早朝の気分がすこぶるいい!

遅くても5AMには起きだしてきて、呼吸法をして、執筆をはじめる。

目下、自分自身の執筆スタイルを探している途中。

手書きが体感覚を刺激していい。反面、書くはやさが思いのスピードについてこれないことが多い。

パソコンを使ってタイプするのは効率的かと思う。手書きでも結局は後でタイプして仕上げるから。

でも、左脳が暴走してしまうことがあって、そんな文章は心を感じられない。




   いったい、どういうのが私にあったスタイルなのだろう?

そう、この問いかけを続けることが大切だ。こたえはそこからやって来る。

問いかけることは、こたえが流れてくる通り道をつくってやることなんだ。




   さっそくこたえがやって来てくれた。

大事なのは姿勢。

背骨がまっすぐにすっと通っていること。

これは環境を整えることであり、なおかつ、スピリットとつながること。

具体的には、椅子と机とモニターとキーボードのバランス。視線や明るさも大事。



   ちなみに姿勢が大事なのは、呼吸に影響を与えるから。

   呼吸が大事なのは、脳のある部分を刺激する呼吸法をしているから。

   脳のある部分を刺激することで、創造のフィールドとつながれるから。

   文章やアイデアはこの創造のフィールドから降りてくる。


   そんなときには、左脳は騒がずに必要最低限の支援をしてくれている。

   まるで左脳のおかげで右脳がおもいっきりはたらくことができるかのようだ。



この感覚はドライブのクルージングに似ている。

   一種の軽いトランス状態とも言える。

   どんどん、書き進めるうちに、まるで指が勝手にリズムを奏ではじめていく。

   そんなときに鼻からのどへ、のどから胸や腹へ入ってくる「気」を感じる。


外では小鳥がさえずり、朝の静寂(しじま)をいっそう感じさせてくれる。

   そう静寂にはそんな微細な音が必要なのだ。  朝に感謝。 新しい1日に感謝。

   Let's begin !!! 自分らしい暮らし Life Style MGT
ある人からのメールを読みながらその人のイメージが感じられ、こんな返信をしていました。


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  今のあなたのお仕事は、その匂いというか空気が、あなたにぴったりですね。

  私にはそう感じられました。きっと「本当の自分が誰か」を思い出したのでは・・・?

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  本当の自分を生きると決めることは、今の時代には、大きなチャレンジです。

