おっくう55無邪気な冒険家

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55歳の冷水、動ける内にいっぱいチャレンジ!!
子供の頃の様に山に登ったり、自転車で走ったり、楽しく歩いたり、自分というものを知ることから始まる

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北関東の名線

      わたらせ渓谷鉄道の旅 (大人の遠足VoL.76)

森林鉄道と意外な終着地

 

§1前置きは短いのが一番

東京近郊で鉄旅もネタ切れ近くなりつつ模索していたところ、新聞の記事から目に入ったのはローカル+自然更にプラスαが期待できそうなところを発見。即実行が私の良い処。今回は北関東を横断しつつ名所と人気のスポットと世界遺産も盛り込んだ、いつものように欲張り弾丸ツアーです。

§2.北関東欲張りツアースタート

久しぶりに池袋から湘南新宿ラインで北方面に向かい今回は小山から侵入して行きます。在来線で走るのも駅舎に変化があったり懐かしい駅名があったりと短い時間ががあっと言う間に過ぎて行きました。小山へは1時間20分程で到着、ここからは初見参”両毛線”で北関東の名所を巡ります、一番手は蔵と水の街”栃木”巴波川は船巡りもでき平柳河岸の風情のある街並みをたっぷりと堪能、丁度お祭りもあるらしく活気に溢れていました。栃木駅に戻り次の街に向かうため小山方面の電に車を待つ、ここは東武鉄道との複合駅で浅草行きの電車が右方向へ進んでゆく、ホームに右方向から電車が入ってきたので迷わず乗り込む、しばらくすると違和感が?!

両毛線は小山から西に進むと固定観念あったせいか、乗ったのは小山行き栃木からは東武鉄道としばらく並行して進み西方向に向かうことが改めて地図を見てわかる。仕方なく小山まで行き再度”佐野”を目指します。関東三大厄除け大師で有名で御初の地です。思ったよりも小振りの境内でしっかり厄除けも済ませて、三つ目の寄り道は”足利”ここは学問の故郷というべく処で1439年上杉憲実が再興した学歴史にふれることと、建物全体の佇まいも大変魅力的な処でした。陽もだいぶ傾き今日はわたらせ渓谷鉄道のスタート駅の桐生で脚をやすめます。

§3わたらせ渓谷鉄道完走

二日目は生憎雨模様でスタート、今回のツアーのメインディッシュが”わたらせ渓谷鉄道”の乗り鉄です。途中にいくつかのスポットもあるのですが、なにせお馴染みのローカル線なので1か所の他はノンストップ、大間々まではほぼ市街地でここからは本来の渓谷鉄道が始まります。次の立ち寄り先足尾銅山までは約1時間ほどまさしく渓谷を見ながらどんどん登ってゆきます。休日には特別仕様のトロッコ列車がありますが、今回はそれでも風情がありそうなワンマン1車両の列車で乗客も3人程度でほぼ貸し切り状態雨で残念ですが楽しみは倍増です。大間々を出ると直ぐ高津戸渓、本宿駅付近の古路瀬渓谷、神戸(ごうど)駅には東武特急けごん車両のレストランもあります、沢入から原向までは沿線で一番車窓の美しい処で列車もスピードを落としてフォトスポット。通洞駅は山小屋風でかなりの急坂で足尾銅山へは10分弱、足尾銅山は今から400年以上前にされて明治20年代には日本の産銅の40%を産出する日本一の銅山に、産銅も徐々に減り昭和48年に閉山との事。以前行った土肥金山と比べると近代的な感があります、再び通洞駅に戻り下り電車を待つことに、1時間以上はとおもっていたのですが?少しすると電車音,遅れていたのがきたのでラッキーで飛び乗る。足尾の次は終点間藤、単線ホームと無人の駅舎目に入る景色には商店らしきものは皆無、今度はここでバス待ちやく2時間、伊勢神宮に行った時にも乗り違いで同じような無人駅で光が乏しい中終電を待った時いらいのこと、じっと待つことも出来ないので近くを散策、まあ暇つぶし1.9km先には今は廃線となった貨物専用線の足尾本山駅があります、廃屋となっていますが当時の雰囲気は十分味わえる。この間藤駅には紀行作家の宮脇俊三が国鉄全線完走した場所で著書の終着駅でも有名な場所。待ちかねたバスに乗り込みこのツアーの終着地「日光」に向かいます。なんと35分程でついてしまうと云う夢みたいな所がわたらせ渓谷鉄道の終着駅の間藤駅です。日光からは東武特急で帰京概ね北関東中心部をぐるっと一周のローカル線旅でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後のワンピース

北東北☆奥羽東北本線制覇 (大人の遠足VoL.76)

 

