さて、私は所謂「スピリチュアル」(*⁰▿⁰*)
精神世界の住人なわけですが、この界隈の「ありがとう」や「感謝」には大変違和感があります。
というのも中には
・本当に「ありがたい」と思っているのだろうか?
・その感謝に他者を敬う心や配慮はあるのだろうか?
と疑問を激しく抱いてしまうような行動をとる方が多々いるから。
例えば最近のコロナウイルス。
ドラえもんのアレとか。
コロナウイルスへの感謝の歌詞?とか。
コロナウイルスありがとう。
氣付きを与えてくれてありがとう。
壊してくれてありがとう。
こういった言葉が羅列されていますよね。
あのー…こういった言葉を
→実際にコロナに罹患して苦しんでいる方々
→コロナで家族や友人、恋人を亡くした方々
→医療従事者の方々
が見たら一体どういった氣持ちになるでしょうか?
あなたの「ありがとう」は胸の内にしまっておけばよろしいのではありませんか?
コロナウイルスが氣づきを与えてくれたことは確かに、その通りなのでしょうが、それで苦しんでいる方々がいるにも関わらず「ありがとう」は、いかがなものでしょう。
この「ありがとう」を唱えること、それ自体が、さも「美徳」であるかのように振る舞うのは私にとっては大変滑稽なものです。
これは、いかにも命が大切だと言いながら菜食を心がけずにいるようなもの。
もし誰かの痛みが見えるのであれば、それは自分自身の痛みです。
確かに、この世界に存在するように見える物事は中立であって、それは私たちの思考を反映したものです。
しかしながら、この世界に物質が見えるなら、私たちは何かしらの痛みを見ていますよね。
そして痛みを感じている存在が見えるのであれば…それを無視したままでいるのでしょうか…?
その精神性とは一体何でしょうか…?