、

 

かなり落ち込んだことは覚えています。

 

 

結婚したことも、

 

子どもが生まれたことも、

 

仕事を変わったことも、

 

整体の資格をとったことも、

 

起業塾に入ったことも、

 

 

全部、自分からじゃなくて、

 

外的要因からそうすることがいいことだと

 

思わされていた、のです。

 

 

そんなことに気づいてからも、私はグダグダとして、

 

本当に自分が求めていることに目を向けることができませんでした。

 

 

毎月、面談の時間をつくってもらっても、まったく前進しない私。

 

だって、仮面をとったら、私ではなくなる気がします。

 

 

「そうじゃないでしょ。

 

ずっと自分らしく、生きてて楽しい!って違和感なく思えて、

 

毎日のフィット感を高めるために、外すんでしょ」

 

 

「ただおろおろいきあたりばったりをするんじゃなくて、

 

どうしてこうなったんだろう?って理由を思いながら生活してたら、

 

精度は上がっていくんだよ」

 

 

「仮決定でいいんだよ」

 

 

 

これまでの自分にはない考え方が多すぎて、

 

いつも消化不良を起こしてしまっていましたけども。

 

それでも、私には私のための人生がある、と感じられたから、

 

ちょっと遠いんだけど、東京まで上って、

 

自分のための時間をつくっていました。

 

 

やっと初動がついてきたとき、一年は半分終わっていました。

 

 

そう、目標が立てられるようになるまでに、半年かかったんです。

 

それから、行動を始めて、

 

5年のセックスレスが解消したり、

 

自分がやりたいことをリストにしたり、実践したり、

 

どんな人とつながっていこうかと考えることができるようになってきたのです。

 

 

 

 

私は、カウンセリングとか、コンサルティングを受けることが苦手です。

 

 

聞くからしゃべって!という雰囲気の先生を前にして、

 

話さないといけないと思うと、

 

なんだかめんどうくさいなと思ってしまうんですよね。

 

いや~、そんな、先生に聞いていただくほどの面白い話はないでございます。

 

 

だから、お客さんの中に悩みとか現状報告とかをマシンガントークしてくる人がいると、

 

逆にまじまじと聞いてしまいます。

 

なんでこんなにしゃべれるんだろう…私にはない特性だなぁwって。

 

 

どちらかというと、人の話を聞き出すことの方が得意ですし、

 

マシンガントークの中から、本人が気づいていない制限や限定を見つけて

 

フィードバックしていくことの方が好きです。

 

 

コンサルタントの資格も、もっています。

 

勉強会に行くと、コンサルとコンサルティーに分かれて、

 

実戦形式でコンサルが始まるわけですが、

 

私がコンサルティになると、コンサル役は困ってしまいます。

 

私が浅い問題点しか話題にしないし、

 

結論と解決策まで自分で言ってしまうからです。

 

逆に話題をコンサル側のものにすり替えてしまうこともありました。

 

とにかく、自分のことを話したくないんですよね。

 

 

 

そんな私があっさり、困っていることの本質を

 

(しゃべってもいないのに)串刺しにされてしまったわけです。

 

「いつも誰かのために生きていて、自分のために生きていない」

 

ってことを。

 

 

さすがに、出会っている人の数が、半端ないうえに、

 

それぞれの人とかなり深い話をしているのだと思います。

 

会ったばかりのどこの馬の骨とも知らない私に、

 

「熱意があったから」と言って、深い話をしているのです。

 

 

起業塾に行ったとき、

 

ここの講師の先生はたくさんのクライアントをもっているお金持ちでしたが、

 

1対多数での講義でしか語らず、

 

面と向かってそんな深い話をすることはありませんでした。

 

深い話や相談やアドバイスを受けるためには、

 

桁違いのお金を積み、頻繁に会いに行かなければならないそうです。

 

 

資本主義的に言ったら、

 

起業塾の講師の方が、A層とB層を意識し、

 

コンプライアンスとホスピタリティを実践されていて、

 

より高額なお金を集められるので、正解です。

 

 

でも、人間的に言ったら、

 

赤原先生の方が神かと思うくらいありがたい存在だと思いました。

 

 

正直に話すと、彼は甘くありません。

 

ヒントはくれるけれど、安直な答えはくれません。

 

自分で考える力をつけるために、

 

全ての講座を作りこんでいます。

 

 

自分で考えて、答えを仮決定すること。

 