旅の終わりも残すところ東北の一部

§1二本のレールの行く先

§1二本のレールは何処までも山陰本線が繋がって全国の鉄道路線の沿岸部のぐるを後は青森~盛岡と秋田~大館を残すのみとなった。

思い返せば昨年のサマーツアーで盛岡~秋田(田沢湖線)を選んだのが間違えで、その時もっとかんがえてプラン作りをしていればもっと早く達成したと思います。

さて今回は残されたピースを埋めるのがメイン、タイミング良くJR東日本が鉄道開業15周年の記念事業で「JR東日本全線フリーきっぷ」が発売されて、しかもこのきっぷは新幹線にも特急にも使える優れもので10/14~10/27の利用期間22150円と東京~青森の往復運賃だけで20680円なのでいかに得かがわかります。

10月16日、いつものように仕事を昼で切り上げて東京駅へ13:20発の「こまち25号」に飛び乗ります、今日は終点秋田まで約4時間の乗り鉄なのでこれまた恒例の車内昼食でツアーがスタート。懐かしい景色が車窓に次々に現れて握り寿司ランチと日本酒も進むのは間違えのないことでこのパターンは何時でも飽きが来ない。赤い鼻のこまちの秋田到着はすっかり日も落ちた17:13在来線と差がないホームに着く。改札を出ると竿灯となまはげの大きな鬼の面と秋田犬の「わさお」が出迎えてくれた。

本来ならば能代から五能線に乗り弘前を経由青森のプランでしたが、台風被害で五能線は今でも不通で最近やっと奥羽本線も開通したばかりなんで、フリーきっぷの発売もタイミングで偶然連鎖で今回のツアーが出来たのである意味奇跡(おおげさ?)かもしれません。で秋田市の観光は予定していないですが、駅近の久保田城跡の外郭を拝むだけですが、この城は複数の廓を備えた平城で堀と土塁で石垣がなく更に天守閣がない変わった城、大手門と穴門を見ながら宿泊先へ。

§2.最後のピースを50年の旅路の終焉

ここからは、懐かしい五能線に乗りたかったですが、奥羽本線は内陸部大館〜川部〜弘前そして青森と繋がってゆくため豪快な海岸線はお預けです。ただ秋田〜弘前もつい先日開通(台風被害のため長期間不通)したばかりで、今も五能線は不通区間があります。色々な想いを乗せながらと往時の出世列車急行「津軽」と同名の特急列車(E751系、現在は秋田〜青森間)に乗車これも何かの縁でしょうか。

8:39出発天候はイマイチですが,数十年ぶりの夢が叶えられるのワクワク感で興奮しっぱなし、列車は山間部を疾走途中の大館は十和田~盛岡を結ぶ花輪線の帰着駅、ここも約50年ぶり、その時は花輪線も完走、大きな機関区も今は・・・・・。陣馬・碇ヶ関と過ぎ二時間桜の名所弘前に到着。以前はここのユースホステルに泊まりました、今日のお目当ては弘前城、駅からはのんびり町並みを楽しみながら(雨もぽつぽつ)25分程で到着、目の前の観光会館でねぶた祭りの山車等を見た後いよいよ弘前城内へ、広大な敷地を歩きながら天守へ、現在災害の影響で一時移設中の天守からは岩木山がど〜んと見えます。再び入口の追手門に戻り、旧百五十九銀行本店本館を横目で見ながら駅方面へ、途中弘南鉄道中央弘前でノスタルジックな駅舎を堪能、ランチ先を探しつつ弘前城駅へ向かいますがそれらしい場所もなく、仕方なく駅そばでつなぎいよいよ奥羽本線終点青森へ15:30、50年ぶりに奥羽本線全線完走。

駅前の「ねぶたの家」で本物のねぶたを見学、更に青森港の砂浜その先にはもう一つのイベント青函連絡船を見学、実際の車両も乗っているためそのスケールの大きさがわかります。

懐かしい思い出の詰まった地や感動の終着駅二日目は此処青森ステイです。

§3 半世紀で東北の大動脈奥羽本線と東北本線の2大ルートも制覇

2本のレールに乗って本州をぐるっと一周も達成!

§1青森からは、東北線第三セクターにだいぶ前に移行され残念ですが国鉄時代の経路ではできませんでしたが、現在では新幹線ルートが担っているので今日は新しい新青森駅からリスタートで盛岡からは東北本線を南下これも50年ぶりの平泉中尊寺へ。

金色堂は金色がまぶしく絢爛豪華さは群を抜いてます。参道から見る景色の記憶が薄れて寂しい感じはしますが、再びここに来れて良かったです。アクセスの都合で一ノ関駅よりリスタート駅前に見慣れた居酒屋チェ-ン店が目に入ったのでここでランチタイム。今回のツアーの最後の寄港地は日本三景のひとつ”松島”と

 