  でも、きっとやりがいのあるチャレンジだと、私は思います。

  自分らしく はたらく ことは、ほかの誰でもなく自分からしか教われない。

  そして、お互いにそこへ導き合う仲間がいる。そうとも信じています。



やりがいを実感しながらすることは、生きるためのごはん(=エネルギー )になります。



  いわゆる左脳をいったんはずして

  右脳にひたりながら時をすごしている とき

  そこでは時間という概念すらも超えています




  ネイティブアメリカンであれ、

    アンデスのインディオであれ、

      倭(やまと)の民(=日本人)であれ、

        インドや欧米の聖者であれ、

 自分の中の神あるいはグレート・スピリッツに目覚め、本来の自分(=神)として

 生きようとすることで、世の中はほんのすこしずつでも着実に変化してきたようです。

 ひたすら自分のペースで自分なりにじっくりとです。

 そこでは他人と比べて速い遅いは関係ないのです。

 3次元では見ることもふれることもできない存在、




そんなグレートスピリッツをどう認識するのか。

  まずは、こうして心の中で描くことができます。

  さらにピュアブレスをすることで、inner worldで神に抱かれることができます。

  誰もがそこから来たのです。

  いずれそこへ戻っていき ます。



まさに「この世が幻」なのかもしれません。
私は「失敗」という言葉を以前はずいぶんと嫌ったものだった。

失敗するのをどこかで怖れていたからだ。

  そして、20年程前だったろうか、こんな言葉に出会った。


  「失敗はない。そこにはフィードバックがあるだけ。」
                             元々は英文。



その前に、「真の思いは実現する」という意味の言葉を聞いていて、素晴らしいと思った反面、

万一嫌な事を思ってしまって、それが実現したらどうしようと心配したことがあったので、

ずいぶんと心が軽くなった気がした。



最近、たぶん今年の後半だろうか・・・

「間違い」という言葉に対する何かが自分の認識が変わったことに気づいた。

 シンプルに言えば、ネガティブなイメージを払拭できた。


  以前は、間違い = だめ。

  でも「人は間違いを犯す動物だ」と言うのを何度も聞いたことがある。

  今では、間違いは、「間」 が ち が う こと。



1人ひとりが持つ間に対する感覚、つまり間合いは時に微妙に、時に大きく異なるので、

間合いがずれることは多々ある。


 なあんだ、間違いは、「間合いの取り方を見直すとき」だと教えてくれているんだ!




では、どうしたら、間合いをあわせることができるだろうか。

・・・・・

・・・・・

・・・・・


 まずは自分の間違いに自分で気づかないとね!

 つまり、それは間違いを受けとること。

 もし、間 の ち が い なんだ、と受けとれたら・・・

 今度は、いかに間を合わせることができるか! ここに焦点を当てるかな。



  どうしたら、間を合わせることができるだろうか?



間とはそもそも何と何とのあいだ=間なのか?

 場合によっては、他人と自分の距離。それも物理的なというよりも心の距離。

 それは、心の動き方、つまり意識がどこに向いているかを知ること。

 それは脳と会話してみると分る。



あるいは、時間軸のどのあたりに意識の焦点をあてながら今お互いが話しているのか?

  話しながらすぐに未来へ行っちゃう人がいる。

  あっと言う間に過去の思い出に浸っている人もいる。

  時間を気にしながら話すと、今には居続けられない。


こうして、会話している双方とも今から居なくなっちゃうから不思議だ。

こんなことまで会話は教えてくれる。だから人との会話は面白い。

この2人が間合いをとるには、お互いがそれぞれ自分の心の位置を再認識すればいい。

それすらも話し合えばいい。

というか、そこから話しをはじめないと、間合いはなかなかとれない。

たいていは、どちらかが服従するような、従属関係になっている。もちろん、それすら気づかない。


こうして間違いについて書いていて、フィードバックも同じだと思った。

  「失敗はない。そこにはフィードバックがあるだけ。」


このフィードバックを 心 か ら 受けとれた時に、

人は一歩大きく前進する。

つまり学びや成長をつくりだす。
「私って本当は元気なの???」

そう思うことはありませんか?

つまり、あなたの元気とは、何なのでしょう?



まずは、そこへ意識を向けてみてはどうでしょうか。15秒ほど・・・

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最近わたしは気づいたのですが、試験って受かるために

あるんじゃないんですね。もちろん受かることはひとつの

目標ですが、受かって終わりじゃないでしょう。資格試験

にせよ、検定にせよ、その先は新しいはじまり。一級は

難しかった人でも、それを取得したら、その先にはもっと

大きなチャレンジがあるのではないですか?


試験は、ある「目標に立ち向かう人」になるためにあります。

そういう自分になるためなんです。人格(=identity)の形成のため。

  「目標に立ち向かう人」とはどういう自分なのか?

また2分思いを巡らせてみませんか。

その前に、ここでアドバイスです!


 (1)まずは、視覚をつかって、絵にすること。まだ言葉に置き換えなくていいです。

 (2)絵が少しずつでもぼんやりでもできたら、体感してしまいましょう。絵に飛び込みます。
    じっくりと味わい、香りも楽しみましょう。心配などが万一あっても、それも受取ます。
    必要なら一歩はなれて、客観視しながら受け取る。あるいは受け流す。
   「ああこういう自分もいるんだ~、おびえちゃって、カワイイ~」(とかね!)
    そのくらい真剣なわけですね!

 (3)こうして、視覚、体感覚で2分間思いを巡らせたら・・・
    ようやく言語化(聴覚を使う)しましょう。


それでは瞑想のような2分間をお楽しみください。120秒スタート。
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究極の試験って自分が受かることじゃなくて、

子どもたちとか、別の人に受かって欲しいのでは!

そうじゃないですか?



