題名の通りまず始めに生い立ちについて軽く。
何故ならば
【被害者】である母について知っていて貰わないとこの話が始まらないからです。
母は、娘の私が言うのもなんだか、とにかく美人だった。(これは余談)
幼稚園の時の保護者が来る行事の時はそりゃあ鼻が高かった。
中学時代は、いわゆる【スケバン】
本人は話さないが、母の弟や母と歳の近い従兄弟から話は聞いて知っていた。
母が通っていた中学、及びその周りの中学の人間なら誰でも知ってる、【番を張っていた】というやつだったみたいだ。
小学校から中学まで空手と自身の鍛えで力はかなりえげつなかったそうだ。
【そうだ】というのは憶測という訳ではなく、実際、自分が何度もその【力】を思い知らされる事になって事実だと実感できた。
私が小学2年生の時に母は
パニック障害·うつ病を発症。
その時から我が家は、電気ガス水道がよく止まっていた。
担任の先生がよくお弁当を夜に持ってきてくれていた。
小学5年生の時、初めて、暴行を受けた。
散らかった部屋で寝坊して慌てて支度をしてランドセルを背負うと、何年も台所に立っていなかった母が言う。
「味噌汁作ったから食べていき」
私は時計を見ながら
「でも、遅刻しそうだから…」
と出かけようとした。
「食べていけゆうとるやろが!!」
と、顔が真っ赤の母に突然蹴飛ばされ、転んで仰向けの私の上から何度も拳が顔面に飛んできた。
「やめて!ごめんなさい!食べます!ごめんなさい!」
結局涙で味は覚えていない味噌汁をすすり、数時間遅れで学校へ向かった。
それが始まりだ。
母の暴行はエスカレートし、中学3年生の時、
家にはガタイの良い男友達と女友達2人がいる所で、また突き飛ばされ、
【首を意識が飛び泡を吹くまで絞められた】
友達3人が引き離そうとしてもビクともしない。
中学時代、鍛えられた体はまだまだ現役だった。
(勝てない。絶対に抵抗しても力では勝てない)
これは34歳になるまで永遠に私の中の絶対的な固定観念になった。
【母に暴行を受けたら抵抗しても絶対に逃げられない】
首を絞められる
髪の毛を引っ張られ、野球ができる程の大きさのボールができるくらい髪の毛が抜ける
目が鬱血して白目が真っ赤になる
首を絞められる
馬乗りになってとにかくボコボコにされる。