2023年秋季号 その13

 

11月18日のホメーロス研究会の様子です。今回は『イーリアス』第一歌188~214までです。

 

アガメムノーンの「俺はしかし頬美しいブリーセーイスを連れて行くぞ/幕舎に自ら行ってお前の報償をだ ἐγὼ δέ κ᾽ ἄγω Βρισηΐδα καλλιπάρῃοναὐτὸς ἰὼν κλισίηνδε τὸ σὸν γέρας(1-184,5)」の脅しを聞いてアキレウスの怒りは頂点に達します。

 

ὣς φάτο: Πηλεΐωνι δ᾽ ἄχος γένετ᾽, ἐν δέ οἱ ἦτορ

στήθεσσιν λασίοισι διάνδιχα μερμήριξεν,

ἢ ὅ γε φάσγανον ὀξὺ ἐρυσσάμενος παρὰ μηροῦ

τοὺς μὲν ἀναστήσειεν, ὃ δ᾽ Ἀτρεΐδην ἐναρίζοι,

ἦε χόλον παύσειεν ἐρητύσειέ τε θυμόν. (1-188~92)

このように(アガメムノーンは)言った。ぺーレウスの子には悲憤が起こった、彼の心中は

毛深い胸の内で二つに思い迷った

鋭い剣を腿の脇から引き抜いて

(周りの)者達を立たせ、アトレウスの子を殺そうか

あるいは怒りを止め逸る心を抑えようかと

 

188行目で ἐν δέ οἱ ἦτορ と内面を語るのに併せ189行目で στήθεσσιν λασίοισι と外面の形象を描いています。これについて Kirk “ the description of his internal struggle is made more graphic by the addition that it took place within his ‘shaggy chest’ ” と指摘しています。的確な指摘だと思われます。

190行目から ἀναστήσειενἐναρίζοιπαύσειενἐρητύσειέ と希求法が連なっています。これらについて高津は「deliberative subj. が過去(μερμήριξεν)の主文章の後で opt. になったものである」と註しています。

192行目の詩行は興味深い構造をなしています。すなわち、

ἦε χόλον παύσειεν ἐρητύσειέ τε θυμόν

χόλονθυμόνπαύσειενἐρητύσειέ が対照的に配置されており、行の中間を境として鏡面対称となっています。

この192行目の意味について論争があります。古注釈家アリスタルコスはこの行を「怒りの像を損なう έκλὐεται」として排斥しました。Leaf はその排斥を perfectly right と支持し、更に189行目の διάνδιχα μερμήριξεν について、 ἦε と二つの選択肢を伴う必要はなく have half a mind to ~(よほど~しようかと思う)の意であるとしています。

一方反対に、Kirk はアリスタルコスの見解を implausible(ありそうにない)と退けており、ピエロンも「どうしてアキレウスに温和さが間歇的に生じてはいけないのか?」と反問しています。

興味深い対立です。確かに、ここはアキレウスの怒りの極点ですのでアリスタルコス説には一理あります。しかし一方、アキレウスにも激情家ではあるものの(というより激情家であるだけに一層と言うべきかも知れませんが)心の揺れがあり、言動が必ずしも一貫せず揺れているのは後々も見られるところです。そしてその揺れもアキレウス像の一面です。従って後者にも十分の理があると思われます。

アキレウスが怒りにまかせてあわや剣を抜かんとした、その時でした。

 

ἧος ὃ ταῦθ᾽ ὥρμαινε κατὰ φρένα καὶ κατὰ θυμόν,

ἕλκετο δ᾽ ἐκ κολεοῖο μέγα ξίφος, ἦλθε δ᾽ Ἀθήνη

οὐρανόθεν: πρὸ γὰρ ἧκε θεὰ λευκώλενος Ἥρη

ἄμφω ὁμῶς θυμῷ φιλέουσά τε κηδομένη τε:

στῆ δ᾽ ὄπιθεν, ξανθῆς δὲ κόμης ἕλε Πηλεΐωνα

οἴῳ φαινομένη: τῶν δ᾽ ἄλλων οὔ τις ὁρᾶτο:

θάμβησεν δ᾽ Ἀχιλεύς, μετὰ δ᾽ ἐτράπετ᾽, αὐτίκα δ᾽ ἔγνω

Παλλάδ᾽ Ἀθηναίην: δεινὼ δέ οἱ ὄσσε φάανθεν: (1-193~200)

それらのことを胸中に心中に思案し

大太刀を鞘から抜かんとしたとき、アテーネーがやって来た

天界から、白き腕の女神ヘーレーが遣わしたのだ

両人を同じく心に愛し気遣って。

背後に立ちぺーレウスの子の金髪を掴んだ

彼のみに姿を顕して、他の者達は誰も見なかった

アキレウスは驚き、振り向き、直ちに認めた

パッラス・アテーネーを、恐ろしい両眼は輝いていた

 

193行目に φρένα θυμόν が並んで出ています。いずれも広く言えば「心」の範疇であり、必ずしも厳密な区分がなされない場合もあり、ここもそうだと思われます。ただどちらかというと、前者は理性、後者は感情の座とされる傾向はあるようです。192行目の ἐρητύσειέ τε θυμόν(心を抑えようか)は感情の心 θυμόν でした。

