こにゃにゃちわ。
またまたお久しぶりになりました。
さおりさんの次元変更セラピー、3ヶ月が経過し本日最終日を迎えました。
【次元変更】と文字だけで見ると、
エレベーターに乗って行き先の階のボタンをポチっと押したら、チーンはい到着
みたいな流れだと思う人もいるかもしれませんが、
勿論、実際そうなる人やそういった体感を得る人もいるかもしれないけどね。
私にとっては、、違いました。えぇ。
そんな簡単なもんじゃねぇですた。
まずこのセラピーを受けたタイミングが、本当に我ながら完璧だったと思います。
それは、9年ぶりの社会復帰(初めての職種でバイトを始めて)からの〜、地球を揺るがすコロナ騒ぎ、と怒涛の生活の変化の中でスタート出来たからです。
結果、人生の縮図を見るような感じになった。
まさに、人生の総棚卸し!
ちょっと違うか?、、、いや、遠からずだな。
最終日に近づくにつれて、私は自分の人生を振り返る、そんな時間が(想いが)増えました。
9年ぶりのバイト先には、やたら不機嫌な先輩パートさんが数人いて、とにかく雰囲気悪くて、今現在3ヶ月目経過し私が入ってから既に二人辞めていくような職場。
次元変更セラピー受けてて本当助かったと思った(笑)
そりゃあもう、セラピーのLINEに私が書き込む話題は不機嫌なオバサンになりますわな。それか旦那(笑)
セラピーはグループLINEで行われます。
でもね、そんな職場を選んだのは間違いじゃなかったなーと今は思う。
人生に間違いの選択はない。
だって、やたら高圧的で、平気で人を嘲笑い、思い通りに行かないとイライラピリピリを伝播させる、そんな人を登場させたのは紛れもなく私自身であり、勿論登場させたのには意味があった。
始めは、こんな雰囲気悪い職場初めてだぜ〜とか、なんなのこの女独特のマウンティング劇場…とか、最初はある意味興味津々でしたのよ。最初は、ね。そのうち、なんなの?なんで誰も改善しようとしないの?パートリーダーの存在意味ってなに?センター長は何をしてんの?え?これ壮大な集団催眠??とかね、(笑)
出ましたよ。えぇ。めちゃくちゃ炙り出されてきました。
私の中の怒りが。
フンガー
何を隠そう
私は幼少期から、常に自分の側に不機嫌な人を登場させてきました。
強烈な最初の登場人物は【実の姉】
今となっては、姉の気持ちも理解し和解しておりますが、母が亡くなって、海外出張ばかりで居ない父、当然日々は思春期真っ只中の【超】不機嫌な姉と二人の密閉空間。今どきで言うならネグレストでDVかな。でもあの頃はバリバリの(?)昭和だったし、両親揃っていても似たような状況の友達も多かった。所謂類友。
そりゃーもー毎日が恐怖だった。
文字通り、息を殺して、姉の機嫌を伺って生きていました。毎日がサバイバル。な心持ち(笑)
だからね、私の中には
【不機嫌は悪】
【怒りは罪】
そう思い続けてきた大きな大きな塊があるのでした。
そしてその塊に、分厚くて重たい蓋をして見ないふりをしてきました。目を逸らして逃げてきたの。
そして人生色々あって、その後結婚
ご想像通り、漏れなく、夫もザ・暴君で(笑)
言葉の暴力は本当えげつなかったです。
物心ついてから姉から受ける怒り、そして結婚し夫の暴君っぷりに絶望し切った産後、人生をどうにか変えたくて藁をも掴む思いで、好きだったスピリチュアルをもう一度求めるまで、今思えば私は常に【怒りを監視】しながら生きてきたんだと思います。無意識に、ね。無意識だから、今も気を抜くと監視します。
私の中の【不機嫌は悪】【怒りは罪】は
ある意味、誰にも助けて貰えなかった、守って貰えなかった幼少期の私の心の叫びでした。
と、同時に不機嫌はいけない、怒ってはいけないと鎖でぐるぐるに自らを縛ってきたのだと思います。
だけどさ、時に理不尽に不機嫌になる時ってあるじゃん。八つ当たりと解っていようといまいと、当たり散らしたいときってあるじゃん。
あるんだよね、誰にも、誰だってそんな時がさ。
怒りを悪としている、私にもあるわけですよ。
しかも、日頃鎖で縛って、我慢してるから、怒り始めると質が悪い(笑)すんごい便秘の人の屁みたいな強烈さ。
怒りを、禁止してるから怒った自分に対しても厳しいわけです。厳しく否定するの。全力で。
