by オスカルの父(ベルサイユのばらより)
以前ブログでも書いたが、今、ルソーの「人間不平等起源論」を読んでおります。
うそ、ベルサイユのばらを読んでいます。
うそ、本当は両方読んでいます。
本当に両方読んでいます
とりあえず本題に入る前にまず話しておくと私は、めちゃんこ疲れている。
圧倒的疲労。
基本1日中休むという事はない。
収入は倍に増えました…
圧倒的筋肉痛です
連休中(私にとっては休みではないが)に筋トレしました。
連休…占い師にとっては稼ぎ時ですね
占い師というと、とても素敵な事をブログやSNSで発信しているイメージがありますし、実際そういった方は多いですが、私は自分の日常もガンガン発信するのでキラキラ感はないと思います(笑)
「世の中はつくづくカネとコネだ」とかツイッターで呟く占い師なんで。
本当にそう思っています。
日本で最も権力のある男は福沢諭吉です。ありがとうございました。
夏バテ。
冷え性が治ったので夏暑いです
プチ断食の効果もあってか、お腹の固い感じもなくなりました
胃の調子は比較的良いです
白ご飯やめたのも良かったんだと思います…。
「ご飯食べないでお腹空かない」
と思われるかもしれません。
しかし私にはコレがあります。
コロナの影響なのかカナダからヘンプパウダー(私のプロテイン…!)が全然届かないので大豆ミート食べる事にしました。
私的には…
こっちのかるなあさんの方をよく食べていたのですが、オーガニック志向になった&値段もお手頃だったのでボルドー二さんの方にシフトしました
とはいえ両方とも別々の利点はあるので、そのあたり見極めると良いと思います。
ボルドー二さんの方はまず値段が手頃でオーガニックなのが良いよね
かるなあさんの方は湯戻し不要で国産なのが良い
ボルドー二さんのナゲットタイプは思った以上に小さいですね。
かるなあさんの方は、もう少し食べ応えある大きさです。
唐揚げ作るなら、この2種類よりも大きいものを選んだ方が良いと思いますよ。
てゆーか最初から完成している、かるなあさんの唐揚げを食べればいい。
かるなあさんの唐揚げ美味しいしん。
大豆ミートは災害備蓄用に買っておくのも良いと思いますよ
1年はもつし、乾燥したままでも食べられるので、実際、災害時にポリポリ食べていた人もいたそうな。
良いタンパク源だよねビタミンやカルシウムもとれるとの事で嬉しい限り。
ノンヴィーガンの時代でも大豆ミート手に入るなら肉食べるより、絶対こっち食べてたよ…食べやすいもんさ…氣持ち悪い脂身とかもないし…。
ところで冷え性と胃もたれが治ったが、右足の薬指が動かなくなる症状再発
嫌だなちょっと困ってる
で、暑いね夏ね
私は、ちょっと外歩く時なんかは黒い日傘に黒いロングスカート
それにクリスタルのネックレス(おばあちゃんの形見)を着けておるのだが…
それで近所のマンション内をうろうろしていると、どこかの家のお母さんに挨拶されるのね。
多分、マンションに住んでいるどこかのお家のお母さんだと思われてるんだろね。
うん、わかる。
で、それで近所を歩いていると…別に強めのゴスファッションじゃないのに子供にもお母さんにも見られるんだよね。
「じーっと見られてたよ」とか母親に言われんのよ。
尻上のロン毛で全身黒の人は、やっぱ怪しいんだろうね
で、それで散歩しながら近所のセブンイレブンに行こうと思ったんだけど暑いから途中で引き返したわ。
国道の方は住宅街より暑い。なんなの…
熱中症になるの怖い。
セブンイレブンにいる氣さくなおばちゃんにも会いたかったけどマジ無理っす。
あ、この前、セブンイレブンのお問い合わせ通じて、おばちゃん激推しメールを送っておきました
おばちゃん応援してるし。
まあ、前置きはこのくらいでいいっす。
最近は「人間不平等起源論」を読んでいるわけですが、夜眠る前は「ベルサイユのばら」を読みます。
ベルばらには…
