断絶してからもう5年以上の月日が流れて

JW両親からの音沙汰など何もなく

それでも変わらずそれがわたしの平和


断絶してから一度地元に帰った時は、姉や他の兄弟たちと再会するためで

だからもちろん両親とは会わないし、あの時も今も会いたいと思ったこともない

最後に両親と顔を合わせて会話してからもう10年近くなる


姉たち兄弟とは付かず離れずな感じ

姉たちは一般の人としての感覚を持ちながら暮らしていて

各人、元JWの要素はあるのだろうけれど

そういうことをどう捉えどう対処してきたのか

今はどう思っているのか

あんまり話してくれないし、どちらかと言うとそうした話題を好まないような反応がある

むしろわたしが一般の感覚や常識を分かっていないことが目立つというか

だからこうした話題は姉たちとはあまりしなくなった

それゆえか音信も途絶えがちになり

でもまぁやっぱり付かず離れず




先月、祖母が亡くなった

祖母と会ったのももう10年近く前ということになる


わたしの印象では、祖母は自分が建てたお墓と家を守ることの心配をいつも口にしていて

自分の子ら(娘2人ともJW娘の夫もJW)には託せないどころか宗教のためにそれらをないがしろに扱われてしまうことを危惧していた

だからそうすることのないようにと孫たちにそれをいつも頼んでいた

晩年は特にそうだったようで

葬儀やら何やらのことは耳タコでよく分かっているから心配ないと姉に言われた


家庭をもって、姉も男きょうだいたちも祖母の元でよく集っていた

子や孫たちと制限のある関わりしかできないJW両親よりも、祖母とひ孫たちに交流をよく持たせていたようだった

物理的な距離を言い訳にして祖母と関わってこなかったわたしは、ただ聞いて知るだけで

こうなった祖母の状態について、自分の仕事柄聞いて理解できることが多いってことくらい


祖母が倒れて亡くなるまでのひと月ほどの期間

姉、兄、弟、それぞれ

色んな一般常識やそれに伴う気遣いというか阿吽の呼吸的な様子が伺えて

やはり彼らは元JWというよりは一般人なんだなぁと、またそれを感じていた




普段通り生活していた祖母がある日突然倒れ、その日から治療等というよりもすぐに看取り状態になった

もはやうんざりする気持ちも通り越してくるのだけど、こんな場面になっても両親は排斥者の姉とは一切のやり取りをしない

伝道者止まりの男きょうだいたちとは話す、だから情報は何でも彼ら頼みなのだけど

男性陣だけでは細やかな情報や知りたい情報が抜けている、だから姉は祖母の容態についての基本的な情報がよく分からず

それでも、知り得た少ないことをわたしにもすぐに伝えてくれた


「ばあちゃんを想う時間にしてあげて」と姉に言われた


コロナ禍で病院に立ち入れない

でも祖母の状態は日毎に死に向かっていたので、やがてすぐにオンライン面会が許可され、最期には会えるうちに会っておくよう医師から言われ、姉も病室に入って祖母と会うことができた

