次男は退院となりました。
家族4人がやっと、ひとつ屋根の下に揃いました。
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2月18日に誕生した600gのカラダは、今日7月9日で3320gまで大きくなりました。
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振り返れば、2月17日の夜にママがお腹の張りを訴え、会津若松市内の病院へ緊急入院。
悪い予感は的中し、子宮口が開いてきているとのこと。まだ妊娠7ヶ月24週目。
※当時の記事*2016/2/18*
会津若松市内では産める週数ではないことから、大急ぎで福島県内の受け入れ先を当たるが、どこもダメ。
結局、夜のうちには見つからず。
母子の様態は悪化するばかりで、ただただ祈るしかない状況。
翌朝、ありがたいことに、医学部附属病院の中でも、超未熟児を扱う国内トップクラスの『東北大学病院 総合周産期母子医療センター (仙台市)』が名乗りを挙げてくれました。
しかし、福島県、近県の防災ヘリコプターは、すべて整備中で飛行不可。
今回も…ダメか…。
何度も悪い思い出が頭をよぎりました。
ご存知の方もおられますが、実は私たちは、『2014年末』に22週目のお腹の子を失っていました。
今回も、カッツにお兄ちゃんになれる期待をさせておきながらダメなのか…。
また母体に負担をかけてしまった…。
母子ともに一刻を争う事態に何も出来ない。
根拠のない『大丈夫。大丈夫だよ。』とママに声をかけながら、ただただ不甲斐なさを感じ、全身が熱くなったのを覚えています。
そのとき、なんと埼玉県の防災ヘリコプターが会津若松に向かっているとのこと。
この日は、不安定な冬季の空模様を吹き飛ばす、風ひとつない、雲ひとつない、真っ青な空。
真っ赤な埼玉県の大きな防災ヘリからは山並みがキレイだったことでしょう。
磐梯山、飯豊連峰、那須連峰、安達太良連峰、蔵王・船形・栗駒連峰、朝日連峰、そして信夫山。
ママとお腹の中にいる優孝は、山々の神様に下から支えられ、応援されながら運ばれて行きました。
この約4ヶ月半のかけがえのない日々。
うち3ヶ月は、毎週末、仙台へ往復450kmの道のりを行き来。
搾乳したおっぱいを冷凍して保存したり、足りなくなり急遽届けに向かったり。
非常階段でカッツと何度も上り下りしてトレーニングしたり。
家族の思い出になりました。
3つの病院をまたいで、母子ともに助けていただいた命。
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誕生から退院まで4ヶ月半の日々の成長の様子が綴られた一冊の分厚いノート。
東北大学病院(宮城県仙台市)~竹田綜合病院(会津若松市)の看護師さんたちが、事細かく、日々の成長を記してくれていました。
私たち家族の宝物です。
家族の協力はもちろん、職場のみなさまの支え、そしてFacebookやmafu-blogでのみなさまの励ましのおかげで、この大きな大きな山を乗り越えることができました。
県から県をまたぎ、たくさんの方々に助けていただき、私たち家族は生かされています。
みなさまに心より感謝を申し上げます。
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チームmafu、4人揃ってまた新しいスタートです☆