「古典もいいがよかったらジャン・ジャック・ルソーを読んでみたまえ」
「人間不平等起源論をしらないかい?世界が貴族のためだけにあるんじゃないってことがよくわかるよきっと」
というセリフが出てくる。
で、オスカルはルソーを読むんだよね
オスカル好きだしん…
オスカルとロザリーの絡みが好きだったしん…
百合は素晴らしい。
しかしロザリーは男とくっついてしまった…(残念)
てか「古典もいいが…」って私にとってはすでにルソーが古典(笑)
で、とてもシンクロを感じているルソー…改めて読みましたがやはりキリスト原理主義的な主張はしていないのですね。
そういった点では個人的に評価しているのだけれども引っかかる点がある。
これは時代的なものもあるし仕方がないのでしょうね
例えばルソーの自身が愛国者である事を強調している感じとか…あんま好きじゃないです。
私は愛国心なんてカケラもない輩ですので。
20代前半くらいまでネトウヨだったので当時は愛国心の塊だったけど…2chばっかりやってるとネトウヨになるんでしょうねw
veganになって、韓国語学ぶようになってから大分変わりました
愛国心に対しては幸徳秋水の「二十世紀の怪物 帝国主義」を読んでから少しずつ変わっていきましたね…
当時、愛国心と帝国主義との繋がりについて考えるものがあったので…
とはいえネトウヨだった時から私は「国益」という言葉にどこか違和感がありました
「国益を重視する」とかね。
というのも利益というものは自国民だけでなく、全ての国の人が享受すべきものだと考えるので…
他人を踏みにじって自分たちばかりが富んでいくという姿勢は受け入れられないわけです。
「自分の事なんだから自分を1番に考えても良いじゃないか」と思うかもしれないけれど、それでは世界は良くなりません
自分が住んでいる国の事だけでなく、他国に住んでいる人間の事も考える必要があると思います。
これは当然、自分が住んでいる国の人間の事を考えなくても良いという意味ではありません。
こういった他人を踏みにじって富を享受する姿勢って国と国の問題に限った話ではないと思うんですよ。
日本国内でも、こういう事は起こっていて実際、人と人の間の格差って結構あると思います。
まあだからこそ私は「世の中はつくづくカネとコネ」って言うんですけど、カネとコネがない人間が淘汰されていくって状況は、おかしいでしょうね。
ただ日本に生まれて生きているだけでも、ある程度、特権的な立場にあると思います。
特定の社会運動に関心を示さないヒトなんか特にでしょうね。
そういった方々は声を上げなくても、ある程度十分に生きられるだけの特権があるわけですから。
社会運動に関心を示さない側の時点で自分がマジョリティとしての特権を享受していると自覚すべきですね。
その無関心が声を上げねばならない弱者/マイノリティを踏みにじっている事を認識すべきです。
私自身も大学を卒業するだけの教養や、英語を話せる事、両親からの援助を受けられる事等、特権を享受していますし、生活に困らないだけの基盤があるからこそ、声をあげる事や弱者への金銭的援助の必要性を感じています。
ボランティアや寄付はそういった想いからですね。
知識を得るために本を読むのもまた然り。
こういった自身の特権を一人一人が認識していないというのは問題だと思います。
自身を搾取する権力者に対しての批判はしても、自身の搾取には無関心なんですよね。
つくづくカネとコネですよw
で、愛国というワードからやや話が逸れましたが…愛国心というものは排外的な感情を煽るものだと思いますし、自国を特別視する姿勢は他者への搾取を無視する姿勢に繋がると思います。
てか愛国愛国言って愛国するヒトは大した理由での愛国じゃないでしょ
せいぜい自分が生まれた場所がその国だったくらいのもので
これが個人的な感情レベルでなく、全体主義的な方向へ意図的にコントロールするツールとして愛国心を使うなら、それはまさにであげた帝国主義との繋がりになりますよね。
