こんにちは、初めまして

新年明けまして、おめでとうございます

まず、僕はただの学生で、そして、普通の人です

それを踏まえてみてください。後、僕が書く言葉は、多分伝わりにくいことがたくさんあります、ですが、それでも見てくらたら嬉しいです。

僕は、こういうのをどうやって書けばいいのか、わかりません、だけど、本気で伝えたいことが、二つあります

一つ目は、こう考えると、人を嫌いになりにくい考え方です。

今でも僕は人を嫌いになることはあります、家族とも友達とも喧嘩になる時はあります。

だけど、ずっと嫌いにならない自分の方法はあります。

それは、人はみんな、お母さんのお腹の中から生まれた、一人の子。そこには、性格も立場も育ちも、発達障害を持ってる持ってないも関係ありません。そして、性別も年齢も、先輩後輩と、男と女という境界線は確かに必要ですが、そこだけです。本来みんな平等で、みんな取り残したり、置いていったりしたらいけないと思います。これをみんな背負えなんてとは言っていません、ですが、だったら人を、恨んだり復讐する資格も、見下して弱く見る権利もないと思います。

二つ目は、『何かあったら言ってね』は、時には毒になりうる言葉だと知ったことです。

人は、助けたい時や、心配していいのかわからない時に使っている言葉だと思います。

この言葉は、確かに助けになることが多いですが、助けを求めたい時にそれを言われたら..それは傷つける行為になるからです、この言葉は僕も、言えない派なので。

だから、一番相手が、話しやすくなることを、どうすればいいのか考えました。

一番僕がいいと思うのは.何も言わずに近くにいること.だと思います。

これは一見して何も変化がないと思いますが、この行動は、自分の負担も減らすことだけでなく、相手の心に、いつの間にか心の居場所を作ることになりうることができるんです。

自分も、これを感じたことはあります。

これが、僕がずっと考え続けたことであり、僕の考えです。

皆さんにとって、これらが普通でつまんなくて、当たり前の考えだったら、本当にごめんなさい、ここからは、僕の昔話みたいな話を、聞いていただけますか?




僕は小学校の時、人にいじられた側でもありますし、人をいじめてた側でもあります。

正しくは、みんなにただただ、自分が楽しく笑って過ごせるなら、周りに合わせて生活しました。

楽しかったです、正直、面白かったし。

でも、今の自分が昔の自分を見ていうのなら、自分を隠して、まるで機械のように、人と合わせてるだけだって...怖かったんでしょうね、周りに省かれることが。

そして、あっという間に小6、最高学年、前半はほぼ記憶にありません。

けれど、その時の担任の先生の言葉に、初めて心に突き刺さった言葉があって、それが『楽しさの土台に正しさ』て、その言葉聞いて、周りはほぼ何も思わなかったんだろうなって、でも自分の心に、僅かに疑問と、残ったままのその言葉があったんです。

そこから色々あって、その先生のおかげか、昔、何でもかんでも挑戦するのを拒んでたのが、放送で、何のかは教えませんが、選ばれた作文を読みました、あれは初めての経験であり、そこからまず勇気をもらいました。

でも、その時はまだ、完全にいろんなことを理解できてなかった。

僕は、そのクラスで、先生のおかげか、みんなで一致団結できたような気がしました...気がしただけでした。

クラスに一人だけ、発達障害を持ってて、多分その子、脳の障害があって、よく暴れてしまってたみたいで...、当時は不登校になってたと聞きました、支援教室にすら来てなかったことは知らなかったからです。

だから、卒業するまで、気づくことができなかったんだなと思います。それで、自分はその時大きくショクを受けました。みんなは、ああ言う人は一人や二人いる、みたいな感覚してたみたいですけど、それを自分は、公開として残しており、今でも『あの時、一回でも声をかけていれば、あの子はどうなっていたんだろう...何か、変えることができたのかな?』て思うことが多いです。

