こんにちはニコニコ

メダル村ですパー


小学5年生の時、タナゴ釣りの外道としてマブナを釣った。タナゴより数倍パワフルなマブナに魅了された。それを機にマブナ釣りを始めた。


竿は3.2mの万能竿。ウキは自宅にあった小型の玉ウキを使用した。鈎はハゼ釣りに使った流線5号を流用した。


エサを購入する小遣いは無かった。淀川の河川敷へ行き、雑草を引き抜くと、草の根に絡まった土の中からドバミミズが良く採れた。このドバミミズをエサにした。稀にオケラも採れた。人生の半ばを過ぎたが、オケラを見たのはこの時が最後だ。


マブナは城北公園の池に流れ込む川で釣れると、ヘラ釣り師から教わった。早速、日曜日に釣行する事にした。


自転車で10分ほどで城北公園へ到着した。この公園は当時から菖蒲で有名だった。菖蒲園の脇に池へ流れ込む川があり、水面にはハスの葉が浮かんでいた。川に架かる橋の上に釣り座を構えた。


仲間とともにドバミミズを鈎に刺し、釣りを開始した。仲間にはポツポツとアタリがあり、数匹のマブナを手にした。しかし、私にはアタリが無い。通りがかりの年配の方が釣り方を教えてくれた。私の仕掛けではウキ下が浅く、マブナは底を取らないと釣れないという。この時初めて、ウキ下という概念を理解した。


釣り方を教わると、ポツポツとアタリが出始め、私にもマブナが釣れた。すぐにバケツには10匹前後のマブナで溢れた。


散歩で訪れた人が私のバケツを覗き込み、この魚はお兄ちゃんが釣ったの?と声を掛けてきた。私は誇らしげに大きく頷いた。


終了間際、玉ウキが大きく消し込んだ。合わせが決まると、かつて経験をしたことが無い、大きな魚の手応えを感じた。コイだ。40cmクラスのコイだ。


コイは全国の河川に放流され、今では身近な魚となった。しかし、当時の大阪では放流事業など無く、一日一寸という言葉通り、あまり釣れる魚ではなかった。


数分間の格闘の上、仲間と二人掛かりで橋の上からゴボウ抜きを試みた。しかし、流線5号に付いているハリスでは、40cmクラスのコイの重量に耐えられるもので無い。無残にもハリスは切れ、コイは川の底へと消えて行った。一定以上の負荷が掛かると糸は切れる。そのことを身を持って体感した。


釣りを終えると、仲間と相撲を取った。当時、城北公園には土俵があった。相撲を取ることにより、コイを逃がした悔しさを紛らわせた。日が暮れるまで、何度も何度も相撲を取った。


専用の釣り道具など無い。ただ、マブナは十分に泳いでいた。そんな時代の思い出だ。



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