地上から約400km上空の熱圏を秒速約7.7kmでで飛行し、地球を約90分で1周、1日で約16周する国際宇宙ステーション(ISS)。 1999年から軌道上での組立が開始され、2011年7月に完成した。
この映像は過去2001年より11年間、ISSから送られてきた、これまで見ることもできなかった美しい美麗映像を1つにまとめたタイムラプス映像である。
こちらから見ます。
この映像は過去2001年より11年間、ISSから送られてきた、これまで見ることもできなかった美しい美麗映像を1つにまとめたタイムラプス映像である。
こちらから見ます。
2日3日はリフォームのお客様は少ないです。
初売りで他店は福袋を用意していますが
ぴえろ はありません。
福袋に入れる商品がないからです。
4日からお客様が多数ご来店して
ありがたいですね。
亀山に帰省された方ですが
高級セーターの糸が
一本5cmほど飛び出て
至急で直してくださいとのことでした。
もちろん喜んで修理をしました。
500円です。
他のお客様ですが
息子さんが今日帰るのに
ダウンジャケットのボタンが取れたので
ボタンの付け替えも急ぎでしました。
こちらも500円です。
すぐにして上げると喜ばれますが
たまたま、出来ただけで
いつも出来る事ではありません。
ただ事情があれば、相談には乗ります。
初売りで他店は福袋を用意していますが
ぴえろ はありません。
福袋に入れる商品がないからです。
4日からお客様が多数ご来店して
ありがたいですね。
亀山に帰省された方ですが
高級セーターの糸が
一本5cmほど飛び出て
至急で直してくださいとのことでした。
もちろん喜んで修理をしました。
500円です。
他のお客様ですが
息子さんが今日帰るのに
ダウンジャケットのボタンが取れたので
ボタンの付け替えも急ぎでしました。
こちらも500円です。
すぐにして上げると喜ばれますが
たまたま、出来ただけで
いつも出来る事ではありません。
ただ事情があれば、相談には乗ります。
【かけつぎ】(別名:かけはぎ)とは、
服の穴を塞ぐ修理のことを言います。
ですが、ただ塞ぐのではありません。
まわりの繊維と融合させながら、
一本一本織り込んで
「できるだけ元の状態に近づける」修復技術が
【かけつぎ】なのです。
もちろん一朝一夕で身に付く技術ではなく、
熟練の技術者になるには10年以上かかる大変高度な技術です。
例えばスーツの襟元の修復は
ここまで綺麗に直せませます。
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大切なお洋服に穴があいてしまったらご来店してください。
納期、金額は相談してください。
服の穴を塞ぐ修理のことを言います。
ですが、ただ塞ぐのではありません。
まわりの繊維と融合させながら、
一本一本織り込んで
「できるだけ元の状態に近づける」修復技術が
【かけつぎ】なのです。
もちろん一朝一夕で身に付く技術ではなく、
熟練の技術者になるには10年以上かかる大変高度な技術です。
例えばスーツの襟元の修復は
ここまで綺麗に直せませます。
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大切なお洋服に穴があいてしまったらご来店してください。
納期、金額は相談してください。
![]() 当時の定五郎橋の様子 |
定五郎の住んでいた甲斐村には鈴鹿川の渡し(川を渡るところ)がありました。そこは江戸時代から東海道の宿場として栄えた石薬師や庄野の町から近く、東西をつなぐ重要な場所で人の往来が盛んでした。しかし、橋や舟もなく、人々は歩いて川のなかを渡っていました。
定五郎は子どものころ、この川で遊んでいて川をよく知っていました。ですから、ここを通る人が安全に川を渡ることができるように気を配り、通学する児童が渡るときは一緒に川を渡りました。特に増水の恐れがあるときは、村の小学校へ傘を持って迎えに行くなどして父母や児童から大変感謝されました。
明治二十九年(一八九六年)に大洪水が起こり、川底の土砂が流されて深くなり歩いて渡るのが困難になりました。そのため定五郎は私財で漁師から小舟を買いました。舟の代金は五円五〇銭で、これは当時としては大変な金額でした。
定五郎は川の両岸に杭を打ち、綱を張り、綱をたぐり寄せるようにして舟を進めて人を運びました。渡し賃はいっさい受け取りませんでした。しかし、人の往来が多いため舟では限界を感じてか、橋を架けるための寄付金を集め始めました。そうして一五円集めて、明治二十九年十一月に川の中洲をつないだ板橋を架けました。
この橋は川底に杭を打ち込んで板を並べたもので、とても壊れやすいものでした。そのため、水かさが増したり風が吹くと甥の利平と一緒に水の流れを変えるために川底を掘ったり、板を荒縄でしばったりしました。それでも一ヵ月後の大雨による大増水で流されてしまいました。
