夫と結婚し、子供を出産。
暫くは専業主婦で子育てに専念していた。
夫の実家は昔ながらの亭主関白に、家事育児は女の仕事
という構図の家庭環境。
子供が小さい頃はパートをして家計を助けていたらしい。子供が大きくなり大学費用などが必要になるため、正規の社員になるために資格を取ったり頑張っていたとか。
その中で家事・育児の全てをこなしてきたのだから素晴らしい、と思った。その他にも家が一軒建つほどの土地の畑を耕し野菜を育てたりと、もうこのへなちょこな私にしたら比べものにならない位の超、超、超スーパー主婦なのだ。
家計簿も何十年とつけており、その歴史が分かる程の家計簿
が何十冊とリビングの棚に
並べられ、唖然と感心・尊敬の目で眺めた。
もうテキトーな家庭で育った私にはハードル高すぎちゃんやった。
んなもん、出来そーになんかない。うん、絶対できん。自信あるぞ。と思った。
それに期待されてもきっと無駄だぞ、とも思った。
実家の法事もカクカクシカジカのもう、なんていうのか定番の風習があって、お坊さんのお経の後何処かの料亭を予約して精進料理をつつき、来られた方になんかのセットかい?と思うほどの手土産を渡す。
本当はこの流れが一般的なのかもしれないけれど、私はそれまで葬式や法事などを経験したことがなかったため驚きの連続だったのだ。
もう30歳のいい歳した頃だった私だったが、結婚してからよその家庭の風習や形に触れるたび、
なんかうちの実家と違うなー、大丈夫かなー。と心配になっていた。
夫は優しいけれど両親には何も言えない人だった。
そんな時、長女が1歳半頃の時にパートで働きに出ることにした。
長女に色々あって保育園に預けるためには働く必要があったのだ。
夫婦で話し合って決めたことであったが、義理の両親にその話をした時、義父は何も言わなかったが、義母は大反対。
お金が無いならないなりに夫のお給料だけでやりくりするのが妻の役目じゃないの。ましてや子供が小さいのに、せめて7歳になる迄は家にいないと可哀想でしょ。
私は一切手伝いなんかしませんからね。
本当信じられないわ。私だってそうしてきたんだから。
の後の睨み。付き
なーんてどっ直球の正直な気持ちをぶつけられ、びっくりしてしまった。
人生の中でそんな言葉を浴びせられたのが初めてだったから、、、。
ここまで言う人世の中にいるんだすごーい。
と感心した後、ウッセーなばばあーと黒い感情を抱いてしまった。
やばい

。夫の母なのに尊敬してたのに、、、。
しかし私は、跳ね除けた。
義母の考えもある。しかし、初めっから感情的に言われても、価値観を押しつかれても、なんであなた(義母)の思う通りに従わなければならないのか全然わからない。
知らんし。
言われた言葉は胸の中にしっかり収納し、いつでも思い出せるようにしていた。
挫けそうになったらいつでも思い出しては、自分を奮い立たせるために。
その後、パート、出産、専業主婦、パート、正社員と色々経験してきた。
疲れてリビングの真ん中で大の字であー疲れたー。
とくつろいでいると、いつの間にか侵入してしてきた義母に
⭕️⭕️さん、なんて格好で寝そべってるの。疲れたって言うくらいならそんな仕事やめてしまいなさい。情けない。子供達が見てるでしょ。
はいはい言いたい事言ってください。聞いてませんよ。もう仕事と育児、帰りの遅い旦那、無理だって。私ロボットじゃないし。
それでも、大の字のまま姿勢は崩さず黙ってしばらく休憩していた。
言い返せば、義母のプライドが傷つくし子供達の前で喧嘩はしたくない。
子供達にとっては大事なおばあちゃんなのだから。
なかなか手強い義母だった。
結婚して10年位はこんな調子だった。
⭕️⭕️さん、どこに行ってたの?何買ったの?子供たちにおもちゃ買いすぎじゃないの?
これからは、どこに行って、何を買ったかを私に報告しなさい。
と全てがこんな調子だった。夫に言っても親に意見できない人だった。
だから自然と私の身は自分で守るしかなく。
だったらお母さんも私に、どこに行ったか、何を買ったか私に報告して下さいね。
と嫌味を言う嫁になってしまった。
時々言い返すセリフでダンマリになる義母。嫌だった。あー、結婚って面倒くセー




と思う日々。
私の人生は私が決めるんだよ。黙っとけ。
今では、義母自身も義父が亡くなり仕事を辞め、弟夫婦の子供の子守りをしている。
昔とは違い、夫婦共働きを認めている。
今の若い人は夫婦共働きが普通よね。
なんて言っている。
専業主婦を私に押し付けていたのなんて遠い幻。
義母の言う通りの人生を過ごさなくて本当によかった。
弟夫婦が義母からの攻撃もなく穏やかに過ごせているのは、私という思い通りにならない嫁がいたから、義母も色々学んだんだ結果かもしれない。
それかただのお気に入りの違いなのか?
みました。




