「【緊急】「東北地方太平洋沖地震」のために僕たちができること」

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【緊急】「東北地方太平洋沖地震」のために僕たちができること3月11日に「東北地方太平洋沖地震」が発生しました。 とにかく被害にあわれたみなさまのご無事を祈るばかりですが、 それぞれの場所でそれぞれができること、いろいろあると思います。 微力ながら全国だるま会でもお役に立てるように、 僕たちが被災者のみなさまのためにできることをまとめてゆきたいと思います。 どんな小さなことでもいいので、ぜひご協力ください!

「全国だるま会」

「【緊急】「東北地方太平洋沖地震」

のために僕たちができること」fukutoku@wind.ocn.ne.jp

人生戦略を描くために5つのポイント

①「どんな人間になりたいか」が難しければ
  「どんな人間になりたくないか」から戦略ストーリーを組み立てよう。

② 10年、3年、1年の3単位で人生戦略を立て、
  環境変化に合わせつねに修正をしよう。

③ 人生戦略は「仕事」「私生活」「自己管理」「人派」「資産管理」

の5分野 に分ける。それが絡み合ってストーリーになる。

④ 壁に当たったら「世の中にはもっと大変な人がいる」と
考える。失敗も前向きに受けとめる。

⑤ 上司などのアドバイスを無批判に聞き入れるのは危険。
年長者が描いたストーリーはつねに古い、今は成り立たってない。

福徳直明 氏神さま 新日吉神宮(いまひえじんぐう)
久しぶりに、氏神様に御参拝しました。2011.1.10
55年間の御礼と今後の発展を御願いしました。
本殿七座は近江坂本日吉神社の神七社、相殿は中七社の中の二座と伝えられ、平安朝中期時代より、 日吉神社熊野神社の崇敬が上下に盛んで有ったが、後白河天皇は特に御尊信あられ、御譲位の後、 二条天皇永暦元年十月十六日に、御所法住寺殿の傍らなる東山の地(現今の社地よりは西南三町の日吉坂の辺り) に社殿を御造営鎮祀し給い、新日吉神社と称せられた。次に応保二年四月晦日に始めて祭儀を行われたが、 高倉天皇承安年中から、後白河法皇により小五月会を行わせられる事になり、毎年法皇または条項が、 武特盛んなる五月に行われ、大臣以下参仕し、里神楽田楽とうの奉仕があって鎌倉室町両時代にかけて盛大に行はれ、 社領の荘園も十余所に及んでおった。然るに応仁の大乱後全て廃絶し、社頭も衰えたが、 慶長四年豊国神社建営の時その傍らに祀られたと伝えられ、その後同神社廃絶するに至るや、 明暦元年妙法院党然法親王を追い、元の豊国神社中門石壇の西方に再興せられ、以来、 殿門漸次広壮となり、明治三十年社南東なる今の地に遷祀せられたのである。 江戸時代には禁中よりの御供備御寄進の事しばしばあったが、殊に元治元年の遷座には、日時宣下、勅使参向の儀があった。
≪京都府神社略記より≫
永暦元年(1160年)10月16日、後白河上皇が法住寺殿の鎮守として、皇居守護の山王七社の神々を、 比叡山東坂本の日吉大社から迎えて祀った事が創祀であり、朝廷の崇敬も厚く、小五月会(こさきのまつり)も盛大に行われた。 江 戸時代の初めに、妙法院宮堯然法親王が社地を改めて造営し、更に明治30年豊 国廟復興に際し、現在地に移転した。