原民喜訳
1 大騒動
私はいろいろ不思議な国を旅行して、さまざまの珍しいことを見てきた者です。名前はレミュエル・ガリバーと申します。
子供のときから、船に乗って外国へ行ってみたいと思っていたので、航海術や、数学や、医学などを勉強しました。外国語の勉強も、私は大へん得意でした。
一六九九年の五月、私は『かもしか号』に乗って、イギリスの港から出帆しました。船が東インドにむかう頃から、海が荒れだし、船員たちはたいそう弱っていました。
十一月五日のことです。ひどい霧の中を、船は進んでいました。その霧のために、大きな岩が、すぐ目の前に現れてくるまで、気がつかなかったのです。
あッという間に、岩に衝突、船はまっぷたつになりました。それでも、六人だけはボートに乗り移ることができました。私たちは、くたくたに疲れていたので、ボートをこぐ力もなくなり、ただ海の上をただよっていました。と急に吹いて来た北風が、いきなり、ボートをひっくりかえしてしまいました。で、それきり、仲間の運命はどうなったのか、わかりませんでした。
ただ、私はひとり夢中で、泳ぎつづけました。何度も何度も、試しに足を下げてみましたが、とても海底にはとどきません。嵐はようやく静まってきましたが、私はもう泳ぐ力もなくなっていました。そして私の足は、今ひとりでに海底にとどきました。
ふと気がつくと、背が立つのです。このときほど、うれしかったことはありません。そこから一マイルばかり歩いて、私は岸にたどりつくことができました。
私がおかに上ったのは、かれこれ夜の八時頃でした。あたりには、家も人も見あたりません。いや、とにかく、ひどく疲れていたので、私はねむいばっかしでした。草の上に横になったかとおもうと、たちまち、何もかもわからなくなりました。ほんとに、このときほどよく眠ったことは、生れてから今まで、一度もなかったことです。
ほっと目がさめると、もう夜明けらしく、空があかるんでいました。さて起きようかな、と思い、身動きしようとすると、どうしたことか、からだがさっぱり動きません。気がつくと、私のからだは、手も足も、細いひもで地面に、しっかりくくりつけてあるのです。髪の毛までくくりつけてあります。これでは、私はただ、仰向けになっているほかはありません。
日はだんだん暑くなり、それが眼にギラギラします。まわりに、何かガヤガヤという騒ぎが聞えてきましたが、しばらくすると、私の足の上を、何か生物が、ゴソゴソはっているようです。その生物は、私の胸の上を通って、あごのところまでやって来ました。
私はそっと、下目を使ってそれを眺めると、なんと、それは人間なのです。身長六インチもないこびとが、弓矢を手にして、私の顎のところに立っているのです。そのあとにつづいて、四十人あまりの小人が、今ぞろぞろ歩いて来ます。いや、驚いたの驚かなかったの、私はいきなり、ワッと大声を立てたものです。
相手も、びっくり仰天、たちまち、逃げてしまいました。あとで聞いてわかったのですが、そのとき、私の脇腹から地面に飛びおりるひょうしに、しごにんの怪我人も出たそうです。
しかし彼等はすぐ引っ返して来ました。一人が、何か鋭い声で訳のわからぬことを叫ぶと、他の連中が、それを繰り返します。私はどうも気味が悪いので、逃げようと思い、もがいてみました。と、うまく左手の方の紐が切れたので、ついでに、ぐいと頭を持ち上げて、髪の毛をしばっている紐も、少しゆるめました。これで、どうやら首が動くようになったので、相手をつかまえてやろうとすると、小人はバタバタ逃げ出してしまうのです。
そのとき、大きな号令とともに、百幾本の矢が私の左手めがけて降りそゝいで来ました。それはまるで針で刺すようにチクチクしました。そのうちに矢は顔に向って来るので、私は大急ぎで左手で顔をおおい、ウンウンうなりました。逃げようとするたびに、矢の攻撃はひどくなり、中には、槍でもって、私の脇腹を突きに来るものもあります。私はとうとう、じっと、こらえていることにしました。そのうち夜になれば、わけなく逃げられるだろうと考えたのです。
