昔の私は、自分に厳しかった。

 

そして、人に対しても厳しかった。

 

 

「出来て当たり前」

 

って思っていて

日々の暮らしの中で「自分にご褒美」

って感覚は全くなかった。

 

「1週間、頑張って学校に行ったからご褒美においしいもの食べよう!」

 

って、知り合いが子供さんに話しているのを聞いてびっくりしていた。

 

だって、「学校」にいくのは当たり前のことで

1週間行ったからって、なんでご褒美あげるの???

 

って感じていた。

清里の朝の空

 

 

2017年にあることがきっかけで

心屋のオープンカウンセリングに行って

促されるまま

 

「私、がんばてきたなー」

「寂しかったなー」

 

と言葉にしようとしたら

急に涙があふれて言葉にならず

 

「え???自分って頑張ってきたんだ!寂しかったんだ!」

って初めて気がついた。

 

そして

「自分の好き・やりたいこと」

「自分を粗末にしていた」

「自分をないがしろにしていた」

ことに気づいてびっくりした。

 

 

そこから、

他人軸な自分に気がつき

自分軸って言葉を知り

 

少しづつ自分に向き合って

今日に至る。

2018年マスター中 ぢんさんと

 

気付かぬうちに

喜び・悲しみ・怒り・楽しみの感情に蓋をしていて

 

少しづつ

感情の蓋をずらして

悲しみを出し

自分の感情に気がついて

 

やりたい!って思ったことを叶えていって

少しづつ軽くなっている自分がいた。

 

 

なのに、なぜか?

今一つ、違和感があって、

それはなんなのか?

気になっていた。

 

 

 

今年3月

分かってしまった。

 

不自然が当たり前すぎて

「自然」だと勘違いしている事に気がついて

 

一番大きな「不自然」を無いものにしていた。

 

 

人生の中で

大きな夢を思い描いて

幸せに笑っている自分を想像して

楽しみにしてたのに

 

自分じゃない

人のためにと思って我慢しちゃってた事

 

一番したいけど

一番出来ないと思ってた事

 

 

本当の私は、どうしたいのか?

 

 

 

 

ここをちゃんと感じて

言葉にして

そして

行動

 

そこから

本来の自分が喜んで動き出すと感じてる

 

 

 

 

2018年に 当時のぢんさんから貰った言葉

「私はキレイで良いんだよ」

「私は才能を使っても良いんだよ」

「私は収入が増えても良いんんだよ」

「私は目立って良いんだよ」

「私は活躍して良いんだよ」

「私は笑って良いんだよ」

「私は愛されて良いんだよ」

「私は愛して良いんだよ」

「私は人気者になって良いんだよ」

「私はありがとうって言われて良いんだよ」

「私は楽しくて良いんだよ」

 

 

その当時は、「へーそうなんだw」

って他人事に感じていた言葉

 

今日、読み返してみると

「うんうん!」

って、自分に許可を出せてる自分がいる。

 

 

 

笑うことも

悲しむことも

怒ることも

楽しむことも

 

いろんな感情を忘れていた過去の私

 

 

清里に来て

涙が出るほど 笑って

思いのままに 楽しんで

ゆっくりと 自分の時間を持って

 

自分て幸せだなーって感じてる

 

 

本来の自分に戻れる

この場所で

 

自分を輝そう