8月くらいに行った長柄古墳群です。

前方後円墳というと近畿地方が有名ですが、この古墳は誰のかはわかっていないので、たぶんこの逗子や鎌倉三浦半島の豪族だと自分は思いますが、2個で同じ人かはわかってないみたいです。

最寄り駅は京浜急行逗子線の終点逗子葉山駅から歩いても行ける距離にあります。

見つかったのは割と新しく携帯電話の電波塔を山の上に作る時の調査で発見されたようです。

まずは1号墳です内陸側にあります。

このような円筒埴輪があったようです。

続いて2号墳です1号墳よりも海側にあります。1号墳と違い整備などはされないみたいな感じです。

 

最近はブログ書いてませんでしたが、また時々書きます。最近は鎌倉周辺の寺院等は時々行ってますが、それ以外でも縄文遺跡や、縄文遺跡の展示がある博物館や歴史博物館等にも行っているので、そのうちアップしようと思ってます。

まずは6月中旬に行った杉本寺です。このお寺は鎌倉で一番歴史の有るお寺で、奈良時代からあるようです。

苔の階段が見事でした。

次の2枚の写真は運慶が作ったとされている仁王像です

最後のは本堂です。内部は撮影禁止でした。

次のブログは逗子市の前方後円墳の予定です。

 

京急久里浜駅から徒歩20分くらいの場所にある怒田城に行きました。このお城は三浦氏一族のお城で平安時代末期の1180年に起きた三浦一族と畠山一族の衣笠山合戦の時代のお城です。この場所は縄文時代の吉井貝塚の場所に建てられていてすぐ下が当時海になっていました。

まずはこのお城は山の上にある山城なので、水堀ではなくて土塁です。

次にお城の上からの風景です。ちなみに大阪城、名古屋城熊本城姫路城などにある天守閣は戦国時代からと言われているので、このお城はこの広いところに屋敷があるだけでした。

次は先ほどの土塁をお城の上から撮った写真です。

その近くに江戸時代の御用林がありました。説明の通り江戸城の債権の時にもこの場所から気を持って行ったそうです。

 

昨日6/18日に神奈川の鎌倉に歩きに行きました。

まずJRの逗子駅からハイランドという住宅街を通り浄明寺というお寺のあたりを歩きました。

まず江戸時代の初期に京都で建てられ昭和34年に鎌倉に石など全部移築をした国指定重要文化財の一条恵観山荘(いちじょうえかんさんそう)という場所に行きました。まだ鎌倉では穴場で紫陽花がきれいで、鎌倉にいるのに京都で枯山水とかの庭園を見て不思議な感覚になりました。

次に今回の目玉である浄明寺の脇にひっそりとある鎌足稲荷神社という場所に行きました。

まず浄明寺とは鎌倉5山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄明寺)です。

他のお寺は北条、や源頼朝関係なのにこの浄明寺は室町時代の足利家関係のお寺です。

鎌足稲荷神社は奈良時代の学校の教科書でも出て来る大化の改新で有名な中臣鎌足が乳児のころ稲荷大明神から鎌を授けられて大化の改新の翌年646年に鎌倉に来た時に授けた鎌をここに奉納しなさいというお告げから鎌倉という名前になったという由来があるそうです。

他にも上空とかから見るとおかまの地形や海岸線にあしとかの葉が多いから鎌倉になったとかあるようですが鎌倉の漢字2文字はこの中臣鎌足説位です。

浄明寺の境内に鎌足桜という名前の桜もあるようです

ちなみに稲荷神社に狛犬じゃなくて狐がいますが、それが稲荷大明神ではなく狐は稲荷大明神のお使いだそうです

 