ちなみに帝国主義と資本主義との繋がりについては、レーニンの「帝国主義論」が参考になるかと。
(資本主義において新たな市場を求めて他国を侵略する姿勢)
資本主義における動物搾取の歴史についてはこれも。
暴虐史の方はまだ読み終わってません…人間不平等起源論もまだ途中ですしおすし…。
暴虐史の方はもう少しだけ読むの先になると思います…人間不平等起源論の次には、トロツキーの「永続革命論」が控えています…
まだまだしばらくは鑑定に時間を割く事にもなりそうだしん
ちなみに資本主義の弊害に関してはこれも参考になりました。
労働に多くの時間を割く事で、個人が学ぶ、休息をとるといった時間を持てなくなる事による弊害について。
私も弊害出てる氣がします(笑)
哲学草稿についてはフェイスブックの方で書いたけれども、ニューエイジの思想どっぷりの私にはスッと入ってこないんですよね…割と苦痛なので流し読みになってしまった orz
経済学の方は流さずに読みました。
しかし自分の基盤はやはりニューエイジなのだなあ、というのは実感しますし、ニューエイジの正当性については確信めいたものがあります。
ただニューエイジの精神世界は、その性質上、仕方がないのかもしれないけど自己探求が中心なんですよね…。
正確に言えば自己探求する上で他者を介し、両者ともに発展していく姿勢があるんだけど、自己感覚を物差しにするあまり、他人の痛みに鈍感になっているヒトがいるような…。
「私はワクワクするからOK」っていう姿勢ね。
例えば「私はワクワクするし美味しいから肉を食べる!」って姿勢の裏には、生命を維持する上で不要な殺生が行われているわけですよ。
しかし「私」はワクワクするからよしと。
ただ本人が「生命を維持する上で不要な殺生を行なっている」という事を知っているとすれば、殺される側の痛みを認識するので、その時点で罪悪感を持つと思います。
他人の痛みが見えるとすれば、それは自分の痛みになるので。
自分だけが幸せになる事は出来ません。
そうすると「肉食の正当性」を心の中では否定する事になりますよね
自分を含め、veganの人と関わっていると「心が軽くなった」という人に出会う事が多々あります。
それはおそらく、こうしたジレンマをveganとして生きる事で解消したからなのでしょう
単純な話ですね。痛みを取り除きたいのなら、痛みを与えない事です。
与えたものを受け取るという事は、そういう事でしょう
こういったわけですのでニューエイジ独特の自己中心探求には違和感があります…。
ちなみに私が上で挙げた肉食の例を読んで何かしらの不快感を抱かれたとすれば、おそらくそれは私が、その方の中に元々あった罪悪感に触れたからでしょう。
私自身がどうこうではなく、その罪悪感を持っている限りは何かしらの出来事がトリガーとなり、不快感を抱くようになるわけで…。
で、だからこそ私は現時点で言えば倫理的な生き方を追求している方々といる方が、しっくりくるのです
厳密に言えば倫理的な生き方を追求し、実践している方々ですね。
追求しているだけで実践しないというのは不誠実ですから。
ただ何かしらの理由でvegan生活を送ることに困難を抱えている人はいると思います。
Go Veganのスローガンを掲げる際は、そういった人たちを踏みにじっていないか考えるべきですね。
例えば職業上の関係でできない人、親が作った食事を食べなければならない学生…
こういった立場の人であれば困難があるかもしれません。
で、また愛国心に戻るけど、私は天皇制(君主制)にも反対の立場です
出生による差別なので。
あと皇族に税金つぎ込み過ぎでしょ…。
いまだに「天皇陛下万歳」とか言ってる人を見ると寒くなる。
今のご時世、結婚も自由にできないとか…。
女性宮家とか以前の問題。