なります。つい2か月前日本三景を制覇したばかりで再びの地ですが今回は北側から進入します。松島には東北本線と仙石線に駅がありますが、

前者は”松島駅”後者は”松島海岸駅”です、この二線は仙台駅まで絡み合うようにして進んでゆくJRでもこんなに近くを走っているのも珍しいと思います。

数十年ぶりの松島は夏の陽を浴びて島々も鮮やかに勇壮に見えました。五大堂も瑞巌寺もこんなにゆっくり見たのも初めてです。松島を北からみなみへ縦断して仙石線松島海岸駅から今ツアー最後の乗車駅となりました。北東北地方を太平洋側から日本海側そして津軽と欲張りな本州をぐるっと鉄路一周が完結しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山陰陽ちょこっと九州

   欲張りサマーツアー2022 (大人の遠足VoL.75-4)

 

5.日旅の終わりも日本三○○の庭園、残すところ東北の一部

今ツアー最終日となりました。宿泊先は八丁堀や銀山町方面を利用していましたが、駅近を優先的に選んだら新幹線がわ(開発がごく最近)に多くのホテルが建つようになっていました。高層階で見張らしも良く、できてまもないためきれいで広いとなん拍子でも揃ったところでした。

最終日も乗り鉄になってしまいますが、呉線で尾道経由岡山まで各駅停車、約185㎞直行で約四時間と長丁場です。当初は呉にも寄りたかったですが、呉線の終着は三原で山陽本線の駅は糸崎と一駅の乗り継ぎが有ったり、アクセス・本数もローカル色あるので、今回の途中下車はパスということで自身2度めの呉線。思わぬ失態!乗り換えの多い呉回りの山陽道で広駅で乗り換える際に広島で買ったお土産を網棚の上に忘れて、気が付いたのは尾道で下車して荷物をロッカーに入れたときに思い出すと言う情けなさ?かなり落ち込みましたが岡山で誤魔化そうと、荷物同様忘れました。

尾道では善光寺を考えていましたが、そこそこ夏の日差しは厳しく時間もそれほどでは無いため、渡船場や古いアーケード街を見て、お土産を購入してホームで待機。福山で更に山陽本線に乗り換えて最終目的地岡山(福山~)。

今回のツアーは到着と帰路の場所が異なることで山陰​​​と山陽を一回りできたのもこの方法だからできたことで、あっと言う間の3日間でした。岡山と云えば岡山城、早速荷物をロッカーに入れてタクシーに乗ると運転手から最悪の一言「岡山城は改修のため見学はできない」との事。最後の訪問地が無くなって困ったですが、城には名園の後楽園があるので即進路変更。数年前にもきましたが、とにかく広いのと美しいのが印象深く入った瞬間に記憶が蘇ってあらためて雄大荘厳な景観は一生心の中に刻み込まれました。

今回のツアーは出雲駅の駅弁が売って無かったり、観光列車が突然の運休、山陽新幹線の乗り継ぎでの大慌て、呉線でのお土産忘れ、岡山城の改修等様々なアクシデントがあり、今までにない記憶に残るツアーとなりました。

特に出雲より先の山陰線から鹿児島本線の起点門司駅と本州の鉄道の呑み乗鉄旅は東北の一部を残すのみとなりました。

いつ達成できるかまたそんな機会があればと、山陰陽の旅への結びと楽しみを乗せてきおにつきます。

最終日のスタートはHIROSHIMA       乗継のHIRO駅

   

                                             山陽本線のエースRedWing

   

更に山陽本線と云えばこのイエロー  映画の一場面 真夏の瀬戸内

   

          岡山 後楽園遠くに岡山城

          

 

    

山陰陽ぐるっとオリジナル切符


 

 

山陰陽ちょこっと九州

   欲張りサマーツアー2022 (大人の遠足VoL.75-3)

 

4.日本三奇橋から日本三景へてんこ盛りの二日目

朝の門司関門海峡第散歩は見どころ満載で大興奮で無事終了、さて今日はこれから山陽本線で新下関へ新幹線へのトランジットですが6分と短く早歩き小走りで新幹線ホームへ待っていたのは懐かしの500系ちょっと小振りのヘッドが特徴の車体。ここでやっと豪勢なランチタイム、ほとんどアルコールでお腹を満たして約一時間新岩国に到着、乗降客は少なくものさびしい駅で少し不安でしたが、岩国駅行きのバスが待ていて即乗車。約20分後には日本の三大奇矯の「錦帯橋」に到着(14:00)。いつしか天気も良くなって錦帯橋の上ではほど良い涼感も、橋に興奮して更に山頂に見える岩国城にもワクワク感倍増、門司港・関門海峡・巌流と盛り沢山ですがまだまだ今日は終わりません。

日本三⭕⭕はたくさん有りますが、そのなかで名橋はというと、東京の日本橋(道路の起点) ・長崎の眼鏡橋そして錦帯橋ですが古い話で、高校の修学旅行で眼鏡橋を見ており、日本橋は前職の職場から徒歩1分ということで約半世紀ぶりの達成(良いのかどうかわかりませんが?)。この橋の特長はとにかく急な登り下りで、下駄ではかなり厳しい歩行でしょうか?雨や雪ではこれも?当時の人はどのようにこの橋を使っていたのか?