そして、人生を切り開くためにちゃんとした事業をやること。

 

 

高校とかでカリキュラムにしてほしかった。。。

 

 

結果、私は時間がかかりました。

 

それでも、先生は見ていて、

 

グダグダの日報でも、考え方が違っていたら違うって言われます。

 

 

褒めることもほとんどありません。

 

できる人には、すぐに次のステージを用意してきます。

 

いつでも程よい緊張感です。

 

 

そういう場所で、学んでいるということに価値を感じるし、

 

実際に人生はよい方向へ向かっているのを実感しているので、

 

ますます目標を高く設定していくことになるんだろうと思います。

 

 

 

で、年始にあたっての目標設定ですが、

 

昨年からの仮決定がまだ生きているので、

 

更新されません。

 

お屠蘇で仮死できるなら、ここでリセットかもしれませんけどねw

 

 

年始の今だから、設定する目標って、

 

年始が終わると目標も終わってしまいませんか。

 

 

目標にモチベーションって必要だと思いますか?

 

 

モチベーションが必要な目標は、疲れるだけです。

 

心から、自分がやりたい目標ならば、モチベーションとか言っている間に

 

やってしまっていると思いますよ。

 

 

今日はここまでにします。

 

5分、ありがとうございました。

 

 

あれ、やりたい目標のはずなのに、続けられない?

 

それは、やりたい目標の、やりたい理由が、

 

あなたの何かに反しているからです。

 

 

それは、ノートを使って書くとわかります。

 

ノートに十字の仕切りを書きます。

 

やりたい目標を達成する/達成しない、

 

得られるもの失うもの、と書いて、

 

4つの象限に思っていることを書き込みます。

 

 

自分にとって、最も手に入れておきたいものが、

 

「目標を達成しない」のゾーンにあると、

 

無意識的に目標を達成しない方がいいと判断します。

 

だから、やる気になりません。

 

 

 

そこからもっと深めていくこともできます。

 

でも、

 

終わる終わる詐欺だからまた今度にしますね。

あけましておめでとうございます。

 

一年というのは、あっという間に過ぎてしまいますね。

 

何かのキーストーンや地図がないと、今から次へ進もうというときに、

 

今どこにいて、どこへ進もうとしているのかも分からなくなってしまいます。

 

 

どうも、山本です。

 

今日も5分間、おつきあいくださいね。

 

 

 

AIに、自分の来歴とか興味や癖などの情報を入れて、

 

家族や友人が会話したら、自分と同じ対応ができるのか?

 

っていうドキュメンタリーを、少しだけ見ました。

 

 

声や、話し方は、自分とそっくり。

 

でもね、

 

息子に「僕のこと愛してる?」って訊ねられて、

 

「わからない、データが少ない」って答えてました。

 

AIにとって情報は、どこまで行っても情報なんですね。

 

 

そこに感情はありません。

 

愛することもありません。

 

計算したら、人間は地球上にいてはいけないことになるらしいです。

 

 

AIには、できないことがまだまだたくさんありますね。

 

それは、どこかのロボット工学者が言っていたみたいに、

 

「つくり手の考えていることが、AIに反映されるわけだから、

 

美学のない人が作ったら、AIは人間にとって有害なものになる」

 

 

 

小学校で、プログラミングの勉強をします。

 

AIにしゃべらせる内容を考えたり、

 

一緒に遊ぶ内容を考えたりします。

 

それはそれで楽しそうだけれど、

 

私はAIとの付き合い方は、ほかにあるんじゃないかなと思うのです。

 

 

AIは、役に立つことの無限の可能性を秘めた媒体です。

 

だから、何に役立てたいのかを考えられる人になってほしい。

 

 

だってほら、

 

初めてエクセルを勉強したときって、

 

なにに使えるのかすらわからなかったじゃないですか。

 

上から下までセルコピーができて、何がうれしいの? とか。

 

関数の、SUM以外はどういう場面で使うのかすら想像できなかったりとか。

 

どういうふうにどんなデータを入れれば使えるのかも怪しかった。

 

 

そんな状態でも、

 

使っていく中で、あんなこともできる、こんなこともできる、

 

って気づいていって、楽しかったんですよね。

 

 

だから、遊びのなかで、AIにできる可能性を

 

ぐいぐい出していってくれるといいなと思っています。

 

 

どんな視点で見ていると、そういうことができるかというと、

 

作り手側が、作ってて楽しいと思うことと、

 

