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日本昔話がリアルに・・・

震災の話引っ張って申し訳ないんだけど・・・汗




皆さんお馴染みの「日本昔話」ですが、今回の震災とリアルにかぶる話見つけました。





絵が怖いんだけど、暇なとき見てみてください。(まんまです)






被害に遭った方々お悔やみ申し上げます。



気仙沼より帰還

震災後両親の無事は確認出来てましたが、皆さんと同じくTVとネット情報での妄想でしたので、どうしても自分の目で確認したかったのが本音です。


非難後のくらしは? 親戚、友人の安否は? 「あの」街はどうなってるのか?・・・・






不謹慎かもしれないですが、正直何か役立とうというよりも、マスコミ情報ではなく「自分の目で確認したかったから」行ったのです


自分の気持の為に行ったのでしょう・・・






東北道が通ったというのを聞いて、ガソリンが心配でしたがバイクでひたすら北上しました。



地震でところどころ凸凹で、特に福島の白河あたりからオフフロードになります。



規制通り80キロなら問題ないですが、100キロ出すと「飛びます」






一関で降りて、山道をリアス式海岸に向けて東に走ります




気仙沼駅に出ましたが、何の被害も感じられません。





化粧坂を越えて大川を渡るとき「異臭」が鼻を突きます!



大川は瓦礫の山





このあたりから別世界に入り込みます



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異臭がますます強まり、我が家のある南郷地区に来ると・・・




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左上に屋根が見える家は、約7km先から人ごと流されてきました。
ここに不時着したときには生きていたようです。




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我が家の正面から撮った写真です





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この地区は人がいません。みな避難所です。

当然電気が来てないので窃盗が多いみたいです・・・


私もうろうろしてたら自衛官に変な目で見られました。







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TVで見るのとこんなにも違うのか!と3Dの迫力に圧倒されまくりです・・・




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絶妙なバランスで乗ってます・・・・





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プライベートなものが道?端に散乱







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死体?と思って焦りました・・・



死体といえば、直後4日後瓦礫を越えて我が家を見に行った時、我が家を見てその目線を下に下げたとき、足元にボクシングのファイティングポーズをとったままの形で紫になっている人を見たそうです・・・

津波の場合は地震や戦争と違って、畳の上で死ぬどころか、遥か遠くの他人の庭で瓦礫と共に発見されます・・・










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街のあちこちに魚やイカが散らばっています。

市場や加工工場から流れて来たのでしょうが、異臭の原因になっています。








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この辺の瓦礫の下にまだ死体が沢山あるようです。

被害範囲が大きすぎて、自衛隊もまだまだ手が回りません・・・・・







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我が母校の校庭にモスグリーンのテントで野営中の自衛隊

とても頼もしい存在です!







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我が母校「南気仙沼小学校」ですが、生徒はこの屋上で一命を取留めました。

ただ、橋を渡るおばあさんと孫が橋ごと流されてるのを全員で何も出来ず見ていたそうです・・・

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橋があった大川と橋の残骸

小学校のすぐ横





私が滞在した2日間でも余震が何度も繰り返されてました。



小さい頃祖父に空襲のことを散々聞かされましたが、この余震は正に空襲みたいなものです。



精神的にネガティブになるのと、未来の見通しがまるで無い状態にある「まっさら」な状態への不安。

過去の崩壊と暗黒の未来




とりあえず・・・



とりあえず出来ることから・・・



すぐ出来ることから・・・・



先は考えずに・・・



今日一日をどう過ごすか・・・・





という方々が徐々に増えてきているようです。



と同時に、職場を失くした人々がうろうろ・・・

観光地?というような感じで「被災地観光」に来る人々が増えていることも確かです。






被災者でない方、私も含めもういい加減クヨクヨしてる場合じゃないですよほんとに!

こんな時だからこそ経済廻さないとね




さあ出発です!







はじめの一歩

メールなど情報源が文章の昨今。



意思表示の有無より、



これだけ「声が聞きたい!」って思ったことはありませんでした!










やっと両親と電話で「まとも」な会話が出来るようになりました。


電話が3日前に繋がったのですが、暗闇と余震に怯えてまして、一方的に「あの時」の状況をひたすら訴えてるだけでしたから・・・会話というか・・・汗



昨年一人暮らしの叔母が亡くなり、その空き家に非難していたようなので、避難所の名簿で名前探しても無いはずでした。









最も被災してしばらく電気が無い生活でしたから、我々がテレビで見る「あの映像」は見ておらず、被害の大きさも近所を知る程度でしたので、ことの重大さはあまりわかってないようでした・・・



「今」はどうしようもないので、これからの「未来」を考えることに重点を置いているようで、声にはハリがありましたが・・・



知り合いや、近所の方々が亡くなられたことを話す際には、言葉を詰まらせてまして・・・戦争体験話をする祖父を思い出しました。





被災地に居なかった地元の友人達と連絡を取り合い(同窓会以来)、共通の知り合いの安否情報を交換することなど、ネット以上に口伝というのは馬鹿にならないと思うこともありました。


そんな情報の中には「無事」ということが多い中、「残念ながら・・・」という情報も入ってくると、
人のことなど覚えてない私でも、不思議とクッキリと顔が浮かんでくるのです。














4月に入ったら、気仙沼に行く予定です。


なんとか連休がとれそうなので、自分の目で、肌で触れて来たいと思ってます。



流されはしませんでしたが、私の部屋があった「2階の膝上浸水」の廃墟から、思い出を発掘しに行ってきます。








また報告します。








私の故郷が被災したので、いろんな方々よりお見舞いのお言葉をいただきまして、ほんとにありがとうございました。




この場を借りて心よりお礼を申し上げます。