私がおとなしくなると、もう矢は飛んでこなくなりました。が、前とはよほど人数がふえたらしく、あたりは一段と騒がしくなりました。さきほどから、私の耳から二間ぐらい離れたところで、何かしきりに、物を打ち込んでいるおとがしています。
そっと顔をそちら側へねじむけて見ると、そこには、高さ一フート半ばかりの舞台が出来上っています。これは、こびとなら四人ぐらい乗れそうな舞台です。のぼるためにはしごまで、二つ三つかかっています。今、その舞台の上に、大将らしい男が立つと、大演説をやりだしました。四人のお附きをしたがえた、その大将は、としは四十歳ぐらいで、ふうさいも堂々としています。といっても、その身長は、私の中指ぐらいでしょう。声を張りあげ、手を振りまわし、彼はなかなか調子よくしゃべるのです。
私も左手を高く上げて、うやうやしく、答えのしるしをしました。しかし、なにしろ私は、船にいたとき食べたきりで、あれから、何一つ食べていません。ひもじさに、お腹がぐーぐー鳴りだしました。もう、どうにも我慢ができないので、私は口へ指をやっては、何か食べさせてください、という様子をしました。大将は私の意味がよくわかったとみえて、さっそく、命令して、私の横腹に、梯子を五 六本かけさせました。
すると、百人あまりの小人が、それぞれ、肉を一ぱい入れた籠をさげて、その梯子をのぼり、私の口のところへやって来るのです。牛肉やら、ひつじ肉やら、豚肉やら、なかなか立派な御馳走でしたが、大きさは、ひばりの翼ほどもありません。一口に二つ三つは、すぐ平げることができます。それにパンも大へん小粒なので、一口に三つぐらいわけないのです。あとからあとから運んでくれるのを、私がぺろりと平げるので、一同はひどく驚いているようでした。
私は水が欲しくなったので、その手まねをしました。あんなに食べるのだから、水だって、ちょっとやそっとでは足りないだろうと、こびとたちは一番大きな樽を私の上に吊し上げて、ポンと呑口をあけてくれました。一息に私は飲みほしてしまいました。なあに、大樽といったって、コップ一ぱい分ぐらいの水なのですから、なんでもありません。が、その水は、薄い葡萄しゅに似て、なんともいい味のものでした。
彼等はこんなことがよほどうれしかったのでしょう。おお喜びで、はしゃぎまわり、私の胸の上で踊りだしました。下からは私に向って、そのあき樽を投げおろしてくれと手まねをします。私が左手で胸の上の樽を投げてやると、こじとたちは一せいに拍手しました。それにしても、私のからだの上を勝手に歩きまわっている大胆さ。私の身体は彼等から見れば、山ほどもあるのです。それを平気で歩きまわっているのです。***
しばらくすると、皇帝陛下からの勅使が、十二人ばかりのお供をつれてやって来ました。私の右足の足首からのぼって、どんどん顔のあたりまでやって来ます。その書状をひろげたかとおもうと、私の眼の前に突きつけて、何やら読み上げました。それから、しきりに前方を指さしました。この意味は、あとになってわかったのですが、ゆびさしている方向に、小人国の都があったのです。そこへ、皇帝陛下が、私をつれて来るよう言いつけられたのだそうです。
私は、どうかこの紐を解いてくださいと、くくられていない片方の手で、いろいろと手まねをして見せました。すると勅使は、それはならぬというふうに、頭を左右に振りました。その代り、食物や飲物に不自由させぬから安心せよ、と彼は手まねで答えました。
勅使が帰ってゆくと、大勢のこびとたちが、私のそばにやって来て、顔と両手に、何かひどく香りのいゝ、油のようなものを塗ってくれました。と間もなく、あの矢の痛みはケロリとなおりました。
