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大腸癌末期の父→腹部大動脈周辺・肺転移→脳転移 残された時間は・・・
日々の症状や家族の思い、病院の対応等々綴りたいと思います。

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この日は父は割りと元気でした。


午後から訪問看護が来るので朝、母にお髭を剃ってもらってご機嫌な様子でした。


父との会話はまだ出来ていましたが、言おうと思ったことがなかなか思い出せない


12月と同じ症状が時々出るようになっていました。


放射線治療をした脳がいよいよむくんで来たのか、少しずつ少しずつ嫌な思いが


脳裏をかすめて行きました。


2月頃からだったでしょうか。


父はよくベッドの上で天井に向かって何か右手の人差し指で文字を書いていました。


「何してるの?」 と聞くと 


「文字を忘れないように書いているんだよ」 と。


漢字が思い出せなかったりで辛い思いをしていたようですが、


一時はペンも持て字も書けるようになったのですが、それは父の字とはかけ離れた字でした。


あんなに達筆だった父が・・・と思うと私は悲しくて悲しくて隠れて泣いていました。


アイスクリームなら食べられそうと聞いて私は買い物に行くことに。


その際、


「大事な話があったのだが、なんだったか忘れてしまった。

えーーと、 病院にも関係することだ。」


しばらくすると


「思い出した。 お父さんはこのままで何の不安もないから。 大丈夫だから。 

それだけ言おうと思って。」


要するに夕べの母との会話を聞いていたのでしょう。


入院などしないでこのまま家で過ごすことに何ら不安はないと言いたかったのでしょう。


そしてそれは、=入院はしたくない、 ということだったのだと思う。


母は限界に達していると思われたので私はまた悩むことになってしまいました。


その後、訪問看護が来て、久しぶりに嬉しそうな父を見ました。


また久々に大きな地震があり、びっくりしましたねーと皆で笑ったのでした。


訪問看護もケアマネも帰って7時ちょっと前に、苦しい苦しいと訴え始めました。


が、落ち着いて寝たと思ったら、また1時間後の8時ちょっと前に同じ症状。


ですが、また落ち着いて眠りに。


この日はこんなことを何度か繰り返し朝になったのでした。