定五郎はもっと丈夫な橋をつくろうと決心し、昼間は舟で人を運び夜は寄付集 めに回りました。寄付集めは近くの村だけではなく山のふもとから海岸付近の村まで出かけました。こうして集めた寄付金一七〇円と自分の田畑を売って得た六 〇円を加えた二三〇円で、明治三十年(一八九七年)十一月に二回目の橋をつくりました。こうしてできた橋は長さ一二〇メートル、幅一メートル二〇センチ で、車や馬も通ることができました。
橋が完成してからも、定五郎は毎日橋に出かけて壊れたところを修理したり、通学児童に気を配ったりしました。往来する人が増えるにつれて、定五郎はより堅固で幅の広い本格的な橋が必要と感じ、村や県の役人に橋の必要性を説いて回りました。橋のふもとに土下座をして橋を通る人に寄付を募りました。橋を渡る人には、快くお金を出す人もいましたが、なかにはお金を放り投げていく人や、見ないふりをしていく人もいました。
![]() 前川定五郎の偉業をたたえて建てられた碑 |
「郡長さん、わしはごちそうなどいりません。そのお志があるなら、その分だけ、せめて五銭でも寄付のほうに恵んでくだされ」
といって、定五郎は土間で持参した梅干しが入っ ただけの麦飯おにぎりをうまそうに食べました。その姿を見て感動した郡長は、すぐに県庁へ出かけ知事に橋の必要性を説きました。その結果、県からも資金を 出してもらうことができ、また近隣の村や町からも寄付金が集まりました。そして三回目の橋を架ける工事が始まり、明治四十一年(一九〇八年)十一月に本格 的な橋が完成しました。この橋は長さ二四五メートル、幅三・三メートルありました。郡長は定五郎の功績をたたえて「定五郎橋」と名付けました。定五郎は橋 が完成してからも、毎日橋に出てその維持管理に努めたといいます。
定五郎は、大正六年(一九一七年)五月十六日に八十六歳で没しました。定五郎橋の名が付いた橋は今でもその形を変えて、多くの人が行き交う架け橋となっています。
あなたは知っていますか?
幸運を呼ぶ福の神が実在していた事を!
この人が福の神と呼ばれた、仙台四郎さんです!
仙台四郎さんは、幕末から明治のはじめ頃まで、商売繁盛の福の神として商人に大切にされていた実在の人物です。
【四郎さんは、なぜ福の神とよばれたのでしょうか?】
幕末当時、四郎さんは、仙台の街をうろつきながら、ふらっとお店に立ち寄っていました。そうしては、団子などをつまみ食いしていたそうですが、お店の人々は誰一人いやな顔はしなかったと言います。
そもそも四郎さんは、少々知的障害を持った人物だったようです。
最初は、何となく他人の家に来ては愛想の良い笑顔を振りまいて帰っていく、ただそれだけの人と思われていました。
ところが不思議なことに、四郎さんが来た家は、なぜか運が向いてきて良いことばかり起こるようになり、そのことが町中の評判となってきました。
いつもニコニコと四郎さんが立ち寄る店は必ず大入り満員、商売繁盛!
四郎さんは街を徘徊して、ほうきが立てかけてあれば、勝手に店の前を掃いたり、店先にひしゃくを入れた水おけがあれば、これまた勝手に水をまくといった行動をとっていたようです。
四郎さんが掃除した店は必ず客が入るようになり、四郎さんが「福の神」と噂されるようになると、わざと店の前にほうきを立てかけたり水おけを置き、四郎さんを招き入れようとする店が増えたそうです。
ところが四郎さんはそのような下心のある店には寄りつかなかったといいます。
すべてのお店に立ち寄るのではなく、純粋な心で無意識に良い人、悪い人を見分け、良い人の店にのみ立ち寄ったと言われています。
ある日、商売がうまく行かず死ぬことさえ覚悟した男の前に、ふらっと四郎さんが現れ、こう言ったそうです。
「そんな恐い顔しないで、俺みたいに笑ってけさいん。」
四郎さんにそう言われて、ふと自分の顔を鏡で覗いて見ると、そこには鬼のような顔をした自分がいました。
はっとして目が覚め、これでは商売はできるはずもないということに気づいたのです。
玄関に戻ると四郎さんはいなくなっていました。
しかしそこには、自分がこんなに落ち込んでいるにも関わらず、自分を支えるためにがんばってくれている妻と、子供が立っていたのです。
この時はじめて、なぜ自分の商売がうまく行かなかったのか、その原因が何となく理解できたということです。その後、男は元気を取り戻し、商売もうまく行くようになり、幸運が押し寄せてきたという話です。
今でもその家の家宝は、小さな額に入った四郎さんの写真だそうです。
そんなこともあり、仙台四郎という人は、いつの間にか福の神さまではないかという噂が立つほどの評判を呼んだのでした。
【福の神 仙台四郎さんのご利益とは?】
特に大きな仕事をした訳でもないのに、四郎さんの肖像画が、家運上昇、商売繁盛にご利益があるというから不思議です。
四郎さんは、子供のように明るく、純真で、いつも笑顔だったそうです。
また体も丈夫で、四郎さんに抱いてもらった子供は健康に育ったとも言われています。
そして、いつの頃からか「四郎さんの立ち寄った店は繁盛し、抱かれた子供は元気に育つ」と言われるようになっていきました。
そんなことから仙台四郎さんの絵姿は、商売繁盛だけでなく、家内安全、無病息災などのご利益があるとして人気となっています!


