だから、だからこそ、
あえて登場させてきたのよね。【怒る人】を。
そして、そんな人を否定することで、正義を突きつけることで、怒る私自身をメチャクチャ否定してきたんだと思います。
怒りって、嫌だよね。辛いし悲しいし疲れる。
怒りを向けられても誰かに向けても、それは同じ。
でも誰かが言ってた。
怒りは、変化を起こすための情熱だって。
怒りの向こう側には、こうしたらもっと良いのに。とか、本当は可能性がこんなにあるのに、とかってその人なりの情熱の結果らしい。
まぁ、それはある意味、あくまで「その人にとっての」だから、コントロールや、押し付けの可能性も大だけどね。
だとすると、怒りイコール悪とは限らない訳だ。
じゃあなんで、怒りイコール悪の方程式を私は人生に於いて常々採用してきたのか。
それは
悲しかったし、怖かったから。
それに尽きる。
なぜなら小さな私にとって姉の怒りは死活問題だったから。
そして、怖かったと同時に
止めて欲しかった。お願いだから止めて欲しかった。
だから私の中にも、
「ざけんじゃねぇよお前の不機嫌なんか知らねぇし八つ当たりしてくんなよ、バアァァァ〜〜〜カ」と相手の怒りを跳ね返したい【怒り】があったのです。
そう。長年マグマのようにぶちギレ続けていた私が居たのです。。。。
おぉぉ…うそうだったのか。。。リトルけいこよ。
それを自ら知らせる為に、何かにつけ【怒ってる人】を登場させてきたのか。。。
そして、頭では理解しつつも、次元変更セラピー中に何度も何度も同じような事に引っ掛かっていたのは、本当の意味で、そんな【怒りまくっている】自分を認めていなかったからか!!!
(実は。不機嫌なオバサンの出来事起こる→頭では冷静に理解する→しばらくするとまた同じような出来事起こる→頭では冷静に理解する→あれ?前も言ってなかった?これ何度目?みたいに、次元変更のグループLINEに何度も似たような状況を語っていた私…)
そうです。分かったふりして表面を撫でていただけだったって事ですね。だから、何度も現れた。
そこに気付いた時の気持ちと言ったら…もぉ…
グォヲヲワワワ〜〜ン
ですよ。聞いた事の無い音聞こえたわ(笑)
あのね、どうやら長年握りしめていたものは、油断すると片目で見て全てを見たつもりにしてまた隠そうとするらしいよ
でも、間違いなく、例え少しずつでも、例え実感なくても、今まで居たところから前進してる。ハズ!(笑)(笑)
いぇ、間違いなく、前進しています。
前進していない気がしても終わってみたら、
そう実感するのです。
今の私は3ヶ月前の私ではない。
ましてや、無意識に怒りを握りしめていた過去の私ではない。
今回、怒りを握りしめていたと気付き、その手を間違いなく開いた。
否定し続けた怒りが自分の中に溢れてたという事実も、都合良く表面だけを撫でて、分かったふりしたカッコ悪い自分も、今は愛らしく思ってる。
こんな風に自分を思えるなんて幸せだなと思う。
これを体験させてくれたのは紛れもなく
私のまわりの【怒れる人々】です。
私の人生に彩りをありがとうございました♥️
次元変更セラピーでは
私は怒りではなく、
私は何を見たいのか、
私はどう在りたいのか、
を選び直せる事を何度も丁寧に教えて貰いました。
じゃあどうしたいのか、と側で問いかけてくれる存在(さおりさん)が本当に有り難かったです。
3ヶ月間、さおりさんの次元変更セラピーを受ける時、結局誰よりも私が密かに、エレベーターに乗って、チーン、つって軽々と晴れやかに(笑)ワープするようなつもりでいたのかもしれません。お恥ずかしい
しかし、終わってみたら思いもよらない、嫌だ嫌だと忌み嫌いながらも、大切に大切に握りしめていた自分の中の【怒り】を見つけました。
でも、それは私の人生にとって最大の宝物なのかもしれない。
次元変更するつもりが、
お宝発掘しちゃったぜ
でもそれが何よりの次元変更なのかもしれないとも思う。
3ヶ月間伴走してくれた、さおりさん、そしてご一緒してくれたお二人、ありがとうございました♥️
さあ、君も自分の中のお宝発掘したくはないか??次元変更セラピーについては松本さおりさんに問い合わせてにゃん。