私は気分もよくなったし、お腹も一ぱいだったので、今度はねむくなりました。そして八時間ばかりも眠りつづけました。これもあとで聞いてわかったのですが、私が飲んだ、あのお酒には眠り薬がまぜてあったのです。
最初、私が上陸して、草の上に何も知らないで眠っていたとき、こびとたちは、私を発見すると、大急ぎで皇帝にお知らせしました。そこでさっそく、会議が開かれ、とにかく、私をしばりつけておくこと、食物と飲物を送ってやること、私を運搬するために、大きな機械を一つ用意すること、こんなことが会議で決まったらしいのです。
で、さっそく、五百人の大工と技師に言いつけて、この国で一番大きな機械を持ち出すことになりました。それは長さ七フィート、幅四フィートの木の台で、二十二この車輪がついています。私が眠り薬のおかげで、ぐっすり何も知らないで眠っている間に、この車が私の身体にぴったり横づけにされていました。だが、眠っている私をかつぎ上げて、この車に乗せるのは大へんなことだったらしいのです。
まず第一に、高さ一フートの柱を八十本立て、それから、私の身体をぐるぐるまきにしている紐の上に、丈夫な綱をかけました。そして、この綱を柱にしかけてあるかっしゃで、えんさえんさと引き上げるのです。九百人の男が力をそろえて、とにかく私をしゃ台の上に吊し上げて結びつけてしまいました。すると、千五百頭の馬が、その車を引いて、私を都の方へつれて行きました。もっとも、これは、みんなあとから人に聞いて知った話なのです。
車が動きだしてから、四時間もした頃のことです。何か故障のため、車はしばらく停まっていましたが、そのとき、二三の物好きな男たちが、私の寝顔はどんなものか、それを見るために、わざわざ車によじのぼって来ました。
はじめは、そっと顔のあたりまで近づいて来たのですが、一人の男が、手に持っていた槍の先を、私の鼻の孔にグイと突っ込んだものです。こよりで、つつかれたようなもので、くすぐったくてたまりません。思わず知らず、大きなくしゃみと一しょに私は目がさめました。
日が暮れてから、車は休むことになりましたが、私の両側には、それぞれ五百人の番ぺいが、弓矢やたいまつをかゝげて取りかこみ、私がちょっとでも身動きしようものなら、すぐ取り押えようとしていました。翌朝、日が上ると、車はまた進みだしました。そして正午頃、車は都の近くにやって来ました。皇帝も、大臣も、みんな出迎えました。皇帝が私のからだの上にのぼってみたがるのを、それは危険でございます、と言って、大臣たちはとめていました。
ちょうど、車が停まったところに、この国で一番大きい神社がありました。ここは前に、何か不吉なことがあったので、今では祭壇も取り除かれて、なかはすっかり空っぽになっていました。この建物の中に、この私を入れることになったのです。北に向いた門の高さが約四フィート、幅は二フィートぐらい、ここから、私は入り込むことができます。私の左足は、錠前でとめられ、左側の窓のところに、鎖でつながれました。
この神社の向側にみえる塔の上から、皇帝は臣下と一しょに、この私を御見物になりました。なんでも、その日、私を見物するために、十万人以上の人出があったということです。それに、番人がいても、梯子をつたって、この私のからだにのぼった連中が、一万人ぐらいはいました。が、これは間もなく禁止され、犯したものは死刑にされることになりました。
もう私が逃げ出せないことがわかったので、職人たちは、私のからだにまきついている紐を切ってくれました。それで、はじめて私は立ちあがってみたのですが、いや、なんともいえないいやな気持でした。
ところで、私が立ちあがって歩きだしたのを、はじめて見る人々の驚きといったら、これまた、大へんなものでした。足をつないでいる鎖は、約二ヤードばかりあったので、半円を描いて往復することができました。
