言葉にできないものを伝えようとする難しさは計り知れない。

私達は言葉をありのままに受け止め、自己判断し、頭で理解する。ただしそれは「言葉」を理解しただけであって、「言葉にできないもの」を理解したわけじゃない。

「これは林檎だ」と伝えれば、誰しもが林檎だと理解する。でも、「これは林檎であって林檎じゃない」と伝えれば、そこには疑問しか生まれない。

林檎じゃないなら、何なのか。
それは言葉にできない。

「林檎であって、林檎じゃない」という、
真理が在るだけだ。

そんなふうに、会長が伝えようとする誇張法は、「言葉にできないもの」を含んでいる。



オステオパシー誇張法一泊研修の「特別」は、研修の後に行われる、夜の講義にあるといっても過言ではない。

特にテーマを持たず、会長への質疑応答、また参加者それぞれが、自由な発言を行える貴重な時間だ。この時間は、会長が常日頃から伝えようとしている「言葉にできないもの」について会話が交わされることが多い。

研修場所、マホロバマインズ三浦より。
海の反対側には、違う景色がある。


今回の講義においても、目に見えないエネルギーのことや、自然災害の発生原因等にも言及された。まさに「言葉にできない部分」を含んでいるため、レポートでは割愛させてもらうが、代わりに、今回の研修を振り返っての会長の言葉を、置いておこうと思う。


「オステオパシー誇張法、伝える事がとても難しい!ハウツーを教えても、本当の意味で伝えた事にはならないんだ。

通り一遍等の事は、少し訓練すれば、誰でも出来るようになるし、伝えられるだろう。通り一遍等でも覚えれば、他の手技療法と同等か、それ以上の結果を出せるかもしれない。

これで満足できる方は、この時点で充分だと思う。しかしそこから先は……。

そこから先は、学ぶ者が、その背後に何かが在る事に気付かないと。そして、その背後に在る何かを求めないと。かつ、その背後に在る何かを識っている者が教えないと、成り立たないんだ。

私は、その方の手技を少し観れば、レベルが解るんだ。質問内容でも解るよ。複数から同じ質問内容を、同じ言葉で聞いても、レベルの違いが分かるんだ。それは、言葉を観ているから。

それぞれの目的があって、誇張法を学びに来てくれているのだと思う。ある方は、本当に苦しんでいる方に、手を差し伸べたくて。ある方は、自分の仕事の幅を増やしたくて。またある方は……。

本当に苦しんでいる方に手を差し伸べたい!
手を差し伸べると云うのは、結果を出してはじめて言える事なんだ!

本当に手を差し伸べたいのなら、背後にある何かに気づき、それを手にしないとな。

私が教える誇張法は、背後に在る何かを含めて教えている。私は、背後に在る何かを常に置いている。あとは、それに気づくかどうかだよ」


会長の伝えようとする「背後にあるもの」は言葉にはできない。言葉にした途端に違うものになってしまうか、間違った理解を生むからだ。
それ故に、気付いてもらうしかない。

「そこから先」の結果を出す為に必要な概念を言葉にするなら、いくらでも書けるだろう。

確信、中立、尊重、感謝、etc.

しかし私達は、これを言葉として理解する。
背後ではなく、表面だけを理解する。

「林檎なら分かってる。
林檎のことはたくさん学んだ!」

そこに、理解した、という錯覚が起こる。


背後に在るものとは何か。
それは残念ながら言葉では書けない。

ひとつの道がある。
想い描いた世界に繋がるかどうか。

それはたった、1ミリの変革。
今は1ミリしか変えることができなくても、進む度に1ミリずつ変えることができれば、辿り着く世界は大きく変わる。

たった1ミリでいい。

会長はそう話す。


分からなくても良い、それに気付くにはまず、「人とは何か」が入り口だということ。

会長の持つ意識と、一般の方が持つ意識の「差異」は、ほんの僅かだ。

この形の世界に居ながらにして、背後にあるものを観ようとするのではなく、既に背後に居る者として、この形の世界を観る、という意識。

その意識改革が1ミリずつ出来たならば、その先の誇張法は自ずと観えてくる。




研修にご参加下さった先生方、
生徒の皆様に、感謝を。




日本誇張法協会