さて、これからですが前述しました日本三⭕⭕の繋がりで、岩国を経由して宮島に向かいます。バス停には既に岩国行きのバスが止まっていてここでもロスなく乗車、橋は早朝よりほぼほぼ乗り換えにロスがなくプラン冥利につきますが、地方路線は一歩間違うと後々3時間程度のづれが生じることは希ではないため、行き先の確認をしながら来たものに乗るをしないといけないのが、長旅(距離が長い方) の鉄則と思っています。先程は新岩国(新幹線)で今は山陽本線の岩国駅横浜や神戸と似ていますが、 アクセスはバスの方が良く、

JR岩日線からの第三セクターで両方が存在することが珍しいと思います。岩国からは山陽本線で一本、20分ちょっとで到着、夏の日差しは強く15時半では尚更のこと、門司ではスコールも有り天気は心配しましたが、何のその!真夏の日差しがスポットライト以上に照らしまくります。渡船で約10分?宮島には二社の競合で迷うところで、JRフェリーに乗船、当然展望デッキへ。ここのフェリーは運転台が前後に有り旋回しないのが特長で前後は同じ形状をした船です。厳島神社は大鳥居をはじめ現在修復中の箇所が多く残念です。神社もぐるっと一回りして、17時になろうとさているのにまだまだ夏の日は強い。フェリーに乗り宮島口に戻って山陽本線で今日のステイ先の広島迄一直線。日中の山陽本線一部新幹線を使いましたが、広島まできました。約225㎞朝からハードなスケジュールだったので今日は早めにお休み😌🌃💤。

御酒ランチ?                                  懐かしの500系

  

斬新なフォルム

  

天空からの城  岩国城                      これで三つめ

 

  

今ツアーのメインテーマの一つ  錦帯橋

  

こっちは山陽本線岩国駅

  

瀬戸内はいつも穏やか         

  

宮島の玄関口

  

修理中  大鳥居                            再び日本三○○ 宮島

  

 

      

                                             久しぶりのHIROSHIMA

  

 

山陰陽ちょこっと九州

   欲張りサマーツアー2022 (大人の遠足VoL.75-2)

 

4.観光列車突然の運休ツアー大ピンチ!本州西端到着

というわけで、ツアーにはハプニングがつきもの?でこの15:16発のキハ40普通車小串行きをパスすると1時間以上も待たなければならないので、本当に助かりました(駅員さんに感謝です)。小串までは1両で約一時間の行程です、天気も少々不安があるなか乘れて本当によかったです。車窓からは夏とは思えない淋しい色の海岸線が続き、これから夕刻が近づくので夕陽を追いれJR貨物の操車場も併設した駅です。2回に分けてですが京都から677.3km山陰本線制覇となりました。多くの線路と長いホーム、100mほど先には海が見えて案内板の次の駅名は「門司」本州西端の駅の実感です。門司駅は遥か昔にちょこっと停車しただけですが通算2回目となります。途中前代未聞のハプニングもありましたが無事到着しました。ツアー2拍目は下関ステイ。明日は観光と移動で忙しいアクティブな1日のため美味しいものを食べて明日にそなえます。

     

これぞ日本海                                 左は救世主のキハ40、乗継キハ47

 

  

山陽本線上下線                              ホーム向こうには海が

  

本州西端到着日本海制覇!                この先は九州

5.三大急潮流の海峡を2種類のトンネルで渡る盛り沢山の峡

天気が心配ですが、朝少し頑張って早起きして下関駅へ(いつものように荷物をコインロッカーに預けて)、予定より早めの列車に乗車、発車後まもなくトンネルに入りますが開通80年と駅のある関門トンネルは、全長は3.6kmで最低部は地下36m、九州が交流電化でトンネルは直流のため接続点としても要所、駅間は7分なので他の有名なトンネルから比べると短い、門司駅もかなり大きな駅で山陽本線(神戸から門司534km)の終点駅で鹿児島本線の2路線が通っている、ちなみに隣は小倉駅です。雨の影響で1時間以上の遅延があり、案内表示も?で1本乗り過ごしてしまい、早起きの貯金も無くなってしまいました。

気を取り直して鹿児島本線門司港行きに乗車、小森江駅の次が鹿児島本線終着門司港駅に到着、ここも線路とホームが多くご存知の通り街中がレトロに変身、特に駅内外装は圧巻です。駅前から左方向に門司港、右手には鉄道公園とレトロ観光線、港からは対岸まじかに下関の町並みが見えます。

海峡を渡り九州上陸  門司駅

  

鹿児島本線終着門司港駅

   

レトロは駅舎の内外に

  

とりわけ駅舎正面は秀逸

   

今日の最初ポイントは関門海峡、2番目に門司港駅周辺(残念ながら鉄道公園は開園前のためパス、3つ目がこれから行く和布刈神社(松本清張(小倉)小説「時間の習俗」の舞台となった所)約2kmなので港を見ながら朝散歩散策気分でウォーキングでのんびりと。

