◆「答え」はあなたの中にある◆

自分軸を整え、未来を創造する力を思い出す。

ヒプノセラピスト  さえち こと 樹内沙栄 です。

 

 

この間、どなたかの書かれた記事がなんとなくひっかかっていたさえち。

 

記事の内容を全部しっかり覚えているわけではないんだけど、

 

ざっくり言うと…

 

「毒親に育てられたって言う人がいるけど、

親を『毒』だと決めているのはその人自身。

その毒親は確かに、あなたをそこまで大きく育てたでしょう。」

 

そんな感じの投稿で、最終的には

 

「毒親が存在しているのではなく、毒親だと決めている自分がいるだけ」

 

みたいな感じだったと思う。

 

 

「そう決めているのは自分」

 

というのは、基本的にはさえちのイズム(笑)と同じなのだけど…

 

なんだろう?モヤる。

 

 

「毒親」の定義って難しくて、

 

それこそ少し前にちょこっと書いた、

 

「親の否定的な言葉や態度によって、

自分には何もできない、価値のない人間だと思い込んでいた」

 

そんなさえちの親も、受け取り方によっては毒親なのかもしれない。

 

でも、さえちの親は愛情を与えてくれたし、

中学時代不登校だったときも一緒に苦しんでくれたし、

高校に進学して通うのがしんどくなった時は、毎朝40分の道のりを送ってくれた。

 

一部分だけを切り取れば「毒親」とも取れるのかもしれないけど、

さえちがそこだけにフォーカスしなければ、「毒親」ではないのよね。

 

 

たぶん、そのモヤる記事を書いた方も、この程度の親の想定で書いたのかもしれないけど…。

 

 

でもさ、本当に「毒」だけしかない親というのも存在するわけで、

 

本当にカケラも愛情がない親というもの存在するわけで、

 

「だってそこまで育ててくれたでしょう」

 

と括ってしまうのはちょっと乱暴だよなと…。

 

 

そこまで考えた時、自分の書いた「人のせいにして生きるのは楽である」の記事も

 

ちょっと乱暴だったかもな…

 

と思った次第であります。

 

 

というモヤりからの気づき(笑)

 

image

 

「親から愛されなかった」

 

は、

 

「自分には価値がない」

 

とイコールにはならない。

 

さえちはそう思います。

 

 

…って結局なんの話だった?(笑)

 

 

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