つまり、教えること。

教えはじめたら、毎回が試験だと思います。

生徒が? 

いいえ、先生が試験されているんだ。 

それを楽しめるひとだけが先生になれば、学校は楽しくなる!



元気、すなわち元の氣とつながったあなたは、

試験であれ何であれ、やりたいことに向かって

チャレンジしている人なのではありませんか?
自分らしく暮らしたい

自分らしく働きたい

自分らしく生きたい



言葉ではさらりと言えてしまいます。

でも・・・
いったい「自分らしく」とは何なのか?


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それを知るかぎは、「 じ ぶ ん 」 を知ること?
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   ちょっと待って  今更  自分を知るなんて・・・


   もう、そういうのやめようよ・・・


   十分に自分のことは自分で分かっているから・・・


あるいは


   いくつになっても  自分に向き合う度に  自分が分からなくなる・・・

 
   自分への探求をやめたときに、自分で自分の可能性を放棄したことになる・・・


   まるで、無限の可能性?  それとも永遠の謎?  いったい何人の自分がいるの?




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どんな反応がおきたでしょうか、あなたには?
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私にとって自分らしいとは・・・
肉体的にも精神的にも自分を満足へ導くこと、あるいは自分を不快より快適へと導くこと
てっきり、これが自分らしい生き方かと思っていたのでした。


ところが、それはどうもほんの一部のようですね。

肉体と精神つまり体と心のレベルではたしかにそうだと今も思うことはあります。

でも、私って、体なの? 心なの? それ以外はないの? 例えば、魂とか?

「魂」って何?

お~、ますますやっかいになってきました。どんどん姿や形のない見えない領域ですね!

ま、そこまで行く前に、少しでも現実的に考えられそうな事からはじめましょう。





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「満足」や「不快」や「快適」はどのように決まる?
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どれも、誰かあるいは何かの基準(=ものさし)があってのことです。
あるいは、比較によってより、満足だったり快適だったり決まります。
でも、その ものさし が曖昧なまま なんとなく 言葉のもつ雰囲気や
ニュアンスで会話は進んでいっていませんか?

また、時代や世代でものさしは変わってしまいます。だから余計にやっかい。
昨今では、場合によっては日替わりしてしまいますから。


ものさしに気づかないで自分らしいと思っていることは、本当に自分らしいの?
あるいは昔のものさしを使っていたとしたら、それって、過去の自分を生きている?
もちろん、それに気づけば、それはそれで、自分らしさに気づいたとも言えるの?

  ち ん ぷ ん か ん ぷ ん?

そもそも、自分という定義が自分にとって曖昧です。
それは姿や形というだけの自分以外に気づいたときから。
あ、でも、オカルトでもなんでもありません。


見えなくても存在を感じることってないですか?

説明できなくてもうまくいっちゃったことってありませんか?

反対に、理屈にあわないからって、やらずじまいでいることってありません?



たいていはそんな時に
「そんなばかな」って言葉で、
頭の中のどこかで、否定してしまう。


だから、それ以上その存在感を知ることをしない。そういう日々を繰り返している人が普通。


そもそも、自分を語ろうとすると、この言葉という曖昧な方法しかとれない。

言葉を使っているって、たくさんの人が勘違いしているんじゃないかな~。

実は言葉に使われているほうが多いのに・・・


一般的には私たちは・・・

「満足」を求めて。「不快」よりも「快適」を目指して、日々行動しているはずですよね?




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どんな ものさし で動いていますか?
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 自分ができそうな事をやる。

 あきらかにできなさそうなことはやらない。

 一見正しいことを積極的にやる。

 あきらかに間違ったことには目もくれない。




う~ん。

確かに間違っていない気がします。

でも、本当に自分らしくあったとしたら、

自分がキャッチしたどんなメッセージにも、もっと向き合えばいいのでは?

なぜならば、そこには、いままでとは違う、人生の展開が待っているから。

  うわ~。

過去に誰かが敷いたレールから外れないように生きるのではなく。

生まれる前に自分が決めた あの理由 を生きるとしたら・・・



ものさしを磨くと

ちがった目盛りが

浮き上がるかも・・・