使う側が、使って面白いと思うことと、

 

それは違うわけです。

 

 

使っていて、こういう機能があったら、きっともっと面白いぞ、

 

ていうか、ないと不便だから、

 

エクセルのセルコピーや関数ができたはずです。

 

それをちゃんと使うにはこういうルールは守らないといけないぞ、

 

っていうので、入力の決まりができていくわけです。

 

 

でも、作り手側がこだわって偏屈すると、

 

ものすごく難解になって、初心者は全然使えないってことになります。

 

 

これは、プロダクトアウトとマーケットインの話なので、

 

いたるところに転がっている話だと思います。

 

 

で、AIだって同じで、

 

こういう風になったら、このPepperは面白くなるんじゃないかな、

 

って仮説を立てて、

 

それを実現するためには何が必要なのかな、って考えて、

 

実際にプログラムを組んでみたりする。

 

失敗だってする。

 

その失敗だって、「実験」の一つでしかない。

 

「実験」については過去記事をどうぞ。

 

 

必要なものの中にはすでにあるプログラムやアプリもあるかもしれない。

 

そしたら、それを無理して初めから組む必要なんてないんじゃないかな。

 

存在さえ知っていれば。

 

 

そして、Pepperが面白くなる基準は、自分の美学によるんじゃないかなと思うんですよね。

 

だから、自分の感性が高まって、自分だけじゃない誰が見ても、

 

気持ちよく対峙できるものを、面白いと思えるといいですよね。

 

 

 

さて。

 

ここで、私がお客と話をするときに、

 

もっている美学をお話します。

 

 

それは、笑えることです。

 

できる限り、苦しさがなく、屈託なく笑えること。

 

これを目指しています。

 

 

笑っているとき、体は緩むからです。

 

かちんこちんに緊張しているより、ちょっとへらっとしてるほうが、

 

その人らしさが出て、面白いと思うんです。

 

 

お客を観察します。

 

笑いの閾値が低い人と、高い人がいます。

 

ちょっとのことでころころ笑う人もいれば、

 

全然笑わない、会話もできないタイプの人もいるのです。

 

 

その人たちのことを、もっとよく観察します。

 

よく笑う人でも、笑えない話題があります。

 

笑わない人でも、関心のある話はあります。

 

それがわかったら、仮説を立てます。

 

 

笑わない人でも、にっこりさせる。というのをゴールにします。

 

 

ストーリー仕立てにするときもあれば、

 

共感押しのときもありますし、

 

笑えないルートを避けるだけのときもありますし、

 

相手によって変えます。

 

 

それは、行動心理学や、コールドリーディングを使うから、

 

相手によって私の行動がかわります。

 

これは統計による人間の観察なので、

 

アプリやプログラムと同じです。

 

インストールやコピーをしてしまえば、誰でも使えます。

 

 

悪意をもって使う人もいます。

 

お金儲けしたり、騙して陥れたり、

 

そういう悪いことのためにあるものではありません。

 

 

相手のことを真に思って、愛情をもってリーディングしていきます。

 

リーディングすると、いろいろなことがわかります。

 

でも、その情報は、ただの情報ではありません。

 

情報どうしを結び付け、それをフィードバックしていく作業は、

 

その人を深く理解しようとすることなんです。

 

たまに失敗することもあります。

 

でも、「実験」です。めげません。

 

 

黙っていても、わかることはわかる。

 

それってちょっと気持ち悪がられることもありますが、

 

信頼感を持っていただけるようです。

 

 

終わるころには、心がひらいて、にっこりしていることが多いです。

 

 

 

ひとつの分野に特化するということは、面白いことかもしれません。

 

でも、二つの分野が合体したとき、もっと面白い変化が生まれます。

 

 

まずは何をもって良しとするのか。美学は何か。

 

どんな技術でもって、自分とやりたいことがつながっていくのか。

 

 

考えると、わくわくしますよ。

 

ロボット工学者がPepperをビルドアップしているのと同じくらいに。

 

 

できることはまだまだ無限にあります。

 

だって、知らないことの方が多いのだから。

 

 

今日は短く終わりますね。

 

ありがとうございました。

 

 

あ、Pepperの二つの分野というのは、

プログラミングと、使う側の感性です。

 

小学生の感性って、独特よね。

 

 

もし、自分の思い通りに、やりたいことができるとしたら、

 

何がしたいですか?

 

 

私はやっぱり、整体をしていると思うけれど。