しばらく進むと関門海峡大橋が目の前に覆いかぶさるように豪快な姿をみせました。

和布刈神社の真下は関門海峡の波間でかなりの潮流大き船も逆流では喘ぎながら航行。それもそのはず日本三大急潮流の関門海峡!神社の上方に関門海峡人道入口があります。エレベーターで地下約60mまで降ります、今回のツアーでのメインの一つがこの人道一歩が嬉しくてたまりません。約800mほどの夢の路国道2号線のんびりと歩いて約10分弱県境に到着、後半は徐々に登りぎみに進みます。下関側と門司側はほぼ同じ作りで錯覚を起こしそうですが、同じく60m程登ると目の前には壇ノ浦古戦場で長州砲どっしりとあります。

ここからは海峡を左に見ながら下関駅方面へ10分程で唐戸市場へそこから渡船で巌流島に渡ります。途中スコールのような雨に会いましたが島に着く頃には雨もあがり上陸、ただここは観光施設などなく関門海峡にポツンと浮かぶ島で、長く滞在するような島でもないため、来た時の渡船に乗り唐戸市場にUターン。今日は少しスケジュールがタイトで慌てて下関駅に向かいます。

九州鉄道のレジェンド勢揃い

  

SLから特急車両まで

   

門司港はテーマパーク

    

観光鉄道もあります                        目の前に関門海峡大橋

  

映画の舞台   難読  和布刈神社

     

三大急潮流                                    トンネル入口

  

国道2号                           地下60m      県境

  

再び山口県へ

  

下関側入口

  

トンネル出ると古戦場

     

平家所縁の赤間神宮

   

                                                門司港にも行ける渡船

   

いざ  決戦の場へ

   

巌流島  上陸                                  関門海峡にポツント

   

島には剣豪が

    

山陰陽ちょこっと九州

   欲張りサマーツアー2022 (大人の遠足VoL.75-1)

何となくが繋がってもう少しで本州一周

本州の尻尾も大自然と文化の融合おまけの三大?

1.旅のはじまり

無茶苦茶暑い夏がやってきました、本来なら昨年のプランでしたが天候や交通機関の不安等か路線変更となってしまいました。今年も一昨年から続くコロナ禍でまさかの直前に家族全員が感染してしまうというアクシデント。出発も危ぶまれましたが、どうにかスタートラインに立てました。旅というものに興味を持つようになって、長い年月が経って積み重ね繋げて振り返ると本州をぐるっと一周にあとわずかに、そのためにも西方面の残された区間の達成は大事なところで無事完遂したいです。

2.2年ぶり出雲大社からスタート

再今回は往復は飛行機を使い、出雲から岡山は鉄道を利用します。今回も前日夕刻よりのスタート、もちろん羽田空港で夕闇中テイクオフ機内アナウンスでフライト時間が1時間あまりで意外と近いのに後で気が付きました。夜景を期待していたのですが全くの闇夜のナイトフライトで軽い夕飯を慌てて食べたらもう着陸態勢に入り定刻に出雲縁結び空港に到着。空港からはリムジンバスで30分出雲駅へ。懐かしい駅舎の前に再び立つことに、駅前は閑散として夜食を駅ビル内のコンビニ買い少し離れた宿泊先へ。

翌朝は天気が少し心配な空模様、4年ぶりの山陰出雲駅からの約770km先の岡山へ(直線なら2~3時間で行けますが、ぐるっと回って2泊3日)スタートですが、まずは出雲大社を参拝から、あさイチなので参拝者もまばらで良いのですが早朝の雨のせいか以上に蒸し暑いのが難点。参拝後はバスで出雲市駅に向かう予定でしたが、待ち時間が(2通りのルートがあって遠回りだとかなりタイムロス)あるので、今回は一畑電鉄で出雲市駅に向かうこととした。たまたま乗った車両は片側が窓に向いている観光用の車両で偶然とはいえラッキーです。途中粟津稲生神社のたくさんの赤い鳥居を偶然に写真を収めることができて川跡駅で北松江線に乗り換えて出雲市駅に向かいます。天気もすっかり回復して夏の日差しが厳しいくらいで、昼食用のお弁当(以前駅弁やさんがあったのですがコロナのせいで販売をしていません)はコンビニ弁当と味気ないですが吞み鉄にはつまみと酒があればOKですこれから約6時間300kmの乗・呑み鉄の始まりです。

3.旅のはじまったばかリで大ピンチ?!