それで中学に入ってからやっと気づいたんです『みんなと同じふうにやるより、3年間、人をたくさん助ける』て、心から手を差し伸べられる存在になろうって決めたんです。勉強にもろくに手をつかない自分が、初めて夢がついたんです。

でもいざそれを行動に移すと『厨二病か』とか『ガキか』なんて言われたような気がしました。だから自分、表で動くのは向いてなくて、人を変えるより、困ってる子を助けることにしました。

そして同時に、さっきの上の二つのことも、いろんなことも考えるようになりました。

でも、これが想像の何倍も苦しかった。みんなと違う考えをしてる人になって、学年上がることに、僕の思える心の中での友達が減った気がしました、何故なら、考え方が変わることで、人の良いところ、悪いところも見えてしまって、価値観が合わないようになっていきました。

その作業で何度も、自分を壊して、また作り直しての、繰り返しでした、部活動でも泣き虫だったので、そこでも合わして、10回ぐらいかな。それをしながら、人と最低限向き合うために話などきいたりしながらやってました。

していくうちに、体も疲れが溜まっていって、いつの間にか立ちくらみなどしていって、自殺すら何回も考えました。

でも、小学校の後悔を捨てるよりマシだと思い、諦めませんでした、その後、自分がASDだということもわかりました。

それで新年明けた今、この二つに辿り着きました。それで、今です。

読んでいても、僕の文章の書き方が下手だから、わからない人はきっといます、だけど、これだけはわかってほしい。

こういう、みんなが仲良くなれますようにとかわいじめがなくなりますようにとかの願いは、限りなく低くて、全員が気にしないといけなくて、だからならないで考えを終わらしてる人達が多いです。

しかし、それで考えをできれば終わらせてほしくないんです。全員がいじめをやめなくても、仲良くできなくても、できるだけ...最低限の人達を、言葉遣いを、大切にしてください。

一つ目で言いたかったことは、確かに嫌いになり続けないもそうですが、誰もが普通共存して生きていいはずなんです、もしその子と関わりにくくても、その子の悪口や陰口で誤魔化さないでください。

二つ目で言いたかったのは、その悩みを、自分だったらどうしてほしいのか一度考えてみてください、他人ごとで終わらせないでください。

まだこの世界に、何人、計り知れないたくさんの人が悲しんでいるのか、僕ももちろんわかりません、エスパーでもないし、能力もありません、皆さんと、同じ人間です。

だけど、もしそういう子を見つたりしたら、一回『大丈夫』と駆け寄ってみてください、その時はだいたい、見て見ぬ振りをして行く人が多いので、十分な勇気です。

そして、例え悪口が減らなくても、その言葉で人の人生、人の夢馬鹿にしないでください、僕が言えたもんじゃないですが、人の夢にぜひ『頑張れ』など『応援してる』など言ってあげてください。

これを、子供の頃から見直すことで、大人になって色々後悔しにくいです、大人になってから過去はかわりません。勉強も確かに大切ですが、人の心が何より大切です...きっと。

だから、もし友達に合わせてるだけの人達は、自分を信じてみてください、言葉遣いを気をつけていない人達は、何が傷ついて何が傷つかないのか、一度考えてみてください、泣いてる子を、ただそっとしておくではなく、一度勇気を出して近くに行ってあげてください、先生に頼るのも大事ですが、自分から歩み寄ることが成長だと思っております。

ここまで読んでくださった人達がいたら、意味が伝わらなくとも大丈夫ですし、もし伝わるなら、よかったと自分もホッとします。

長くなってきました、ここからは、皆さんの考えで任せますが、最後に一つだけ。

当たり前と思ってることは、意外に当たり前ではない、それはわかってると言う人達が多くて、でも実際にはわかってないんです。この暮らしや、自分が家族に支えられてることも、友達といられることも、全部。だから、傷つけ合わないで、心を誤魔化さないで、自分らしさと、相手の意見を大切にしてあげてください。無理なんか言わないであげてください。

これで終わります...また...会いましょう