かなり前の写真になってしまいますが、4/29に葉山方面に歩きに行ってました。

まず京急の安針塚駅から津嘉山公園に登りそこから横須賀中央部の横須賀菖蒲園により、一度少し戻り葉山の御用邸のまで歩きました。

安針塚の由来は今年の大河ドラマでまだ先の話なので出て来るかわからないですが、三浦按針という人のゆかりの地です。

まず最初は菖蒲園です。この時期は藤の花がきれいで今頃は手前の草花ショウブがいっぱい咲いてるかもです。

次の写真は三浦半島でたぶん唯一の自然の滝での不動滝です。昨年の大河ドラマに出てきた畠山重忠軍が三浦氏との衣笠山合戦で通ったあたりです。

そこから少し降りた場所に古代東海道の道が通ってます。たぶんヤマトタケルとかの東部遠征の時くらいまで時代はさかのぼると思います。

そこから歩くと神奈川県で2か所くらいしかない上山口の棚田に出てさらに歩き進めると、葉山の今も時々皇室の人たちが利用する、御用邸まで歩くことができます。

また明日辺りにはきょう6/18に鎌倉を歩いたのでその記事でも書こうと思っているのでまた次回も読んでください。

 

三島大社を後にして今度は富士山の湧水が大量に湧き出している柿田川湧水群に向かいました。

この川自体が天然記念物になっていてすごくきれいな場所でした。

 

 

昨年の7月17日に時間が無くなって行く事が出来なかった、伊豆の韮山、三島周辺の鎌倉殿に関連する場所などを4/1に回りました。

まずは韮山駅で降りて、源頼朝と北条政子が出会った場所と言われる、蛭が小島に向かいました。

源頼朝北条政子のゾウの視線の先は次の写真のように富士山の方を向いてました。

次の写真の狩野川を渡り北条義時のお墓がある北條寺方面に向かいました。

次の写真が北條寺です。

裏山に北条義時のお墓がありました。

北条泰時が作った言われています。

次に北條寺の隣にある東漸寺に行きました。

ここには北條の家紋があったので後北條か北条義時の関係かはわからないです。

その後三島大社に向かいました。

この他に三島の近くにある柿田川湧水群にも行ったのでそのブログは明日にでもアップしますのでぜひ読んでください。

3/19日に神奈川県の三浦半島の先端のほうにある三崎港周辺に行ってきました。

三崎港のあたりは三浦氏の海軍の重要な位置でした。

まず三崎港のバス停から源頼朝のお手植えの大銀杏の木というのがある海南神社に向かいました。

この三崎周辺には源頼朝の時代に3か所の御所があったようです。

その御所とは桜、椿、桃の三カ所です。

海南神社を後にしてまずはそのうちの1か所桜の御所とされている場所で今は本瑞寺となっている所に向かいましたが、現在桜の木は見当たらないので風景です。

次に椿の御所となっている、大椿寺に向かいました。

この大椿寺の近くには湾がありその湾は北條湾という名です。

そして最後に桃の御所の見桃寺に向かいました。

いずれの3の御所とも現在は周りに建物が建ってしまいましたが、当時は建物もなく、景色がいい場所なので御所にするにはいいと思いました。

また三崎港はマグロでも有名な街なので、海鮮丼などを食べながら歩くのもおすすめです。

3/11に十二所果樹園という横浜市金沢区、逗子市、鎌倉市に挟まれたところにある場所に行ってきました。

この場所は昨年の鎌倉殿の13人の登場人物の一人上総広常の屋敷があった場所だといわれているようです。上総広常は名前の通り房総半島が本拠地だったそうです。

 

少し前の日になってしまうのですが、2/25日に横須賀市にある、万願寺というお寺に参拝しました。

京浜急行線の北久里浜駅が最寄り駅です。そこから横浜横須賀道路の佐原インターチェンジの方向を目指していったところにあります。

佐原氏は大河ドラマの時代の後鎌倉から福島県会津若松市に移り蘆名氏に変わり幕末の白虎隊で有名な会津若松城(現鶴ヶ城)に行きました。

佐原氏の最初の当主佐原義連のお墓がありました。