山陰線は前回来た時の教訓で、かなりのローカル線で当初は萩や長門市等途中下車も考えたのですが今回は乗り継ぎ良くしないと目的地にはつかないため、観光はもう少し便の良い処で行うとして今は先をと云いたい処ですが、今回は益田までは特急スーパーおき3号で行きますが後は各駅停車の旅になります。夏の穏やかな日本海を西行き五十猛・仁万・馬路・温泉津と難読の駅名を通り山陰でも大都市の浜田から次の乗り継駅益田に13:04に着く、このまま乗っている新山口に行ってしまうので、キハ40の気動車長門市に乗り換えう長門市には15:02に着く。長門市からは観光列車の「○○のおはなし」普通車ですが指定席が必要な列車です。長門市は15:31発、少し時間があるので駅前に出てみるが期待通りの閑散とした空気感、仕方なく改札口に戻り乗車の準備、ただ何となくそれらしい雰囲気がないのに気が付く出発表示も出ていなく(特別車両なんでないのか?)心配になって駅員に聞くと?「本日の運行は始発より中止」になったとの事でした。と云うことは今日中に下関には行けなくなるのとツアーが頓挫する可能性が高く、またローカル線の掟は乗り過ごさないこと、ここまでは順調にきましたが初日で?改札からホーム方向を見ると15:16発のキハ40普通車小串行きが止まっているのが見え発車メロディーもなっている、とにかく列車までダッシュ、ドアは閉じてしまって絶体絶命!?駅員が構内放送で開錠を通知して間一髪セーフで乗車OK、奇跡というしかないほどのことで今でも信じられない出来事でした。

出雲市駅                                      出雲大社

  

                                                      一畑電鉄出雲大社駅

    

観光用車両

    

偶然の1枚                                        色々車両

   

一畑電鉄出雲駅                                JR山陰本線出雲市駅

   

特急やくも                                       夏の日本海

    

怪しい雲行き                                   浜田駅を後に

    

長門市駅                                        近くに私設の有名な神社が

    

もの寂しい長門市駅                           D51動輪もこの後信じられない出来事が

    

 

 

 

鉄道遺構散歩(その5)

東京近郊の鉄道の廃線・遺構と?線めぐりをスタートして

今回は第5弾!さて何処へ

 

1.西武鉄道安比奈線 (あひな)  2022.03

このシリーズですでにUPしていますが、砂利運搬線シリーズの第三弾、多摩川・相模川とくれば?神奈川・東京?と云うことで、今回は埼玉の入間川の砂利運搬線で、いままでは国鉄でしたが私鉄になります。

スタートは西武鉄道川越線終点本川越の一つ前「南大塚」なります(第四弾は相模大塚駅で今回は南大塚?「大塚」繋がり??どうでもいいことですが)。私鉄の貨物線ですが1963年から50年以上休止線と云う数奇な歴史の先にごく最近2017年に正式に廃線(3.2km)

西武鉄道は新宿・池袋が起点になっているのですが京王/小田急と他社線での接近路線は考えられるのですが、同社での場合は?その理由は改めて調べてみたいと思います。特に小平辺は国分寺から出ている、これまた2線(多摩湖線と国分寺線)がからみあって迷路の感じがします(東京鉄道七不思議?)。

南大塚の駅は終点の一つ前なんであまり多くの設備はないと思いましたが、引き込み線の後レールが無いだけで敷地はそのまんまの状態上り線にも運搬用の引込線もあります。後でわかったことですが通勤新線・車両基地等の構想も?、近くには高校や市民センター・卸売市場・河原付近にはモトクロス場と多少ローカル線ポイ感じを出しても十分営業出来るのではないかと思ました。

南大塚駅ホームに降りると反対側には安比奈線の痕跡が残っています、線路はえきを出ると左方向に大きくカーブして民家の間を通り国道16号線を渡ります(線路の跡があるので踏切だったのでしょうか?)。この先は住宅街となっているのと道路が近くを通ていないので、その先の市民センター付近で小さな鉄橋やごく近くで見られる廃線跡がしばらく見ることができます。

この先は草に覆われながら廃線跡は続き永遠の先で見えなくなりましたが、八瀬大橋で分断された形で河原方面へ、今回はこの先までは交通の便が悪いので八瀬大橋の手前でリターンとなりました。

田園風景の中を走る姿は・・・・・・・・と思いつつ、砂利運搬線は東京オリンピック前後の経済発展に大きく寄与して、環境自然にに関係なく活動した代償としていずれも短命な末路となったと思います。

南大塚ホールの左側                         なんとなくその方向

  

左側からゆったりとしたカーブを描いてホームに、枕木もそのまんま

  

道路を横切って                                住宅街、線路は端に

  

この先 なんと国道16号線を渡ります   線路は埋め込み

  

住宅街から小さな橋を渡り田園風景の中へ

  

50年近く休止していたので線路もそのまんま

  

木野もいの先は河原につながってます

 

 

