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メダル村ですパー



小学5年生の時、「釣りキチ三平」のタナゴ釣りの話しを読んだ。手先の不器用なアメリカ人が、小さなビックゲームと称して、三平からタナゴ釣りを教わるというストーリーだ。この話しに影響を受け、タナゴ釣りを始めた。


自宅近くの淀川の畔には、大小さまざまなワンドがあり、そこに多くのタナゴが生息していた。しかし、タナゴ釣り専用の竿や仕掛けなど持ち合わせがなかった。また近くの釣り具店にもタナゴ専用の仕掛けなど置いてなかった。当時の関西では、タナゴ釣りの文化など存在しなかったのかもしれない。工夫して道具を揃えた。


3.2mの万能竿の穂先を数本ほど抜き、タナゴ竿に流用した。ウキは所有している中で一番小さなトウガラシウキを使用した。近くの釣り具店では、タナゴ鈎の扱いはなく、袖型1号を購入した。ただ、エサを購入するほどの小遣いは無かった。母親の目を盗み、小麦粉に卵を入れて、水で溶いて黄練りを作った。


淀川の畔のワンドへ行き、あり合わせの仕掛けでタナゴ釣りに挑戦した。当時、タナゴを専門に狙っている人は、一人もいなかった。ピクピクとウキが沈み、タナゴがエサをついばんだ。しかし、袖型1号では鈎が大き過ぎて、思うように掛からない。だが、ひっきりなしにタナゴのアタリが続いた。


すぐに50匹ほどのタナゴが釣れた。釣りキチ三平を真似て、手のひらにタナゴを並べてみた。タナゴはピチピチと跳ね、漫画の様には、上手く並べることが出来なかった。冷んやりした感触が心地良かった。


釣れるタナゴはタイリクバラタナゴが多く、今では絶滅危惧種のイタセンパラも混じった。クチボソやモロコは、あまり釣れなかった。まれに20cmクラスのマブナが掛かった。そしてマブナの強い引きに魅了され、いつしか、タナゴ釣りからマブナ釣りへと関心が移った。


専用の釣り道具など無い。ただ、タナゴは十分に泳いでいた。そんな時代の思い出だ。



少年時代からの投稿