そうして、もう今日かもという場面が何度か訪れては持ちこたえをして


とある日わたしと姉のタイミングが合い、祖母の病室からオンライン面会のようにして会うことができた

見てすぐに、あぁもうすぐだなと感じるほどの話で聞いていた通りの状態の祖母がいた

画面越しに見えるひいおばあちゃんの姿に、お子は何がなんだか分かってはいないけれど

会わせてあげられてよかったと思った


コロナ禍でなければ一度くらいは帰省して祖母に会わせてあげられていただろうに

この子もひいおばあちゃんという存在が自分にはあるのだということを知れただろうに


その晩、容態が急変して祖母は亡くなった


お子と一緒に祖母の顔を見て声をかけることができたのはこの一度になってしまった

でも、間に合ってよかった、そう思った




 死に向かっている人を想う、という感覚


これでよかったのだろうか

もっと何かできたのだろうか

もっと何かすべきだったのだろうか


姉たちと比べてわたしは祖母との関わりが薄い

祖母への親しみの感情も薄い

死に対する感覚もJWの頃からとそんなに変わりないのも事実で、こうした状況に仕事柄慣れてもいる


姉にはそんなわたしがどこか冷めて見えただろうし、そして実際どこか冷めているのだろうなと思う


死んだら無になる

その刷り込まれた感覚はわたしにとって今でもいちばんしっくり来るというか

それ以外の可能性を否定はしないけれど何も思わない

神や何かを尊く思うという気持ちも今はさっぱりない


姉たちの働きには頭が下がるし感謝してる

けれどきっと、姉たちが祖母に対して想う

 "悼む" という気持ち

それをわたしは共有できてはいないなと

どこか他人事にそれを感じている自分がいた




四十九日の話が決まってしばらくした頃

普段連絡のない弟から唐突に連絡が入った

両親から預かり物があるから住所を教えてと


なにを今更?いったいどういうつもり?

5年前わたしがしたあの送り物、あなたたちは丸ごとそっくり送り返したじゃないか

なに?自分たちの都合よくこちらはあなたたちを受け入れるとでも?


間に弟を挟んでやり取りしようとしていることにも腹が立つ


自分の子どもたちをそうやって姑息なやり方に巻き込んで利用したり無視したりと、ほんと都合のいいこと

弟の、JWを離れた子どもたちの、それでも親だから、というその善意を利用して

その宗教を離れてもなお、宗教のルールを当たり前に常識として当てはめるようこちらに求めてくる

姉や兄弟たちは、そんなJW両親のことはもう好きにすればという感覚で

祖母のことでの姉に対する対応も含めいちいちと怒りを覚えるわたしとは違って色々と流しまくっていて、そんな姉たちに感心していると

姉は、そうしたことに怒りを覚えるのもばからしいというか、そういうのも含め

「とにかくめんどくさいのよ」と、苦笑しながらそう一言だった




でもやっぱりわたしは納得できないのよ

それは違う、間違っている、と断固主張し続けてやる(笑)

JWファーストで当たり前だなんて、それを当たり前に受け入れるなんて、絶対にしてやらない

姑息な手を使わずにわたしと対峙してみなさいよ

あなたたちのしてきたことを、子ども側の善意で許されていると勘違いなんかさせない

エホバに許されているだなんて思い込み、わたしは絶対に許さない

送り物なんて受け取らないし住所だって教えない


鼻息荒いわたしに対して、弟の返事は

「伝えとくよ」ってそれだけだったけど(笑)






「ばあちゃんを想う時間にしてあげて」


そう姉に言われてからずっと、忙しい日々の中でも時々ふと

ばあちゃんを想うってどうすることが正解だったんだろう、と


こんな感覚でいるわたしなりにも、ばあちゃんを想って過ごした時間にできていただろうか

わたし以上に姉たちと想いの共有などできてはいないあのJW両親は、この全てをいったいどう思っているのだろうか


そんなことを頭で巡らしては

答えはよく分からずぼんやり思い

また忙しい日常に埋没してなんとか生きている






そうだ思い出した


今年の敬老の日の少し前

散歩していたら突然ローカルテレビのインタビューを受けて、なんのこっちゃかあれよあれよとばあちゃんのことを話さないといけなくなって

なんで〜って困惑しながら話したのに、放送見たら使われなかった(笑)

でもお子と一緒にバイバイしてる姿は放送されていた


あの時は、ばあちゃんに思い入れもないのにこんなインタビューされてもなんかなー断ればよかったなーとか後悔したりしてたけど

数ヶ月後こうなるだなんて思いもしなかったんだから


あれはあれで良い思い出になったのかな、なんて

ばあちゃんに直接伝えられたわけじゃないけど

ばあちゃんへのメッセージを口にする機会を持てて良かったのかな、って


何かは分からないけれど起こる不思議なこと

そういうのは、在るよなぁとは思ってる