憲法〜2017年へ向けて〜
柄谷先生は、多くの著書を書かれている著述家です。1941年兵庫県生まれ。意味という病 (講談社文芸文庫)1,188円Amazon定本 日本近代文学の起源 (岩波現代文庫)1,404円Amazon倫理21 (平凡社ライブラリー)907円Amazon漱石・シェークスピアから現代(モダニテ)を読み解き、ポスト構造主義と称される哲学者であります。近年ではアソシエーション(国家・資本・ネーションに次ぐ観念)やトランスクリティーク(横断する批判。つまりカントからマルクスを、マルクスからカントを読む、そのような方法)などを提唱。いや、もうあまりに偉大すぎて、紹介に困るくらい偉大な方です。今回はこの本だけに絞って進めます。憲法の無意識 (岩波新書)821円Amazon2016年4月の新著。天皇・マッカーサー・吉田茂・白洲次郎は「憲法の設立」で、フロイトは「無意識」で、カントは「平和」で登場し、途中、徳川幕府体制〜明治の移行期に言及します。【戦後史年表】1945年 ポツダム宣言1946年 天皇「人間宣言」1946年 帝国議会総選挙1946年 東京裁判1946年 新憲法1951年 サンフランシスコ講和会議・日米安保条約調印 1954年 自衛隊発足◉はじめに冒頭に憲法9条についての謎が言及されます。世界史的に異例のこのような条項が戦後日本の憲法にあるのはなぜか?それがあるにも関わらず実行されていないのはなぜか?もし実行されていないのであれば、なぜ9条は未だに残されているか?毎回選挙の際は9条が取りざたされていますね。にも関わらず9条がこれまで守られてきたのは、それが無意識によるものだからと言います。無意識は、説得・宣伝によって操作することができません。キーワードが浮かびます。「検閲」「無意識」「現実原則(=社会の規範)」「願望」。本に沿い、フロイト先生の思想を遡ってみましょう。◉フロイトの思想「自我」があるとします。その自我の背後には「無意識=エス」がある。それだけではありません。第一次世界大戦の後遺症を患った患者を診るうちに、ショックを克服しようとする反復強迫(トラウマ)といううものもあることを知ります。それは「死の欲動(タナトス)」がもたらすとフロイトは判断します。生物が無機質の戻ろうとする欲動です。この死の欲動が外への攻撃性として現れたのち、うちに向かうことで形成されるのが「超自我」といわれます。超自我とは集団により顕著に現れる。その場合それは「文化」と呼ばれます。この攻撃欲動が競争・戦争をもたらします。ではいかにそれを回避するか?攻撃欲動(自然)を抑えることができるのは、攻撃欲動(自然)だけです。超自我=文化の形成が、自らを抑えるのです。※死の遺伝子としての「死の欲動」は、今日の分子生物学もその存在を証明する。日本人の戦争に対する感情も、この「無意識の罪悪感」と言えると、先生はおっしゃいます。そう意識的ではないのです。「まず良心ありき、と人は通常思うかもしれないが・・・中略・・・まず外部による欲動の断念があり、それが倫理性を生み、良心となり、欲動の断念をさらに求めるのである。」フロイト先生は、これはこのまま日本人と憲法9条の関係と同じと論じます。一旦憲法9条の成立した過程を振り返ってみましょう。◉憲法の設立背景憲法が占領軍による強制であったことは間違いありません。しかしGHQも一枚岩ではありませんでした。マッカーサーは共和党員、ルーズベルト大統領は民主党員でした。「天皇が戦争犯罪人として処刑されれば、日本中に軍政を引く必要が出てきて・・・ゲリラ戦が始まることは、まず間違いないと私はみていた。」(マッカーサー回想記)故に、マッカーサーは最初から天皇制の護持を決めていました。彼にとって大切だったのは憲法9条でなく、天皇制を象徴天皇として存続させる憲法1条でした。また憲法(9条)は幣原首相にとっても理想でした。「世界は私たちを非現実的な無双かと笑い嘲るでしょうが、100年後私たちは予言者と呼ばれることでしょう。」幣原首相は、第一次世界のとき外相であり、ワシントン軍縮会議の代表でもあったため、戦争を違法化するパリ不戦条約についても熟知していました。そんな幣原が第二次世界大戦で敗戦を喫したら、9条を考えるのは当然と言えます。その後アメリカは日本軍の結成を要請します。しかし当時の吉田首相は、アメリカからの要請を拒絶します。ただ実際には警察予備隊なるものを作った。保安隊・自衛隊に発展していっても、憲法改正の必要を否定し続けました。これが今でも議論される「解釈改憲」の始まりです。解釈改憲が内外で話題になったのは、湾岸戦争で派兵したことが始まりです。しかし「平和維持活動」しかしなかったため国際評価は大変に低かった。それがトラウマとなります。