今はフランスは朝の五時。
この村は○時には○回、○時半は一回、
必ず教会の鐘が鳴る。
今は自動みたいだけと、その昔は鐘を人が
1日中ついていたのだろうなぁ。
このブログを書いた後、たまたま娘と話した。
理解のある母親でいたくて、
娘に話せなかったことを話す。
それを話したことで、
今、彼女が体験していることが
彼女がこの世に生まれてきて
本当に体験したくて体験しているのだ、
ということがより真実としてやってきた。
親として、
苦労して欲しくない、
こうあってほしい、
これが幸せだ、
と子供の幸せを勝手に定義づけていたことに
気づく。
一番厄介なのは
こうした方が良いよ、
だと思う。
この言葉をどこから発しているか?
フランスのこの土地で
信じる
って言葉がとても響いているのだけど
まさに信じる、って感覚が
大事だなぁ、って思う。
何を信じるか、なんだけど
信じるポーズ