2.引込線は公園に線路は続くよどこまでも「高麗川引込線」  2022.06

前廃線は近代化に伴なって、合理化や経営的問題その他にもその時代の流れから幹線でも第三セクターに移行してしまうのはこのところよく見かけるところで、東海道はさておき信越本線も日本有数の峠の名勝碓氷峠で寸断されてしまってます、一世を風靡した日本海縦断の大路線も同じでます。そんな中、私鉄ですが地域に密着した線路もあります。よく調べてみると今では見られない景色がそこにあることがわかりました。いくつルートはありますが今日は池袋スタート東上線で川越駅へそこからはJR川越線に乗り換えて終点高麗川へ。八高線も通っているある意味重要度の高い路線の一つでしょうか。八高線は此処より非電化区間になっています、駅に入る手前にかなり大きなカーブを描いてましたが、その間にもう一本線路が見え隠れしています。

高麗川駅は西側に発展していて東側には改札はありません、八高線を北方向に向かい10分弱大きな踏切、八高線と川越線の間にもう1本カーブを描いている線路があります、この辺はまだ線路も残っていたわかりやすいです。線路上は歩けないので、しばらく北上して小さな踏切を渡り見えてきたのは舗装された散歩路(ぽっぽ道)の踏切が登場。

綺麗な散歩路になっていますが路の両側には線路が埋め込まれて、のどかな景色にプラスして雰囲気が出まくってます。

のんびりと10分弱歩くともうその先はセメント工場、この引き込み線は、秩父で砕石した原材料を運んで製品にするセメント工場への線でした。

更に工場の裏手からは線路が伸びて生産されたセメントを下板橋の包装所へ輸送しなければならないのいで坂戸駅から分岐している越生線の西大家に乗り入れてました。この線は1984年に廃線となりましたが、高麗川へは1999年に廃線とないました。

高麗川駅は電化と非電化の交流? 左側が八高線、

   

八高線-引込線-川越線                  引込線があるので構内も広い

    

引込線の踏切                                  公園にすっかり整備され線路

    

道路の脇は線路が

    

踏切も健在

    

工場手前には立派な案内板

    

鉄道遺構散歩(その4)

東京近郊の鉄道の廃線・遺構と?線めぐりをスタートして今回は第4弾!さて何処へ。

1.厚木基地引込線   2022.03

引込線はたくさんありますがこの線もつい最近までレールが敷かれていたのですが、分岐付近以外は跡形もなく無くなってしまいました。厚木の米軍施設は広大で航空母艦の艦載機の離発着訓練でも有名で航空自衛隊も共存している所です、そんな北西の外れに相模大塚駅の先より繋がっていたのが、今回の廃線跡です。

相模大塚駅の約300m西側の厚木街道の踏切付近より基地専用線がはじまります。途中東名高速道路を渡り大きなカ一ブを過ぎると目の前は基地の補給場所。相鉄線の分岐からは住宅の間を縫うように走って、短い引込線ですが高速の上を渡ったりと凝縮された面白さがありました。

武蔵大塚は橋上                       まだ分岐は残っていました        こんな所を走ってました

     

しかし狭い                               少し広め                               東名高速道路はこの下

       

ここを引込線が通ていました       ここからはUSA

  

2.貨物線 「川崎短絡線」  2022.03

前回から参加した「短絡線」、道路は幹線はもとより様々に繋がっているのですが、線路の場合はそう簡単に他の線と交わるわけにも行かないのでそこで「短絡線」の出番です。今回は南武線と横須賀線(貨物ターミナルと直結)、流通には欠かせない線で尻手と廃線になった平間の二つを廻ってみます。

先ずは尻手駅の先の300mから徐々に分岐した単線が民家の中を豪快に貨物が走ってゆく姿は豪快です。踏切も多くスポットにも事欠かない、幸運にも貨物が通ったのですが貨車のみGet。

もう一つの廃線になった短絡線に向かいます。武蔵小杉の手前向ケ原駅で下車川崎方面へ少し戻り「老人いこいの家」裏手から遺構があります。短い橋脚跡と住宅街の中を跡地が遊歩道みたいに整備されて跡がよくわかります。残念ながら両方の分岐には線路がありませんでしたが十分に当時の短絡線があったまのなかで蘇りました。

画面右端が短絡線                       こんな感じで分かれて             南武線はもちろん

    

短絡線は意外と面白い             尻手線

    

駅に向かう途中で                         右端が短絡線跡

    

至る所に遺構が     向河原短絡線跡                                  最後は横須賀線に阻まれて終点

    

 

鉄道遺構散歩(その3)

東京近郊の鉄道の廃線・遺構めぐりをスタートして第3弾は武蔵野台地の軍事線と王子貨物線と短絡線です。

1.赤羽旧軍事線   2022.02

再び中央都心にあった被服廠や兵器補給廠が引越して来たのが、他からの攻撃が避て安全で便が良い場所として、低地に工場群、災害にも地盤の強い高台と云うことで武蔵野台地が選らばれその中心となったのが赤羽付近です。先ずは兵器補給廠のあった所から、今では国立のトレーニングセンター西が丘サッカー競技場がある所からスタート、赤羽自然観察公園の北側に入って(旧陸軍火薬庫)赤羽西図書館と団地の小道を進み区道を渡り更に小道を下り都営桐ヶ丘アパートを横に見ながら赤羽並木通り(被服本廠付近)を超え赤羽台公園を下って行くと東北・上越新幹線の高架が見えてきたら第一目標達成。