次のイラク戦争では国際的な同意がなかったのですが、安全保障を依頼している日本は、アメリカの要請に対して派兵します。この時も「平和維持活動」しかしなかったのですが、周囲の敵意という重圧から、帰国後に数十人の方が自ら命を絶ッタト言われています。そもそも天皇制は政(祭り事)を扱う政治権力でしたが、政治権力を失った後も「権威」であり続けました。日本で政治的権力をにぎったものは、藤原氏以来、必ず天皇を仰ぎその権威に基づいて統治しようとしました。徳川幕府も、明治維新もそうです。実際に日本史を振り返るのなら、戦後憲法における天皇のあり方は、近代以前の天皇制の常態であったと言えます。例えば、大半の日本人も京都に天皇(ミカド)がいることは知らなかった。将軍(タイクーン)でなく、天皇が真の主権者だという考えは、黒船の到来と尊王攘夷運動によって広がったにすぎません。明治憲法さえも、外部の強制がなかったわけではありません。外に対して日本が近代国家だと示すために、それによって幕末に締結された不平等条約を廃棄するためです。おまけに作った彼ら(後の元老たち)は一枚岩ではない。伊藤博文と山県有朋の対立などが曖昧さとして現れています。◉先行形態とは何か?先生は中谷礼二(早稲田大学教授)の論を観点をとります。それは「先行形態」です。大阪は奈良よりも古く古墳が存在したところですが、長く埋もれたままでした。その発掘が80年代に開始された。中谷が注目したのは、古墳の存在を知らずに建設された現在の道路が見事に古墳群を迂回していたことです。先行形態とは、今は見えないし、存在もしないのに関わらず、源内の携帯が規定されている以上、現に存在すると言わねばならないものです。「先行形態は、ほとんどその形態を宿命的に現在にまで温存させる。」では現・憲法の先行形態とは何でしょうか?明治憲法?いいえ、占領軍が日本国民の意思を無視していないように明治憲法を雛形にした「てい」をとっているだけ。明治憲法自体も、上記で説明したように外圧によるもの。現・憲法の本当のconstitution「先行形態」は徳川体制にあると思われます。それについて述べる前に、その後趨勢となった天皇機関説を整理します。そこでは統治権は君主でなく法人である国家に属します。天皇はそのような国家の最高機関です。同時に内閣・議会・裁判所・総体としての国民も機関です。伊藤博文は西洋から着想を得ました。議会内閣・政党政治の確立、天皇が政治的に活性化する機会がない制度の確立を目指します。◉徳川幕府が行ったこと家康が図ったのは、「戦国時代」を終わらせ、戦さをもたらさないシステムを構築することです。秀吉の拡張主義に対して、家康は縮小主義をとります。鎌倉幕府の封建的の回復に思えます。江戸に幕府を開き、各地の藩を自律的な政府として残した。一見封建的に見えますが、極めて中央集権的なものです。それを示すのが「参勤交代」。毎年大名を遠方から首都に参勤させる、これほど大掛かりな財政負担を強いる制度はあり得ません。島崎藤村の『夜明け前』で描かれていますね。また鎖国状態と言われますが実際は違います。特に力を入れたのが、秀吉の侵略によって破壊された挑戦との信頼の回復です。象徴天皇制・非武装化(武士の官吏化・学問修養型への移行)など、戦後日本に似ているではありませんか。このように1条については全く類似しますが、9条の先行形態も『永遠平和のために』(カント)の理念に基づきますが、もともと「徳川の平和」にあったものでした。先生はここで推論します。敗戦が日本にもたらした悔恨は、「徳川の平和」を破って辿ってきた道への悔恨です。無意識の罪悪感が深く定着したのも、徳川の平和がベースにあったからです。黒船の襲来の後、徳川体制を否定していき、明治維新以降は、武士道が説かれ国民の徴兵が始まります。そう徳川位z年ははっきりしていた武士も、徳川時代以降はその観念的意味づけが必要であったのでした。そんな明治維新も77年ほどで終局を迎え、未曾有の原爆を被った日本人が、再軍備を拒絶するのは当然です。徳川体制で回復された「無意識」が、明治維新で開国し攻撃欲動が発露された。それが敗戦とともに内側に向かい、徳川の平和に戻ることなります。つまり9条の先行形態は、徳川の国制であると言えます。◉結語防衛のための軍事同盟・安全保障は、もはやリアリスティックな方法でしょうか?第一次世界大戦の例を見るとわかるように、同盟しているが故に、巻き込まれる蓋然性も高いのです。柄谷先生が思うもっともリアリスティックな方法は、憲法9条を掲げ、かつ、それを実行しようとすること、です。2017年はどんな世界になっていくか。日本は世界に対し非武装・中立のモデルとなれるか。カントの唱える永遠平和の実現に世界が向かうべく祈ります。crazy1