てか、ここまででもう5000字を超えてしまったw
もうそろそろ、きちんと本の話に戻らなくては
で、ルソーの人間不平等起源論だけど、アニマルライツ推進派としては溜息なのが、動物に関してデカルト的な視点をそのまま彼が持っていることなんだよね…
(上記訂正、動物は機械である〜という視点はデカルト的だけど、ルソーは自分に似た存在者にはいかなる害もなしてはならない義務を負う…と考えているので厳密に言えばデカルトとは違った立場ですた)
わたしは動物というのはすべて精密な機械だと考えている。
自然はこの機械に、感覚器官というものを与えた。
この器官によって機械は、自分で自分のネジを巻く。
私は、この言葉から圧倒的な不平等感を感じるぞ。
アニマルライツに関しては現代でも不平等感あるからね…。
ホモ・サピエンスであるというだけで特別視される不平等感…。
ちなみにデカルトといえば時々ツイッターで絡ませていただいているフォロワーさんのアイコンがデカルト。
メタルも好きみたいだし、veganにも好意的で菜食も意識してくださるお方。つまり好き。
個人的にツイッターは偉人をアイコンにしている方は話が通じそうで、世界を良くしていきたいという意識を持った方が多いように感じるんだけどどう
(ただし金正日アイコンは除く)
人間不平等起源論で少し面白いなと思ったのが野生人に対する考え方で、ルソーによるとホッブズの万人が万人の狼となる自然状態は間違いで、自然状態の中で生きる野生人は特別何かを欲することもなく、争いも少なく満たされた状態で過ごすことができると…。(自然状態の中では、人と人との差異が少なく、必要なものは十分に手に入る状態。過去や未来に執着することのない状態)
これはニューエイジ問わず基本的な精神世界の考えと何か通ずるところがある
過去や未来に執着することがないので、特別何かを欲することがないとかもモロに「目の前の物事を判断せず、今にフォーカスした生き方」だよね。
つまり思考に左右されない生き方。
野生人が未来の状態を想像できないと考えれば、そうなるよね。
二元性は時間によって見出されるものなので。
思考は時間に根ざしたものですし。
私たちは過去の経験から物事を判断しますしおすし。
今この瞬間に存在するものは全て中立で何の意味もないんだけど、私たちが時間を認識することによって、過去の経験が「現在」まで続く連続的なものであると捉える。
その結果、過去の経験・判断を目の前のものに投影する。
これは精神世界でいういわゆる幻想。
なぜそれを幻想と呼ぶのか。なぜならそれは、今この瞬間に存在しているものではないから。
存在しないものは非実在である。
あと精神世界では、やたらと縄文時代に帰ることを良しとする傾向が見られる。
自然状態に生きる野生人の原始的な生き方を賛美(という言葉を使うと弊害がありそうだが、他に言葉が見つからない)しているといった観点から見れば通ずるものがあるかな、と。
まあ縄文時代でもヒトは社会を形成していただろうけど。
原始的な生き方に理想を見出すという点では似ているなと。
まあ…スピリチュアルって科学に反した原始的な直感や感覚、魔術を詰め込んだようなものですしね…。
そうした体系を重視するのであれば、そりゃ原始的な生き方にある種の理想を見出すでしょう。
自然(神)を崇拝するというアニミズムな生き方は、精神的な意味でとても調和的だと思うけれども自然主義的誤謬のような弊害もあると思う。
例えば生命。自然の中に息づく生命が神秘であり、尊いものであるという考え方。
生きることはかくも素晴らしいことだと考える傾向。
けれども実際のところ生きるとは、この世界に生まれるということは必ず苦痛を経験することであって、生まれた瞬間その個体の死が決定する。
この神秘は、その個体にとっていかほどの価値を持つだろう…?
出生を押し付けられるにも関わらず、ここでは安らかに死ぬ権利さえ尊重されない。