 

旧陸軍火薬庫付近               公園の中に軍事線

     

 

  

2.王子貨物線   2022.02

二番目は北王子貨物線です。赤羽岩淵駅から二つ先の王子神谷駅まで南北線で移動し、王子5丁目団地を横切って王子4丁目公園に着く、ちょうど王子方面から分岐した貨物線がこの辺で大きく右方向にカーブして行く須賀線、直進は製紙会社の専用線場所です。つい最近までレールがあったのですが年末で撤去されてしまったので、残念ながら線路は撤去さえてました。ただ京浜東北線近くでは支線の線路はまだそのまんま残っていました。都心でありながらかなり住宅に近いところを通ていた貨物線だったと思います。

撤去されて間もないですが        製紙工場専用線                       専用線跡                 

     

京浜東北線との合流付近                 上方は新幹線

      

 

王子駅は目と鼻の先、都電荒川線の駅もあり、すぐそばでその軌道や車両を見ることができます。

京浜東北線の脇をしばらく歩いて行くとかなり近い位置で車両が見えたりします(穴場かもしれないですね)、更に進むと黄金の地域で左側は尾久の操車場右側は田端の操車場、当然田端側には新幹線の待機線も、尾久には貨物の牽引用の機関車も止まっています、今日はEF81-95が塗装換装したような真新しい感じで,その先にはEH500-20桃太郎と更に奥には「こまち」もいました。

3.赤尾久/田端短絡線   2022.02三番目の目的は二つの操車場をむすぶ短絡線がメインでした。二つ操車場には新幹線や旧踊り子号桃太郎等々近くで一杯見ることができる最高の場所でした。歴史と夢の溢れる一日でした。

尾久操車場                             寝台特急や185系近くでしっかりと見ることができます

      

田端操車場   新幹線から貨物機関車   DE

     

すっかりお洒落なEF81-95           これが田端/尾久短絡線  こんなにも身近に見ることができます

      

 

鉄道遺構散歩(その2)

東京近郊の鉄道の廃線・遺構めぐりを前回よりスタートしましたが第2弾は武蔵野と河原砂利採取線の2線です。

1.武蔵野競技場線   2022.02

再び中央線の登場ですが、今度は三鷹駅からの支線の元々は戦時中の旧中島飛行機の武蔵野製作所の引込線3.2kmを野球ブームの1950年代に武蔵野グリーンパーク球場

の試合開催時に乗客輸送を目的としたもの。国鉄スワローズ=本拠地球場の目論見も都心部から遠いのと球場設備が悪いと云うことで本拠地誘致に失敗、結果単なる競技場となったため1956年に球場の閉鎖、1959年廃線約8年の稼働との事だったそうです。

廃線跡はグリーンパーク遊歩道として途中玉川上水を渡ったり、関前高射砲跡等短い路線にしては盛り沢山の廃線跡です。三鷹駅の合流付近では中央線に架かる跨線橋(全長93m1929年建設)も太宰治ゆかりのスポットでも有名な場とえ歴史観タップリの小一時間散歩路でした。

その昔は工場引込線から野球観戦の専用線   今は広大な運動公園

    

所々に案内板                           玉川上水を渡り                        線路もありの「ぎんなん橋」

    

                                枕木を使った境界も                           近所には採れたての野菜

    

大宰ゆかりの跨線橋から富士山

  

2.西寒川支線(砂運搬線②)  2022.02

大正11年に相模川の砂利を輸送立の一駅先の西国分寺大学時代の通学路線でその昔は今でいうとでも言いましょか、今では東京駅まで目的として貨物線、その後昭和19年に旅客営業を開始その後の河原砂利採取禁止により貨物営業が廃止、更に昭和59年で廃止となった経緯があります。スタートは東海道線茅ヶ崎駅から東京ローカル線?八王子まで東海道線と中央線を南北に結ぶ相模線、今では電化されて通勤通学でも多く利用されている大活躍の路線です。支線の起点は寒川駅からでしばらく橋本方面に進むと右手の草むらがややカーブして前方へ続くイメージで県道47号線大門踏切付近に方向板には一之宮公園方面に入ります。遊歩道を進むと木製の枕木の上には古びた線路があります。途切れ途切れにはありますが踏切の跡もあり八角公園となっている所が西寒川駅跡旧海軍工廠跡地で立派な石碑があります。直ぐ右手には相模川そして富士山の雄大な絶景が見られます。用途が終わってしまうと廃線となってしまうのは寂し気がしますが時代とともに頑張ってきた交通手段は今でもその功績が残っていました。

茅ヶ崎から                                                             廃線跡の遊歩道へ

    

 

錆びて時代を感じますがしっかりと当時の痕跡が

        

富士山くっきり                   お洒落フォルム相模線