ὥρμαινε(193)、ἕλκετο(194)の未完了過去に対する ἦλθε(194)のアオリスト、「まさにその時に」といったニュアンスです。

ホメーロスの詩篇には絵画や映画にしたい名場面が随所にあります。197行目のξανθῆς δὲ κόμης ἕλε(金髪を掴んだ)とか、199行目の μετὰ δ᾽ ἐτράπετ᾽, αὐτίκα δ᾽ ἔγνω(振り向き、直ちに認めた)とか、200行目の δεινὼ δέ οἱ ὄσσε φάανθεν(恐ろしい両眼は輝いていた)とか視覚的に印象的で、この一節はその最たる箇所だと思われます。

聴覚的にも印象的です。194行目第四脚まで極度に高まった緊張が、ἦλθε δ᾽ Ἀθήνη から次行以降に向けて【η】音をはじめとする長母音の繰り返しによって静かな音調に変化し、アキレウスの怒りを鎮めようとするアテーネーの気持ちが伝わってくるようです。

アテーネーの姿を認めてアキレウスは言います。

 

τίπτ᾽ αὖτ᾽ αἰγιόχοιο Διὸς τέκος εἰλήλουθας;

ἦ ἵνα ὕβριν ἴδῃ Ἀγαμέμνονος Ἀτρεΐδαο;

ἀλλ᾽ ἔκ τοι ἐρέω, τὸ δὲ καὶ τελέεσθαι ὀΐω:

ᾗς ὑπεροπλίῃσι τάχ᾽ ἄν ποτε θυμὸν ὀλέσσῃ. (1-202~205)

どうしてまた、銀楯持つゼウスの子よ、来られたのですか

アトレウスの子アガメムノーンの傲慢さを見るためですか

しかし私ははっきり言います、その通りになると思います

その高慢さの故にあいつはすぐにも命を落とすだろうと

 

アキレウスの言冒頭(202行目)の τίπτ᾽ αὖτ᾽ (どうしてまた)は苛立ちの言葉で、ここの αὖτ᾽ は普通の「再び」という「また」であるよりは、「余計な邪魔はしないでほしい」の「余計な」にあたるような「また」です。

205行目の ἄν ὀλέσσῃ(命を落とすだろう)について高津は「この接続法+ἄν は厳しい威嚇を表す」と註しています。

アテーネーは静かにこう答えます。

 

ἦλθον ἐγὼ παύσουσα τὸ σὸν μένος, αἴ κε πίθηαι, 

οὐρανόθεν: πρὸ δέ μ᾽ ἧκε θεὰ λευκώλενος Ἥρη (1-207,8)

あなたの怒りを鎮めに私は来たのです、聞いてもらえようかと

天から、白き腕の女神ヘーレーが私を送り出したのです

 

αἴ κε πίθηαι(聞いてもらえようかと)とは神が人間対する言葉としては異例の敬意が込められています。アキレウスの不遜ともいえる τίπτ᾽ αὖτ᾽ とは対照的です。

ここには神と人間との関係の特異な例が見られます。『イーリアス』における神と人間の関係については次号で、アテーネーの勧めに対するアキレウスの最終的反応も見た上で改めて考えてみたいと思います。

アテーネーは「剣を収めよ、言葉で罵るがよい」と言い、さらにこう付け加えます。

 

ὧδε γὰρ ἐξερέω, τὸ δὲ καὶ τετελεσμένον ἔσται:

καί ποτέ τοι τρὶς τόσσα παρέσσεται ἀγλαὰ δῶρα

ὕβριος εἵνεκα τῆσδε: σὺ δ᾽ ἴσχεο, πείθεο δ᾽ ἡμῖν. (1-212~4)

このように私ははっきり言っておこう、それは成就されるに違いないと

いずれそなたにその三倍もの輝かしい報償が提供されると

その傲慢の故に。そなたは我慢されよ、私たちに従いなさい

 

212行目について研究会で、「この詩行は先立つアキレウスのアガメムノーンに対する罵りの言葉

 

ἀλλ᾽ ἔκ τοι ἐρέω, τὸ δὲ καὶ τελέεσθαι ὀΐω:

ᾗς ὑπεροπλίῃσι τάχ᾽ ἄν ποτε θυμὸν ὀλέσσῃ. (1-204,5)

しかし私ははっきり言います、その通りになると思います

その高慢さの故にあいつはすぐにも命を落とすだろうと

 

を受けているのではないか」との指摘がありました。

 すなわち、

ἀλλ᾽ ἔκ τοι ἐρέω, τὸ δὲ καὶ τελέεσθαι ὀΐω: (204)

ὧδε γὰρ ἐξερέω, τὸ δὲ καὶ τετελεσμένον ἔσται: (212)

です。Τελέεσθαι の未来が τετελεσμένον の完了になることによって「そなたはそう思うと言うが私はこうに違いないと言おう」とより強く断言している、と。そういえば、ᾗς  ὑπεροπλίῃσι(205)と ὕβριος εἵνεκα(214)も対応しています。

先に、アガメムノーンが自らの体面にとって相応しくない οὐδὲ ἔοικε(119)と言っていたのに対し、アキレウスが全軍の秩序にとって相応しくない οὐκ ἐπέοικε(126)と切り返したやりとりがありました。その時はアガメムノーン:アキレウス間の敵対関係における応酬でした。今回はアキレウス:アテーネー間の信頼関係の中での受け答えです。敵対関係でも信頼関係でも、人の交流が言葉の打てば響くようなキャッチボールによって成り立っている姿を見ることが出来ます。

 

次回ホメーロス研究会は11月25日(土)で、『イーリアス』第一歌215~239行目までを予定しています。