今日からやっと、ゼミの対面授業が始まった。
某有名小説家の先生の授業というだけあって、ゼミ生の自己紹介を聞いているとみんな賢そうでおおっ、となった。
一週間ごとにリレー日記を書くという課題の説明があって、それでふとこのブログの存在を思い出して戻ってきました。
かつて毎日ブログを書いていた人間的には、リレー日記などお茶の子さいさい……というわけにもいかず、書く力の衰えを感じるなど。
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おすすめの本の書評をするという課題のために、石原千秋『生き延びるための作文教室』(14歳からの世渡り術シリーズ)を読み進めている。
石原千秋は教育学部国語国文科の有名教授で、某ゼミの先生と大学(院)時代の指導教官が同じだったらしい(学年は被っていないが)。
石原先生(みんなは陰で千秋と呼んでいる、ちなみに千秋のファンは「チアキスト」と呼ばれている)の授業はめちゃめちゃ厳しいことで有名で、授業中あくびをした学生に怒鳴り散らしていたのを見たときはぞっとした。分かりやすいけど。
しかも皮肉も大好きで、ここまで書いただけで石原先生がいかにひねくれた人間か理解していただけると思う。
『生き延びるための作文教室』(14歳からの世渡り術シリーズ)というタイトルだけ見ても皮肉たっぷりで、世も末という雰囲気がムンムンに漂っている。
本文冒頭から、石原先生は「学校教育での『自由に書きなさい』という台詞は完全な嘘で、実際には書いていいこととダメなことの明確な境目である『ガラスの壁』が存在する」と喝破する。
また、「中高生は誰もが『個性的でありたい』と願うが実際には個性的な人間などめったにいないので、『個性的に見える』文を書けるようになるために努力するしかない」と断言したうえで、後半からは中高生向けに二項対立などを用いたテクニカルな文章講座が展開される。
こんな風にあらすじをまとめると「中高生に対してなんて冷酷な作文教室なんだ」と思われそうだが、石原先生の経歴を知ったうえで読むとまた違った感慨深さがある。
石原先生は日本近代文学におけるテクスト論(ざっくり言うと「本文だけを超丁寧に読んだら作者の意図を超えられるかもよ」流派)の先駆者であり、夏目漱石『こころ』において「先生」の死後「私」と「奥さん」が結ばれたという説を発表し議論を呼んだ。
石原先生の論文は決して「個性的」という訳ではなく、漱石研究におけるぼう大な先行研究の中で語りつくされていない部分を極めて緻密に探した結果生まれた論文のように見える。
実際、本文冒頭で「私自身の論文もまた『ガラスの壁』を突破できていないのかもしれない」と吐露しているように、この「作文教室」は石原先生自身が論文を書く上での葛藤を大いに踏まえていると思う。
さらに言えば、書くことは書いている自分を捉え直すことである。
「作文教室」で石原先生が中高生に投げかけた「個性的に見える文章を書き続ければ、いずれほんとうに個性的になれるかもしれない」という言葉は、「個性的」であることを求められる学校教育への痛烈な皮肉であると同時に、そんな中で「個性的」でなければならないという強迫観念に晒されている中高生へのエールのようにも見える。
千秋、ただの皮肉屋じゃない。大人にも響く人生哲学が存分に織り込まれているので、おすすめです。
(石原先生が万が一エゴサでこの記事を見つけた時のために予め謝っておきます、いろいろ書いてごめんなさい!!)
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僕自身、高2~高3を境に、明らかに「大人になったな」というか、世渡りが上手くなったと思う瞬間がよくある。
「ガラスの壁」がはっきり見えるようになったのも高3以降だった。
もっとも、僕は「ガラスの壁」を「これ以上踏み込まなければ怪我はしないだろう」と判断するための防御壁として使っているのだが。(かつては「ガラスの壁」に正面衝突して大けがを負ったり、壁をすり抜けて大気圏外に出て酸欠になったりすることがままあった)
しかしそれと引き換えに、かつての僕の創作にあったはずの発想力がめっきり姿を消したような気がする。
世界一速く回る洗濯機を作るためにサラリーマンが頑張る話とか、天才科学者が細胞の分裂を止めるためにアロンアルファで細胞をくっつける話とか、構成はめちゃくちゃだったけど「なんか面白い」という感覚だけで書き進められた時代があった。
今は矛盾点を見つけるたびに筆が止まるし、そういう棘をひとつずつ取り除いた結果凡庸なものしか生まれないし、なんだかなあ、という気がする。
そんな僕に「テクニカルな文章力を磨いて『個性的に見える』ように努力しろ」と現実的な示唆を与えてくれたのが、この本だった。
石原千秋自身がこの本にそんな意図を込めたかどうかは分からないが、まあテクスト論の研究者なら許してくださると信じたい。
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実は、まあまあでかい軽音サークルの幹事長を務めている。
社会性を身につけるための修行が主な目的だったのだが、びっくりするほど社会性が身につかず流石にびっくりしている。
世渡りが上手くなったことと引き換えに、一度凝り固まった性格(人と喋れないとか人と喋れないとか)は今更変えられなくなったということなのだろうか。
生き方を変えねばならないようだ。大変だ……。