立ちあがって、私はあたりを見まわしましたが、実に面白い景色でした。附近の土地は庭園がつづいているようで、垣をめぐらした畑は花壇を並べたようです。その畑のところどころに、森がまざっていますが、一番高い木でまず七フィートぐらいです。街は左手に見えていましたが、それはちょうど、芝居のまちそっくりでした。
さきほどまで、塔の上から私を見物していた皇帝が、今、塔をおりて、こちらに馬を進めて来られました。が、これはもう少しで大ごとになるところでした。というのは、この馬はよくなれた馬でしたが、私を見て山が動きだしたように、びっくりしたものですから、たちまち後足で立ち上ったのです。しかし、皇帝は馬の達人だったので、くらの上にぐっと落ち着いていられる、そこへ、家来が駈けつけて、手綱をおさえる、これでまず、無事におりることができました。
皇帝は、私を眺めまわし、しきりに感心されています。が、私の鎖のとゞくところへは近寄りません。それから、料理人たちに、食物を運べと言いつけられます。すると、みんなが、御馳走をもった、車のようないれものを押して来ては、私のそばにおいてくれます。
容れものごと手でつかんで、私はペロリとたいらげてしまいます。肉が二十車、飲物が十車、どれもこれもたいらげてしまいました。
皇后と若い皇子皇女たちは、たくさんのじょ官に附き添われて、少し離れた椅子のところにいましたが、皇帝のさきほどの馬の騒ぎのとき、みんな席を立って、皇帝のところにあつまって来ました。ここで、皇帝の様子を、ちょっと述べてみましょう。
皇帝の身長は、宮廷の誰よりも、高かったのです。ちょうど、私の爪の幅ほど高かったようです。が、これだけでも、なかなか立派に見えます。男らしい顔つきで、きりっとしたくちもと、弓なりの鼻、頬はオリーブ色、動作はもの静かで、態度に威厳があります。としは二十八年と九ヵ月ということです。
頭には、宝石をちりばめた軽い黄金のかぶとをいたゞき、頂きに羽根飾りがついていますが、着物は大へん質素でした。手には、長さ三インチぐらいの剣を握っておられます。そのえとさやは黄金で作られ、ダイヤモンドがちりばめてあります。
皇帝の声はキイキイ声ですが、よく聞きとれます。じょ官たちは、みんな綺麗な服を着ています。だから、みんなが並んで立っているところは、まるで、金糸銀糸の刺繍の衣を地面にひろげたようでした。
皇帝は何度も私に話しかけられましたが、残念ながら、どうもお互に、言葉が通じません。二時間ばかりして、皇帝をはじめ一同は帰って行きました。あとに残された私には、ちゃんと番人がついて、見張りしてくれます。つまり、これは私を見に押しかけて来るやじ馬のいたずらを防ぐためです。
やじ馬どもは、勝手に私の近くまで押しよせ、中には、私に矢を射ようとするものまでいました。一度など、その矢が、私の左の眼にあたるところでした。が、番人はさっそく、そのやじ馬の中の、かしららしい六人の男をつかまえて、私に引き渡してくれました。番人の槍先で、私の近くまで、その六人が追い立てられて来ると、私は一度に六人を手でつかんでやりました。
五人は上衣のポケットにねじこみ、あとの一人には、そら、これから食ってやるぞ、というような顔つきをして見せました。すると、その男は私の指の中で、ワーワー泣きわめきます。
私が指を口にもってゆくと、ほんとに食われるのではないかと、番人も見物人も、みんな、ハラハラしていたようです。が、間もなく、私はやさしい顔つきに返り、その男をそっと地面に置いて、放してやりました。他の五人も、一人ずつ、ポケットから引っ張り出して、許してやりました。すると番人も見物人も、ほっとして、私のしたことに感謝している様子でした。
夜になると、見物人も帰るので、ようやく私は家の中にもぐりこみ、地べたで寝るのでした。二週間ばかりは、毎晩地べたで寝たものです。が、そのうちに皇帝が、私のためにベッドをこしらえてやれ、と言われました。普通の大きさのベッドが六百、車に積んで運ばれ、私の家の中で、それを組み立てました。